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退職届を出してから思う、自分にとっての天職とはなにか

仕事を辞めてもうすぐ1ヶ月が経つ。
農家の嫁という名だからみんなは私が農業をしてるのかと思ってる人も多いと思うけど私は別の仕事をしながら農園のSNSや販売を"手伝っていた"だけだった。

なぜなら私は1ヶ月前に辞めた前職を自分の天職だと思っていたから。
本当は辞めたくなかった。悩んでる時間もなかった。

でも決して仕方なく辞めたわけではない。これは私が自分で決意して仕事を辞めた話。

退職届は覚悟の証だった。


高卒で社会に出てすぐに入った職場がアパレルの販売員だった。元々アパレル店員になりたかったのかと言われたら決してそうではなかった。


小学生の頃、絵を描くのが好きだった私は漫画家になりたかった。毎日絵を描いて、毎日漫画を描いて、誰に見せることもなく自分1人で楽しんでいた。そのうち、漫画を描くのは恥ずかしいことだと自分で思い込んで描き溜めていたノートを全て捨ててしまった。その時に漫画家という夢も一緒に捨ててしまった。

高校生の時になりたかった職業はパティシエだ。お菓子作りが好きというのもあったけど、歳の近いいとこがお菓子の専門学校に行って、可愛くて美味しいお菓子を作ってる姿を見て憧れたからだ。早いうちから色んな専門学校へ見学へ行き、行きたい学校も決めていた。ところが高校3年生の夏にある出来事が起きた。

自営業をしていた実家が倒産したのだ。

もちろん親はやりたいことやってほしいから自分が行きたいところへ行きなさいと言ってくれたけど、私はただただ親に迷惑をかけたくなかった。どうすれば1番良いのか、それだけを考えた結果専門学校へ行く道は諦めてしまった。

ただこれは親のせいで夢を諦めたわけではない。この出来事は私に周りを見るきっかけをくれたのだ。
私は一度決めるとなかなか自分の考えを変えようとしない頑固者なので、パティシエの道しか見てなかった。でも、よくよく考えると専門学校に行ってしまったらもう将来その仕事しか出来ないのではないか?もしお菓子作りが嫌いになったら?せっかく高いお金を出して専門学校へ行ったとして、その職を辞めることになったらお金は無駄になってしまうのではないか?そうなるとお菓子作りは趣味でもいいんじゃないか?

私のパティシエという夢はその程度の夢だった。

高校を卒業したら就職しよう。そして自分のお金で家を出よう。それがきっと1番親のためになるはずだ。

高校3年の夏の進路変更。先生もびっくりしていたが、自分で決めたことだ。毎日進路相談室に通い求人を見ていた。色んな職種があったが特にやりたい仕事があったわけではなかった。たまたまアパレル求人の中に好きな洋服屋さんがあった。

バイト代がほとんど服代で消えるほど服は好きだったし、可愛い洋服を来て、コーディネートを自ら考え、お洒落なキラキラした世界に憧れもあったので私はそのアパレル業界に就職を決めた。


アパレル店員は想像していたよりずっと厳しい世界だった。
高校生の時の楽しかったバイトとは大違いで入って3日で辞めたくなった。正社員って、仕事ってこんなに大変なの!?って思った。
何より店長が死ぬほど怖かった。顔はめちゃくちゃ可愛いのに、鬼のように怖かった。18歳の世間知らずなクソガキだった私は怒られてばっかりだった。でもクソ生意気は私は店長の声が小さくて怒られてる内容が全く聞こえていなく、なんて言ってるのかわかりませんなんて口答えして更に怒られていた。
接客の仕方なんて教えてもらわなかった。服の配置なんて教えてもらえなかった。全て見て覚えろ、真似しろの世界だった。コーディネートなんて自分の感性でしかなかった。(他のアパレル業界のことは知りません)幸い、店長以外はとても優しい人達だった。

怒ると怖い店長も、ちゃんとやれば褒めてくれた。褒められたのが凄く嬉しくてお調子者な私はそれだけで仕事を頑張ることが出来た。
順調に仕事も覚えていって、絶対嘘をつかない接客をポリシーにお客様に誠実に接客対応をしていたら顧客も増えていき、仕事にやりがいも出来てとても楽しかった。

アパレルは天職かもしれないと感じていた。

20歳になった年、私は他の店舗に店長として異動になった。その会社の中でも最年少店長だった。その時に決意したのはただ一つ。絶対あの時の店長のような店長にはならない。お店の子達が働きやすく、楽しいと思える仕事にしよう。
まずシフトを変えた。土日は必ず出勤しないといけないルールを破り、月に1回はお休みを入れるようにした。マネージャーから速攻で怒られたが予算取ればいいでしょとまたクソ生意気な事を言った。
そして接客の仕方を丁寧に後輩に教えた。服のディスプレイの仕方も教えた。私が下だった時に嫌だったことを全て教えてお店の子ともうまくいってると思っていた。

