不満を取り払うための
加速
そろそろ恋人と同棲の話が始まって、そろそろ二人の生活なんかも視野にいれて、そろそろお互いの親にも話して、そろそろこれからの未来が二人を前提にして進むものだと思ってた。
そろそろ一緒に暮らし始めたいな、と伝えたら、彼は転職を考えていて、だから今は二人での生活を始めることは考えられないと言う。
本人の人生である。仕事のこと、お金のこと、これからのことは本人の気持ちが尊重されるべきなのだから、そこを私がとやかく言うことはできない。もちろんしない。だけど、近くあったかもしれない二人の未来に突然霧がかかって、急に不安になったのだ。私たちは仲が良い。いつかは一緒に暮らそうね、と偽りなく言う彼に「いつになったら?」という言葉が口から出そうになるのを必死に抑える。彼にプレッシャーはかけたくない。けど、でも、いつになったら?と言いたくもなる。
見えぬ未来の不満を取り払いたくて、バイクに乗る。
バイクに乗っている時は何も考えられなくなる。ただただバイクのエンジンの鼓動を感じながら、視界を流れる景色に集中する。何も考えずにいられる。
加速すれば思考は止まる。
バイクの楽しさは中毒的である。走っている時に流れる景色、風を切る感覚、たどり着いた場所の光景、私は現実逃避するためにバイクに乗っているのかもしれないな、と気づく。
加速ばかりしていると感覚が麻痺するので、チューニングを合わせるためにたまに歩いて考えごとをするのです。
20代半ばの今が1番苦しいのかもしれないなぁと思う。生き急ぐ必要はないと思いつつも。
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