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ニート生活記 カネコアヤノ(長野)

自分でもいつまでニートをしているのだと思う。

ユタ氏ときゅうから連絡が来たのは当日の二日前で、友達がカネコのライブ行けなくなったから良かったらこないか、という内容だった。
チケ代もホテル代もいらないからどう?とのことで、ニートはがめつさを出してゆかなければならないと自分を肯定するためだけの強い思考を纏い、行くと伝えて後ろめたさを隠した。

長野は思っていたより遠く、その日のうちにどの列車に乗っていけばライブの開始までに辿り着くか、またライブの翌日は夕方から予定があったので何時に長野を出ないといけないのかを調べた。そして今の私にとってできるだけ交通費を抑えたいので一番安く行ける方法を模索し、気づけば最近忘れかけていた熱量で向かい合った。

どうにか最善ルートを決定づけ、いつもより早く眠りについた。
楽しみなことの朝は、どうしてもウカウカ寝ていられず当日も予定より一時間早く起きた。残り物のご飯があったのでコンソメスープの中にぶち込んで、最後にチーズをかけてリゾットにして食べた。リゾットなんておしゃれなものを食べた記憶がないなと思い、それはもしかしたら外食の際リゾットと口にするのが恥ずかしかったかもしれない。私が作ったミルク缶に広がる汚料理をリゾットと呼ぶのには抵抗はなく、きっと自分が目の前に広がるそれをリゾットと呼ぶには程遠いと思えているからこそ恥ずかしくもなくそう呼べるのだろう。

電車は一本乗り遅れると到着が一時間半ほど遅くなってしまうので、遅れるわけにはいかなかった。
準備を終え、玄関を開けると強い雨が降っていた。部屋の中へ戻ってしまいそうな予感を一つ息を飲むことで抑え込み、傘を差して駅へ向かった。
こういう時に限ってメッシュ地のスニーカーを履いていたために駅に着いた時には靴と靴下がびしょびしょで、それに伴う不快感は特別に居心地が悪い。座ることもできないまま、まずは電車に1時間揺られ、乗り換えをし、山の方に向かうと人が一気に減ってくつろげるようになった。

本格的に山や谷だけが続くようになると同じ号車には人がおらず、後ろめたい気持ちを持ったまま靴を脱いでこの時間に乾けばなという思いだった。しかし、ある駅で外国の方が一気に列車に流れ込み慌てて靴を履き直すと、不快は何も変わらずそこにあった。
通路を挟んだ隣のシートでは、日本人の女性と外国人の女性が英語で話していてうらやましいなと横目で眺めていた。英語が話したいとか考えていたが、私のその思考はどこまでいっても偽善であった。もちろん身につけれるものなら身につけて損はないが、自分が生活していくための能力ではなく、日本へ訪れている外国の方が困っていたら助けたいとどこまでいっても利己的な自分だった。(本当に興味があってその人と途切れなく会話したい願望は大いにある)

ハバナイスデイ、とその女性たちの会話が聞こえ松本駅に到着することに気がついた。
車両から出ると先ほどまで考えていたことは、座っていた席に置き去りにしたままであることに気がついた。自分は便利だ。
改札を出て、きゅうと合流し、彼女の車で長野まで向かった。高速は緊張すると言って口数が少なる彼女を見て、冬ぶりに会ったがなんだか安心しておかしく思えた。
長野に近づくにつれ、雨は弱まり、着いた頃にはほとんど止んでいた。

ホテルへチェックインして、少しぐうたらした末、近くの喫茶店に向かった。
「幸」と一文字だけの店名で、私はずっと「さち、さち」と言っていたがよく見るとふりがなが振ってあって「ゆき」と呼ぶのだと知って、私は恥ずかしくなって彼女は笑っていた。
どこかの喫茶店と同じ匂いがして、それは思い出せなかったけれど席に着くとすぐに落ち着いた。
注文したナポリタンが運ばれてきたが、味は薄くソーセージはまさかの魚肉ソーセージで一人でウキウキして合間にレモンスカッシュを飲んだ。幸は二階に合ったから、二人で窓の外を見ながらなんでもない会話をして、今となると何一つ覚えていないが、そんなのは覚えていない方が居心地が良いことは知っている。
幸を後にし、ブックオフに寄ってからホテルへ戻ってライブまでの時間を過ごした。ドキドキは徐々に強くなって、会場時間を少し回った頃、ホテルを出た。

きゅうから事前にめちゃくちゃホテルからライブ会場近いよと言われていたが、ホテルの自動ドアを出ると本当10秒ほどで到着して、その呆気なさみたいな感覚に楽しくなっていた。
近所を散歩していたら良いパン屋を見つけた、みたいなテンションでライブ会場へ入った。

