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自慢してもいい?私のイケてる友人と、その鮮やかな青春を。

小学生のころ、走るのが遅かった私は、マラソン大会に出たくなさすぎた。
手首でも骨折しようかな、と壁に手をゴンゴン打ち付けてみたこともある。けっこう痛かったのですぐやめたけど。

そんな私も、中学、高校と運動部に没頭し、すっかりスポーツのとりこになってですね。

スポーツから得られたことといえば数知れず。

あきらめない力、仲間、筋力、自信、コミュニケーション力…さまざまあるけれど…
私のスポーツ人生の中で一番存在感があるのは「志乃ちゃんのレシーブ」だ。

爆イケな志乃ちゃん


志乃ちゃんとは、かれこれ20年来の友人だ。
自分で言っておいてなんだけど、たった今「かれこれの年月」を数えてその数字の大きさにたまげた。
え、もう20年前なの?私が高校生だったのは。

高校時代に同じバレーボール部で出会い、大学生になり、社会人になり、お互いに母親になっても、うれしいことにずっと付き合いが続いている。
今はなんと、縁あって同じ市内に居住中。

会う時はよく、家族旅行のお土産をくれる志乃ちゃんは、"帰る直前"に渡してくれる。
私が持ち歩く時間が少ないように、との配慮だろう。
しかも必ず手紙も入ってる。好きだよ?

普段パンなど焼かない私が、買いすぎたドライイーストをおすそ分けしに行くと、ほぼアポなしの訪問にも関わらず志乃ちゃんは
「これ昨日作ってみたんだけど食べて~」
と、ミンネとかで高く売っていそうなオシャレ美味なアイシングクッキーを持たせてくれたりする。
なにこれすごい。気軽なお返しのレベルを遥かに超えてるじゃん。
志乃ちゃん今度これ、有償でオーダーさせてください。

文武両道で人望に熱く、頑張りやさんで、優しい志乃ちゃん。
人付き合いを大事にする人で、特に記憶力がやばい。
大学時代、100人くらいいる友達の誕生日や最寄駅、血液型などを覚えていて必ず当日にハピバメールを送っていた。
もちろん、みんな志乃ちゃんのとりこである。

情にアツい志乃ちゃんだが、決して自分を削ることはなく「ねぇ、授業のノート見せて~」と試験前だけすり寄ってくるようなヤツはばっさりと断っていた。そのため、誠実で気持ちの良い人ばかりが志乃ちゃんの周りに集まっていた。

友達に対する記憶力が化け物なので、なんと路線が違う私の終電時間も把握していたし私の大学学籍番号までも覚えており、困ったときにはサッと助けてくれる。
でも決して私を甘やかしすぎず、たびたび叱咤激励もしてくれた。
結婚式でお願いしたスピーチでは、私の黒歴史を涙と笑いに変換して披露してくれたよね。
なんなら、不まじめな大学生だった私へ、スピーチにて過去のお仕置きも兼ねるという、難易度高めな友情スキルを発動したりして、本当にさすがである。
あの頃は本当にありがとうございましたすみませんでした。

周りの人には手厚いフォローをしてくれるのに、自分のことには意外と無頓着なところが志乃ちゃんにはある。
飾り気がなく、化粧水や日焼け止めなどのスキンケアは長いことノータッチであった。
最近その話をしたら、志乃ちゃんは覚えてなかった。
え、「化粧水要らずのお志乃」って評判だったじゃん。
それなのに出会ってから20年間、ずっと輝くような美肌美髪を保っているし、誰に自慢するでもなく雑誌のような、センスの塊ハウスに住んでいる。
ほんと素敵なのよ。

欠点のないようなパーフェクトヒューマンに聞こえるかもしれないけど、もちろん志乃ちゃんだって人間らしいところはある。
つらいとき、つらいと言えるしめちゃくちゃ顔に出る。
高校のバレーボール部時代は、ちょっとひじをこすっただけで
「あーーーー!イタタタタ…」
と、顔をしかめて首をかしげ、超しんどそうにしていた。
監督からの指示が要領を得ないときには、
(は?)
と心の声が聞こえるくらいイラついた表情を前面に出していた。
あれはハラハラしたわ。

志乃ちゃんの人間らしくチャーミングなポイントは他にもある。
私と旅行に行くときには結構な割合で体調が悪い。なんでだよ。

2人で念願の屋久島旅行に行った時は2日間熱で寝込んでいたし、みんなで富士山に登った時は「高山病になっちゃった…はやく…はやく下山しなくちゃ」と、例の「私超しんどいです顔」で酸素缶を吸いまくっていた。
しかし下山しても体調は回復せず。志乃ちゃんは高山病ではなく、ただの風邪だったらしい。
日本有数のパワースポットでもダメなのかい。
大事な時に体調を崩してしまう志乃ちゃん、ここのところは元気にしていますか。

高校デビューはインパクト重視

そんな志乃ちゃんと私は、高校時代にバレーボール部で出会った。
ドキドキの高校デビュー、新入部希望者たちの自己紹介。
志乃ちゃんの第一声は、

はじめまして!!私のことは、"ともぞう"って呼んでください!

