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未だ、人間ではない

「さぁ、人間になりましょう」

────若き日のキルケゴール(「死に至る病」の著者)の口癖だったと云う。


彼が指した人間とは、なんだったのだろうか。
人間とは何か、という問題は、生物的なものか哲学的なものか、はたまた思想的なものか。
その幾つかで答えは変わるし、また、答えが無くなる。

概念や思想、哲学は各々個人で答えを持つといい。

そしてわたしの答えは、わたしは「未だ、人間ではない」だ。

キルケゴールの時代。子供は「小さな大人」であった。庇護の対象ではなく、大人の出来る事が出来ない「大人」であったのだ。
現代の「子供」は「大人」と同等の権利を与えられない存在だ。
人生経験も知識も、時に腕力もない子供を大人のように扱うのは、全くもって不自然な扱いであるとされている。
だが、権利を有さない事が却って(不当な契約を無効にしたりなど)子供を守る事に繋がっているので、一概に権利を与えよとは誰も思わないだろう。

だが、子供扱いするということと、子供を支配すると云う事をはき違える「大人」は後を絶たない。
とても不思議な事に、大人は自分が子供だった頃を往々にして忘れてしまっているのだ。
支配者がいる場合、子供はやがて主体性を失い、永遠に「子供」のままになる。

この世界を生きるためには、大人としての権利が必要だ。賃貸契約も金銭的な契約も、また公的なサービスを受けるためにも必要な時がある。
人間としての生活を送るためには、子供のままではいられない。社会を生きるための「名義」が必要なのだ。


────子供は人間じゃない。


子供(未成年)のころ、わたしが思ったことだ。
何もできなかった。
家族から逃げるための算段を計画していたころ、様々な逃げ道を探していた時「子供」には何もできなかったのだ。
人間ではない、「子供」という存在。よりよく生きるための権利のない存在。

家庭というぬるま湯のような地獄にいる人間にはとても解り易いと思うのだが、「逃げる」際にどうしても大事にしたくないのだ。
所謂「子供向け」のシェルターは当然社会には用意されているが、その場所を頼れるほど家庭が崩壊していない場合は、そのシェルターはきっと地獄へ再送するだろう。

その時の事を考えると、どうにも手が出ない。出来る限り自分の力だけで穏便に逃げたいのだ。
苦しいなら使えばいい、と外野は簡単に云うだろうが、何かあった時にケツを拭いてくれるわけでもない。気の狂った家族が包丁を持って現れたとしても、刺されるのは「人様に迷惑をかけて恥をかかせた」わたしだ。

そこまでいかなくても、殴られるのも目の前でなじられながらめそめそと泣かれるのも、わたしだ。
状況を理解しないままの解決策など、机上の空論でしかない。

そう考えたときに「逃げ」の手段は子供だと殆どなくなる。
友人の家を転々とするにも限度があるし、警察にでも行かれたら未成年というだけで自主的な感情は排除されて友人に迷惑が掛かるのだ。

本当に不思議な事だが、「子供」が逃げるそぶりを見せると途端にめそめそと情に訴えかけたり、如何に愛情をもって接しているかを示してくるのだ。とても不思議である。そんなもので取り返せるものではないのに。

かといって未成年では賃貸を契約するにも親の名前が必要になるし、通帳も、保険証も親の名前が入っている。

病院に駆け込んでメンタル的な問題で入院させてくれと言うにも、保険証を渡さない親であったらその権利すらないのだ。
全く厭な話で、未成年は望むにしろ望まないにしろ「おおごと」にならなければ救われないのだ。

故に、私は大人になってから逃げた。

とても単純な事だが、仕事を理由に家から出たのだ。

ただ、新生活という波乱の中極力面倒ごとを避けたかったため、きちんと住所も教え、何度か家にも招いた。わたしの場合だが、この時未だ通帳が握られていたからである。それに、新社会人には何かと「実家」が付いて回る。面倒な話だ。

実際のところ、完全に駄目になってひと月ほど強制入院やらしていた時期はあったのだが、面白い話でもないので割愛する。

そんな事も含めて、数年かけてわたしが「外」にいる事に慣れさせて、いよいよ通帳を取り返してから、逃げた。

引っ越し先を告げずに引っ越したのだ。

そこでもひと悶着あったが、引っ越した後は連絡をとらなければいい。

警察も成人した者の失踪届は滅多に受理しないし、そもそも正式な転居届を出しているので「探してますよ」と云われても「居場所は教えないでください」で問題ない。わたしの場合は問題なかった。
億劫ではあるが、解決できない問題からは逃げるしかない。
縁を切るという手段しか、もうないのだ。

と、言っても姉妹とは連絡を取っている。同じ親から生まれたのだから、わたしの場合は歴戦の友である。

ただ親戚の葬式には行けないだろう。祖父母やら、叔父や叔母。田舎だから親戚は多いが、そのすべて、当然ながら鉢合わせの危険性がある。
厭な目に合うと解っていて参加するのは難しい事だ。

死人には悪いが、生きている自分の人生を大切にさせていただこうと思う。

こうして逃げて、今わたしは、人間である。

全て自分で決めるし、生きる権利を手に入れた。
きっと逃げなければわたしは、「子供」のまま。何をするにも許可を必要として、娯楽の一つも自分で選べなかっただろう。

酒や煙草、時には性的な快楽に逃げる「子供」に、「人間になりたくないか?」と囁いてしまいそうになる。
わたしはすっかり悪い大人になった。

人間になりたいなら簡単だ。

身分証周りを整えて、家を出る。そうして「自分」の権利を取り戻したら、また引っ越すのだ。今度は何も告げずに。
人間になるために、おおよそ八年かかった。四捨五入したら10年だ。

それくらいかかるし、正直なところ、未だに魘される。未だ、清算し切れていないと気づかされるたびに、人間という自信がゆらぐ。

きっと夢にも見なくなったら、もっと自信をもってわたしは人間になったと云えるのだろう。
否、本当に「人間」になったのならば、自分が人間であるか自己問答を繰り返す必要も無い。そこを目指していきたい。



人間になる方法は簡単だ、と言い切ってしまったが、これは家族を捨てると云う事だ。
どんなクソやろうが相手でも、躊躇を覚えるのは当然だと思う。

苦しいだけの思い出なら、きっと憎むだけで耐えられるだろう。
だが、ほんの少し、夕闇の残光程の細く濃い、「幸せだった思い出」がわたしたちのような人間を苦しめるのだ。

辛いだけなら、耐えられる。
ほんの少しの幸福な思い出が、そうさせてくれない。

それに、記憶とは本当に面倒なことに、悲しい記憶よりも楽しい記憶を選んで残すのだ。そうしなければ生き難いからである。
そうだと解っていても、きっと「孝行できない自分」を責める事になるだろう。

家族とはなんと、厄介なものか。

何を選んでも、ふとした瞬間に苦しむのだ。
だがその苦しみは、何を選んでも、あるものなのだろうと思う。

死ぬまで自分の人生を取り戻せないまま、自由を想像して苦しむか、自由を手に入れて思い出のなかで苦しむか。

捨てても、捨てなくても。
後悔というものはそういうものなのだ。


こんな人生が死ぬまで続くなら、捨ててしまったほうがいいと思い切るのも時間がかかった。
だがわたしは、わたしの選んだ「人間」の定義を掴んで、逃げた。

そして人間になった。

数百年前の思想家よ、どうだ? これが私が選んだ人間だ。

悪くないだろ。

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