先月のzeepよりも半分以下のキャパで、ステージとの物理的な距離はほとんど変わらないはずだったが、すごく近くである感じで胸の骨と骨の辺りがギュッと一瞬痛んだ。
照明が一度暗くなり、淡い灯りの下でカネコの顔が見えると、さっき抱いた痛みからステージに向かって伸びて、その痛みの線は杭で打たれて離れなかった。その線自体は強固であるのに、痛み自体には脆さが潜んでいて、それは音楽や詩によってざわついたり、共振動を起こしたり、涙腺にまで繋がることは少なくなかった。
どうしても曲の中で盛り上がる箇所では、その衝撃を押し返すように手を挙げたり叫ぶことはできず、一度ウッとなり自分の深部や骨に響いて、胸の痛みは大きくなる。
日常での痛みをここでは開け放して良いような気分だ。例えば治療のために歯を抜くような、明るさに向かう痛み。
どうしても、悲しくても、どこかの痛みを思い出しても嬉しくなった。隣にいるきゅうを横目でふと見るとニヤニヤしていて、やっぱりそうだよねときっと私もニヤニヤした。
ライブが進むにつれ、会場の隅々まで熱気が支配し、カネコは後ろ髪をグッと持ち上げていた。
「さびしくない」の「さびしくない さびしくないよ」は脆い強さと思っていたのが、自分の中ではずっと引っかかっていたが、この長野のライブで再見して、カネコはさびしいことを知っているから、さびしくないんだというような気がして、自分勝手に納得して、また胸は痛み、ジワリとしたものが底から込み上げてきた。

ライブ会場を出て、一度ホテルに戻り、またすぐに街へ出た。お店に向かう道中は、自然と会話はなく私はもちろんライブのことを考えていたし、きゅうもきっとそうだと思った。
10分ほど歩いて「バックドロップ」というカレー屋に入った。普段お酒を飲まない二人だけれど、そろってビールを注文し乾杯した。ジャスがずっとかかっている店内で、すぐに言語化が苦手な私たちは溢れでる感覚を、擬音多めで話し合った。
カレーは美味しいの前に安心を感じる味で、大きく息を吐いてしまうと、もうどこへも行きたくなかった。
それでも時間はなぜか過ぎてしまうもので、ホテルに戻ってお互いに浴場へ向かった。
体を洗って、露天風呂があったので浸かってはみたが雨が降っていて、すぐに出た。

部屋へ戻って眠くなるまでカネコアヤノのライブ映像を見て夜を更かした。

普段から早起きなきゅうは、私が起きるとすでに身支度のほとんどを終えていた。私が歯磨きだけを済ませると朝ごはんを食べにホテル内の食堂へ行き、信濃そばを食べた。
部屋へ戻ると、満腹で眠くなってしまうがなんとかして準備をし荷物をまとめて9:30ごろにチェックアウトした。
長野駅をフラフラしてドトールへ入り、列車の時間まで過ごしていた。
朝から感じていたが、やはりきゅうはさびしいと言った。友達と会うといつも別れ際さびしくなるらしい。これだけさびしい感情を知っている彼女なら、さびしくないことも知っているのではないかと昨日のカネコアヤノと共に思い出していたが、それを説明することはできなくて言わなかった。(そしてこっ恥ずかしい)それにさびしさは消えないものだ。
私も長野散策しないでもう帰る、と言い出していたがきっと古本屋を巡っていることだと思う。

改札で、またねとハイタッチして別れて私は列車に乗った。
きゅうにもらった本を読んでいたが、人が多くて集中できずカバンにしまって、車窓を眺めると山の間だけに雲がかかっていた。
長野を離れるとすぐに自然に溢れて、見惚れているとなぜか正面に座る老夫婦がこちらを楽しそうに見ていて、その後その老夫婦は立ち上がった時やっと私の背中にある車窓の外を眺めていることに気がついて、その視線に気がついた私の隣の欧州青年も携帯で写真を撮っていた。
列車は高いとこを走っていたようで車窓の外にはどの町かわからないけれど、平野が一面広がっていて、影が見当たらない町はやけに穏やかに見えた。風も吹いていないし、町の中心に建つ大きな建物の黄色い屋根が煌めいていた。
私も眺めているとゆるっと列車はスピードを緩め停車した。
駅の名前は姨捨という名前の駅で、松本から長野に向かう高速できゅうと「姨捨なんて恐ろしい地名だ」なんて言って通り過ぎ、その瞬間の弱まりつつ雨と向こうに広がる山々の雲の景色を思い出したというよりも網膜に映ったのだった。

列車の中で少し眠ろうと思ったが、眠気はどこかへいってしまっていてこれを書いている。
まだ3時間ほど列車に乗っているからまたウトウトしてみようと思う。帰ってから映画を見るからそのために。




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