ある処、

朝から蝉が鳴いている。
ジリジリと私の中に積もっていく。6Pチーズを二つ食べ三つ目を手にしているところ。まだ10本ほど残っているアイスキャンディーは全て液体になっていて、カラフルでシンプルなその箱は見るだけで気分が下がるほど濡れてしなっていた。
今朝、冷蔵庫が壊れていた。赤く腫れ日焼けのようにヒリヒリする瞼を思いっきりつねった。


 彼はよく嘘をつく人だった。
初めて友達の紹介で会った時彼に仕事を尋ねると、「ファミマって行ったことありますよね?お店に入った時に流れるテレテレテテ〜、テテテテテって音あるじゃないですか?恥ずかしながらあれ僕が作ったものでして。そういう仕事してます。」と答えた。音楽系ですねと返すと、彼はまあ一応そうですと自分の鼻を軽くつまんだ。
得意なことを尋ねると、「ん〜特技が〜、難しいですね。あ、スーパーとかのレジでどこのレジが1番早く進むか瞬時にわかります。」と答えた。コツはあるんですかと尋ねると、野生の勘的なものなので上手く説明はできなんですと彼は机の下で膝あたりを掻いていた。

彼はおもちゃメーカーの営業をしていたし、その後彼とは一緒になって生活していく中で数えきれないほどスーパーに行ったが、彼がここという列は店員さんと常連の年増な女性が雑談を始めたり、若葉マークのある店員さんが釣り銭が切れて焦っていたり、バーコードのついていない商品をカゴに沢山入れている人がいたり、一度も効率の良い列に並べたことがなかった。
ただバラバラな人達の中で、街の一部でその流動的な変化を見ながら彼と列に並んでいる時間が私は割と好きだった。バーコードがスキャンされる安っぽい高音の間に街と私たちが埋まっていた。

 私は彼の他愛もない嘘が好きだった。日常に溢れて溶けていく嘘は硬く丸い鉛のような感覚をふわっと軽くしてもらったし、嘘が心の浄化にもなっていた。

 彼はあまり同じ嘘はつかないが、「前世の記憶がある」という嘘は何度かついた。

「僕は前世1999年夏に人類滅亡すると思っていた。ノストラダムスの大予言を何よりも信じていた。絶望感はなかったんだよ。終わりまでが分かっているのであればそこに向かって人生をまとめていくだけで。ただ1999年になる前に事故で死んでしまって。割増のタクシーに轢かれたんだっけ。で、その後少しの間赤白い空間に浮遊してた。ある瞬間にね、パッと白い光に襲われて苦しくなったんだ。新しい命として1995年に生まれたんだ。だけどね、あと4年もしたら死ぬんだからいいやって。でも人類は滅亡しなかった。絶望したんだよ。そこから僕の人生は余生なんだ。」

 彼は人生に無頓着で無関心で、喜怒哀楽が欠損している理由をそう言って誤魔化していた。

 そして昨日私は彼に振られた。その理由も何度も聞いた嘘だった。

「僕の人生は余生だから君を大切にできない。君が初めてのものを経験した時とか、底なしに楽しかった時にキラキラしてる姿が辛いんだ。君にとっての大切な時間が僕にとってはどうでもよくて、君がこれからの話をしたり今までの話をするとイライラするんだ。君はとても素直で優しくて僕にとって大切な人で、だけど好きだけど、なんだけど愛するがわからないんだ。もうどうでもいいと思っちゃって、真っ直ぐな君の感情がムカつくんだ。」

 昨日、彼に別れを告げられた。
アイスキャンディーを片方に寄せ反対側から少しだけビニールを開け、口の中に勢いよく流し込んだ。彼がいろんな味が楽しめるからと好んで買っていたアイスキャンディーはいつも葡萄だけが最初になくなっていた。
彼がお酒のアテで買ってくる6Pチーズはいつもベビーチーズだった。

そこの公園で暇だったから花を摘んできたんだ。

愛してる。

死ぬ前に走馬灯見るっていうけど僕の走馬灯は丁寧に盛り付けられたコロッケだった。

会いたい。

さっき君の家に向かう途中に歩いている犬が電柱にぶつかるのを見たんだ。

ずっとこのままがいいな。

 彼はよく嘘をつく人だった。

 今朝、冷蔵庫が壊れた。よく考えれば私は自炊もしないし、飲み物も常温のほうがいい。冷蔵庫が全て空になったら日用品でも仕舞う棚にしよう。生温い風が下から吹いて、そちらに目をやると苦しいほどの白い光が床に反射していた。窓を閉めるために立ち上がったら、少しくらっとして静止した。揺れるカーテン、外から聞こえる蝉と登校の声。先に近くのテーブルの上にあったリモコンでエアコンをつけてから窓の方へ向かった。

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