自分が当たり前にやっていることほど実は価値があることなのかもしれない
自分では簡単にできることが、他人にとっては難しいということはよくあります。
何でそんなこともできないの?もっとこうしたら早いのに、と思うこともよくあります。
他人の仕事のやり方についてあれこれ口出しはしないようにしているのですが、例えばパソコン操作のショートカットキーを一つ知っているだけで、年間何百時間も時間短縮になる、ということはザラにあります。
口出しはしないのですが、もったいないな〜とずっと思っています。会社においてはそのまま、時間=お金で生産性を落としているのに。
例1)タイピング
キーボードを打つスピードは速ければ速いほどいいと思うのですが、1本指や3本指の人やオリジナリティあふれる指使いの人が居ます。もったいない。
(私は大学時代ハマっていたネットゲームでタイピング速度が自然に鍛えられました)
今どきのネットゲームはチャットではなくて、ディスコードとかなのかもしれませんが・・・
会社でキーボードを打つ時間の総量を考えた時に、少しの間苦労しながら正しいタイピングの方法を練習したとしても、すぐに元が取れる計算のはずなのに。
例2)トラックボール
トラックボールを使い始めて2年ほど経ちます。最初は右手で、途中から左手でも使うようになって、両刀使いになりました。
トラックボールのメリットは、長時間の作業でも疲れが少ないことと、机の状態に左右されないことですが、こちらも長期的にみた疲れの少なさ、生産性の向上が明らかに期待できます。
しかし、実際にトラックボールに移行する人はほとんど居らず、従来型のマウスを延々使い続けています。
人はなぜ変われないのか?
時間割引率という概念もあります。目の前のことの方がより重要に感じて、将来のことを軽視してしまう傾向のことです。
将来的な大幅な生産性アップよりも、今目の前で一時的に生産性が落ちてしまうことを嫌ってしまうのですね。
こうして理論的に説明できたからといって、納得して動けるかというとそういうわけでもないと思います。人って難しい。
じゃあどうするかっていうと、最初に戻るのですが、「他人には口出ししない」。自分の事例は示すけれど、
となります。
自分が簡単にできるものほど、他人にとっては価値があるのかもしれない。
自分ができてしまうことは普通のことなので何とも思わないのですが、それに対して悩んでいる人は大勢いるかもしれません。
自分のあらゆることを発信し続けることによって、どこかで繋がっていくといいな、なんて淡い期待を抱きながら、今日も頑張ります。(持ち帰った仕事・・・涙)
おわり