学びは等しく開かれているらしい

自分は小学校受験をしたので、幼稚園から塾に缶詰になって問題を解いていた。
幼稚園児なので、数式や文字を使った「勉学」ではないものの、イラストや図形を使って関数を示したり、算数の基礎的な概念は学んでいた。「1つのりんごを、この箱に通すと、4つのりんごになって出てくる」みたいにイメージしてもらえればよい。

私はこの関数の問題がかなり苦手だった。ルールがよく分からなかったのと、そのルールがほかの場所にも適用できるという概念が理解できなかったからである。
一方で、幼少期はよく本を読んでいたので、いわゆる「読解」のようなものは得意だった。
そのため、「算数は苦手で国語は得意」いわゆる文系であると自負したのも早かったし、周囲から文系として扱われたのも6歳ごろと早かった。

それからというものの、常に自分は理系科目に対する苦手意識が先立っている。3科目で受けた高校受験では、最終的に「数学は捨てて英語と国語で100点を取れ」という戦略に切り替わった。受験期に最も時間を使ったのは数学の勉強だが、それでも伸びた点数は微々たるものだったように思う。(10点->40点程度)

通った大学はリベラルアーツを重視していたので、専攻にかかわらず、あらゆる科目を受講する権利があった。せっかくなので、苦手な理科系科目を複数受講し、慣れない実験やレポートを書いた。
どの教授も、せっかくのリベラルアーツ大学なのに文系生徒が理系科目を取らないことに嘆き悲しんでいたので、受講している我々文系生徒にとてもやさしかった。

大学の入門授業ではじめて実験が楽しいと思ったので、生まれ変わったら理系人材になってみたい, 今の自分は自他ともに認める文系(かなり理系ができない)だからと伝えた。
教授からは、今からでも遅くはない、いかなる専攻でも科学的アプローチは大切だし、これらの楽しさは誰に対しても等しく開いている、文系が得意であれ理系ができないと言った過去の教師は合っていない、というようなことを言われた。

とのことだったので、大学在学時は高校数学をやり直した卒業後は新卒で数字を扱う仕事に就くことにした。本の嗜好も広がった。毎日楽しい。教授には感謝している。

ふと思い立ったので、通勤電車で書いた。文章の推敲はしていない。

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