県外の店舗ということもあって予算も高くはなかったが宣言通り毎月の予算はクリアしていた。私を追いかけてわざわざお店まで買いに来てくれる顧客もいた。

順調だと思ってたその時問題が起きた。
18歳のいくら教えても計算が出来ない新人の子に、えー馬鹿なのー??っと笑いながら言った言葉が問題になり、私のせいでやめたいと言い出したのだ。
そんなことで…!!??と思ったけど本人はとても傷ついたらしい。傷つけてしまったのか…と反省して謝ったが、その子は突然EXILEの妹分のグループオーディションを受けると言って辞めていってしまった。後にデビューしたE-girlsにその子の名前はなかったのでオーディションには落ちたのだろう。

その後また店舗が異動になったり、最終的にアパレルの仕事や接客はめちゃくちゃ楽しかったのだが、あまりにも低い給料(4年いて手取り13万※服代込み)と休みが取れない勤務形態に嫌気がさしたのと、他の仕事も経験してみたいとのことで22歳の歳でアパレル業界から抜け出した。

有休期間の間に転職活動をして、一発で次の職場が決まった。

地味に憧れていたOL、オフィスレディの仕事だ。なんだかかっこいいIT企業というくくりに就職が決まった。
パソコンも持っていない、触れたこともないのに採用されたのは全然意味がわからなかったが頑張ろうと思った。同期が1人いたが信じられないぐらい頭が悪くてびっくりした。上司がかっこよくてときめいたが既婚者だった。

初めてのパソコン業務、訳もわからないことも多かったが、教えられたことは着々とこなしていった。同期は要領も悪かったのでずっと怒られていた。毎日毎日同じ作業でつまらなすぎて、嫌味な上司、プライドの高い上司、冷たい上司、馬鹿な同期、唯一優しいイケメン上司を抜かして全員嫌いで、環境全てが嫌だった。アパレルの時は皆女性だったが、今回の職場は私以外皆男性で、生理の時とか最悪だった。

色々我慢しながらも頑張って働いてるのに、嫌味な上司に「あなたこの仕事向いてないよ」って言われて、こんなクソみたいな会社にこれ以上残っててもなんの意味もねえなと感じ、3ヶ月で辞めようと思ったけどイケメン上司が引き止めてくれたので1年は頑張って、限界がきたので辞めた。イケメン上司に幸あれ。

半年のニート生活はあっという間に過ぎ、貯金も底をつきそうだったのでアルバイトをしながら就活を始めたが20社以上受けても全然職が決まらなかった。

やっぱり自分には接客業が向いてる。そう思って接客業を探すが土日休みのところなんてない。給料も安い。病院の受付なども見るが、高卒でとってくれるところも中々ない。この時初めて高卒の厳しさを実感した。
もう勉強には興味がなかったので大学に行く気はさらさらなかったのだが、高卒な時点でそもそも色んな仕事に就く資格すらないんだなってとても後悔した。
大学はただ勉強する為だけじゃなく、生きやすくなる資格も手に入る場所だったんだ。

就活に絶望しかけていた時、友達から連絡があった。

「私の母の職場で人探してるらしく、嫁ちゃんの話したら会ってみたいって言ってるんだけどどう〜??」

藁にも縋る思いだった私はどんな仕事かもわからないまま「是非!!!」と返事して会う事になった。


「接客業で日祝休みで他シフト制で19時半上がり!?そんな良い話あるわけない!!!」

仕事の話を聞いた時に私が放った言葉だった。
その仕事はスポーツインストラクターで、しっかり研修もあるし、運動が苦手でも接客が出来れば大丈夫とのことだった。

一度見においでと言われたので見に行ったらとても良い雰囲気のお店だったことを覚えている。面接らしい面接はなかったけど社長に気に入ってもらえてすぐ働きなよと言ってくれたのでそのまますぐ働く事になった。

まるで広辞苑のような厚さのマニュアルを渡され、覚える事がすごく多かったのだけど、ほんとに休みはきちんとしていて残業もなくて、給料もアパレルの時と比べて凄く上がったので最高な職場だった。
研修もすごく充実していて人間的にも成長させてくれた。

お客様に誠実に対応すればとても感謝され、自分達が頑張ればその分しっかり給料として返ってくる。やりがいもあって、毎日仕事が楽しかった。
誘ってくれた友達に感謝するほどこの仕事が好きになった。

