格差にまつわるエトセトラ①

どうも、のっちゃんです。

突然ですが、私は中高大を私立の学校に通っていました(正確には中高は地元の私立で、大学は地元を離れたのですが)。

しかし私の実家は、お世辞にも裕福とは言えなかったですね。外食という文化は私の家庭に存在しませんでしたし、唯一できる贅沢は私の誕生日に回転寿司へ行くことくらいでした。誕生日やクリスマスに友達とパーティーをすることすら、大学に入って初めて知りました。

そんな私にとって、私立の学校に通う生徒は皆所謂「お坊ちゃん・お嬢ちゃん」なわけで。学生時代には貧富の差を度々突きつけられました。

ということでこの記事では、不肖なれど私が若者代表として、現代における富の格差について言及してみようかと思います。面白話としても、あるある話としてもお楽しみくださいませ。

今回は大学時代の小話を一つ


私は大学進学を機に地元を離れたのですが、その条件が1つだけありました。
それは「生活費は全て自分で賄うこと」。マンションの家賃だけは父が払うが、それ以外は仕送りを含めて一切の援助ができない、というものでした。
私はその条件に納得していましたし、そうあるべきだとも考えていました。そのため初期費用の30万円だけを受け取り、希望を胸に抱いて単身地元を離れたわけです。

しかしいざ大学生活が始まると、想像の何倍も地味で暗い毎日が待っていました。とにかく生活資金が足りないので、一人暮らしを始めた翌日にはアルバイトの面接に行きました。その足で最低限の家具を買い、なんとか一週間生きられるだけの食糧を買い漁りました。
当然サークル活動なんてものはできるはずもありませんし、そんな金はどこにもありません。大学が始まっても、時間がある日はとにかくアルバイトに明け暮れました。空いた時間や大学の講義中には、こっそりクラウドソーシングサービスを使った副業もしていました。大学の教科書を安値で仕入れ、学期が終わった時に高値で転売したこともあります。
趣味にしていたゲームやCDも、生活費を捻出するために二束三文で売りました。手元に残った小銭を握りしめて、やるせない虚無感に襲われたのも覚えています。
就職活動が始まると、さらに生活はギリギリになりました。身なりを整えるにも、道具を手入れするにもお金がない。たった198円の移動費を惜しんで片道1時間を歩いたこともあります。食べるものがなくて、水道水だけで1日を過ごしたこともありました。

そんな生活をしていると、QOLというものについて全く考えないようになります。言わずもがなQOLはQuality Of Lifeなわけですが、当時の生活はQualityなんて知らないとばかりに、荒れ果てたものでした。街ゆくカップルを見ては劣等感を刺激され、休日に旅行をしている友人のSNSを見ては携帯をベッドに投げつけました。スタバのドリンクを片手に、美術館に行って文化的余暇を楽しんでいる人を見ると、言葉にできない憎悪が湧き出ることもありました。

就職活動が終わると、大学生活もほとんどやることがなくなり。アルバイトに時間を割くことができるようになりました。その結果徐々に生活は改善され、それなりの貯金をすることができるようになり、生活費に回せる資金も増えました。そうしてようやく、心の余裕を得ることができるようになったのです。
街ゆくカップルを見て「男の方イケメンじゃん」と思えるようになったり、友人をSNSで気軽に食事に誘えるようになったり……たった数ヶ月で、人はこうも変わるのかと、実感する毎日でした。

あれだけ忌み嫌っていた文化的余暇とやらも、過ごすことができるようになりました。鏡を前に服や髪型をあれこれ悩み、片道300円の美術館に足を運び、気になる作品を見て一人物思いに耽り、帰り道にスターバックスで抹茶ティーラテを頼んで、「今日はなかなか良い1日だったな」と思い返すことができる。大学生の誰もが経験するような余暇を、大学4年生にして初めて過ごすことが出来たのです。

結局のところ、金は全ての基本なのです。余裕のある人がモテるのは、金があって余裕が生まれるからです。友達のA君が毎日が楽しそうなのは、明日の生活を憂う必要がないほど金があるからです。

そんな当たり前で残酷な現実を、私は齢21にしてようやく知ったのです。

格差にまつわるエトセトラ 
Vol.1 ———齢21、何を知る———

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