塩入冬湖が大好きだ

私の大学時代はFINLANDSと塩入冬湖で創られたと言っても過言ではない。人生でこれ以上好きになることはないだろうという人に出会えた21歳、死にたくなるような地獄の日々と隙間に差し込む天国のような快楽の中で、いつもそばに居てくれたのは彼女たちの曲だった。そこにはいつも私と彼が居て驚いたし、彼と渋谷のクアトロへライブも見に行った。彼はライブに慣れてるのか慣れてないのか、先にもらったワンドリンクの空きカップをどこに捨てたり仕舞ったりすればいいのかわからないらしく、ライブ中ずっと足元に置いていた。その時はBIのライブだったから、帰り道「あのMC、完全に『勝手に思って』の入りだったね、すぐわかったよね」と話した。そのチケットはなぜか元々私が2枚買っていたし、行く前日に喧嘩してラインもブロックされたため、私が彼の家の前まで行って下の花壇にチケットを置いておいたら雨で飛ばされて結局もう一枚買って、「そんなに俺と行きたいの?」と言われながらも一緒に行くという、よくわからないことをしていた。それほどまでに好きだったし、溺れていた。そんな私を周りは心配したし、私も辛かったのだろうけど、そんな時にはいつも塩入冬湖の声と歌詞が支えてくれた。トラウマにもならない恋ならば要らない。そんな強いような馬鹿なような気持ちが、私の心に刺さってから、今でもずっと、彼女の曲が好きだ。結婚して出産したというニュースで、私はなぜか救われた。結局私は彼と結ばれることはなく、お互い別の人と付き合っている。今は連絡手段もないし、思い出さない日も増えた。それはとても悲しいことなのか、それとも当たり前のことなのかは分からないけれど、少しずれた世界線で、塩入冬湖は、あの散々な歌詞のモデルになった男性と、結ばれた。私はそれが、なぜかとても嬉しかった。これからも、彼女の歌を私は聞くんだろう。感傷に浸ったり、この歌はそんな好きじゃないなとか、これいいなとか思いながら、過去を思い出したり、未来に向かって力をもらい続けるんだろう。そしてそのうち、聴くのをやめたとしても、私の血のどこか、遺伝子に何かしらのカケラが、きっと残ってしまっている。

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