1年で店長になり、新店舗の立ち上げもした。
辛い事もたくさんあったけど、悔しくて泣きながら帰ったこともあったけど、それでも仕事を辞めたいと思ったことは1度もなくて、この仕事こそ私の天職だと思った。

そして気がつけばアパレル業界にいた4年をあっという間に越していて、この仕事を始めて6年が経っていた。

ずっと続けると思っていた仕事を、結婚で引っ越す事になり辞める事になった。
フランチャイズだから県外にもあるし、引っ越し先の近くにあればそこでまた働こうとそう思い、泣く泣く仕事を退職した。

引っ越し後、私はまた同じ職に就いた。
違う会社な為とまどうこともあったけどすぐに馴染みやっぱりこの仕事が好き!!となった。

それと同時に夫の農園のSNSを始めた。個人的にこのnoteも同じ時期に始めた。
時短だったし、時間もあるのでそこまでは大丈夫だった。農園が軌道に乗り始めるまでは私は私で仕事を頑張ろうと思っていたのだ。

ところが嬉しいことに農園のほうが凄く忙しくなり、夫1人じゃ回らなくなってきた。早かった。想像より5年ぐらい早かった。ありがたい話も沢山きた。でも私は今の仕事を辞めたくなかった。両立したい。でも休みが取れない。会社が変わって好きに休みが取れなくなっていた。

辞めたとして、ちゃんとした収入源がなくなるのはキツくない?うちは果樹農家だから毎月売上が立つわけじゃないし、私だけでも毎月安定した給料が入った方がいい。
でも、現に仕事が沢山きてるのに私が休みが取れないせいで断る事になってしまう。

こんな良い話を断っていたらもう2度とチャンスはなくなってしまうかもしれない。

ずっと悩んでいた。好きだから続けたい仕事と、夫を応援したい気持ち。一緒の船に乗る覚悟。

夫は辞めて手伝って欲しいとは言わなかった。嫁ちゃんが続けたいなら続ければ良いと、辞めたいなら辞めても良いと言ってくれていた。

休みが取れるなら辞めたくない。それが本音だった。なのでまずはそれを職場に相談した。
東京の職場だったら融通が効いたかもしれないけど、ここでは私はまだ数ヶ月しかいないので信頼もなにもなかった。だからキッパリとそれは無理だと言われてしまった。

そして私はついに覚悟を決めて仕事を辞めることにした。


天職から離れる。これ以上好きな仕事には出会えないかもしれない。安定もない。でも、だからこそ覚悟を決めてがむしゃらに夫の仕事を自分の仕事にしていこうと思えるようになった。

少し前からデザインの勉強を始めて、デザイナーとしての仕事も少しずつもらえている。
ユーザーの思いを汲み取って、より良い作品を作ることは接客と同じだった。完成して喜んでもらえる。あなたに頼んで良かったと言ってもらえた。凄く凄く嬉しかった。次はもっと良いものを作ろうと勉強も自然と出来た。
あれ?気付いていなかっただけで、私デザイナーも向いているのでは?

キッチンカーで販売して美味しいと喜んでもらえた。SNSで発信して新しいお客様にうちの商品を買ってもらい喜んでもらえた。イベント販売ではわざわざSNSを見て買いに来てくれた方がいた。

とても嬉しかった。しかもここには上司もいない。制限されることもない。何もかも自分で挑戦できるんだ。挑戦出来るのは私の得意分野だ。失敗したらその分自分達に返ってくるけど、挑戦し続けることが出来る。

ああ、そっか。天職って今までの自分の経験の積み重ねなのか。
これからこの仕事を天職だって言えるようにしていけば良いのか。

私は接客も営業もデザインもSNSもマネジメントもできる!!!!!(ついでにnoteも書ける!)飲食店でのバイトだって、嫌味な上司で鍛えたメンタルだって何もかも無駄なことなんてひとつもなかったんだ。

退職届を出してから良い話が沢山舞い込んできた。これはきっと運がこっちに向いている証拠だ。チャンスは絶対逃さないで、自分で掴んでいくしかない。

しかもね、小学生の時に夢だった漫画だって今イラストの仕事も少し出来てる。パティシエだって、自分で作らなくても飲食店と繋がってお菓子を出したりキッチンカーという自分のお店を持つことも出来た。

そしてね、推しが私たちの晩白柚を買ってくれた。

こんなこと普通に働いてたら絶対ないことだった。

このnoteを書くのに随分と時間がかかってしまったけど、これは私の覚悟の証として残したいと思う。見ててください。これからもめちゃくちゃ頑張るのでどうぞ応援よろしくお願いします!!!!

(面白いとおもっていただけたらスキ♡を押してもらえたらとっても嬉しいです!!)


仕事ください!!!!!待ってます!!!!

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