斬新なあだ名をいきなり披露されて、一同ざわついた。

え、なになに、どうした。

あのう、もしかしなくても、ちびまるこちゃんのおじいちゃんではないですか?
これから高校生の青春を謳歌しようという女子の自己紹介が、日本で最も有名な老人の1人の名でよいのかな。
(最近は私たちも大人になったので、親御さんが下さった素敵なお名前で、志乃ちゃんと呼んでいる)

あだ名ひとつでみんなの心をわしづかみした志乃ちゃんの第2声は、

『がにまた』がチャームポイントです!

チャームポイントの矛先すら斬新。
でも本当にキレイな『がにまた』に惚れ惚れしたものだ。

さらに入部後の志乃ちゃんといえば、なんだか独特な語彙センスの持ち主で、よくみんなを和ませていて、こんなこともあった。

チームメイト同士のかけ声、いわゆる「声だし」というやつも、バレーボール界では大切な取り組みだ。
(あっちょっと無理め~…)と思ってしまうボールでも、あきらめずに最後まで追いかけることがとっても大事。そんなチームメイトには「ナイスファイト~!」「次はとれる!」といった「声だし」が送られる。

ある日の試合中、チームメイトの手にあたったボールは、あまりに遠くにはじかれた。
とうてい手が届かないであろうがしかし、必死に追いかけ、スライディングし、そしてやっぱりつなげず…。
とってもナイスファイトな仲間たちに対し、志乃ちゃんは大きな声でこう言った。

ナイスナイス!いい心持ちだよ~~!

公式戦の体育館。一瞬みんな止まった。
(いい…心持ち……って…何…?あ、ともぞう心の俳句…?)
その後、志乃ちゃんの「いい心持ち」は、その後何年も仲間内で語り継がれることとなる。

志乃ちゃん的には、いつもの「ナイスファイト」では足りず、もっと上位の賞賛でねぎらいたかったんだよねきっと。
そんな声かけがとっさに口から出る志乃ちゃんがまさに、いい心持ちだと私は思う。

地獄も天国も一緒に過ごした

あの頃、"シャトルラン"というかなり地獄みのあるトレーニングがあった。

「ドレミファソラシドが終わる前に壁から壁まで走ります。完走まで約140往復。最初ゆっくりだったドレミはどんどん早くなってゆきます。最後は猛ダッシュを繰り返すことになりますからね。途中、間に合わなかったら脱落。離脱したらその分、2倍の距離を走ってね。」というもの。

鬼畜設定。
怒らないから、考案者は一旦挙手してほしい。

というか、令和の今でもあの地獄を見ている学生いる?どうか生きて。

志乃ちゃんと私は「シャトルラン大好き完走ドМ組(何それ)」のメンバーだったので、いつも最後まで走り切った。

最後の「〜ファミレド」が終わった瞬間、「しんどいです顔」と「達成感のニヤリ」が入り混じった顔で体育館の床に倒れ込む。
私たちは無言で天井を眺めながら、上がった息を整え汗を冷やした。

小学生のころは、マラソン大会前日に骨折を目論んでいたあの私が。
シャトルラン大好きになるなんて。

スポーツってやつは、仲間ってやつは、ものすごい力を持っているものだ。

恐怖のドレミや、ハードな練習が終われば、志乃ちゃんとみんなと一緒にラーメンをたらふく食べつつ箸が転がるだけで笑い合う。
帰宅するバス内では、もたれ合ってすやすやと爆睡する。

そんな毎日。

私はなかなかレギュラーになれない苦しい気持ちも多少なり抱えていたけど、それでも最高に幸せな日々だった。

セッターから、リベロになった志乃ちゃん

練習熱心だった志乃ちゃんはバレーボールも上手。
すばしっこくて視野が広く、セッターポジションのレギュラーだった。

しかし、高校2年生になる直前に腰を痛めてしまい、セッターもアタックも打てなくなった。
腰痛のため、ジャンプができなくなったのだ。

ジャンプしなくても、志乃ちゃんの存在感はコート内に必要だったため、レシーブだけを担う「リベロ」を担うことに。
腰にはコルセットベルトを巻き、顔をしかめながらプレイする志乃ちゃんが痛々しかったのを覚えている。

「おい!痛そうな顔してるな、ベンチ戻るか?」
監督の喝が飛ぶ。
「でますっ!」
そう答える志乃ちゃんの表情はキリっとしていた。

勝利を連れてきたもの

迎えた春の公式戦。
対戦相手は、ほんの少し格上の高校。
第1セットの後半は負けており、さらにその点差がじわじわと開き始めていた。

「諦めたくはない、でもこのセットは負けるかも」

そんな空気が、チーム全体に漂い始めたときの、あるラリー。

(あっ、落ちる)

そのボールを、志乃ちゃんが滑り込んでレシーブし、つないだ。

志乃ちゃんのナイスプレーを得点にしようと、エースも渾身のアタックを打つ、でも決まらない。

相手チームもギリギリのところでレシーブし、高いトスを上げ、攻撃してきた。

まだいける。このラリーでなんとか1点とりたい、ここで流れが欲しい。
しかし向こうもしぶとい。

何回も続くラリーの中、私たちのチームは、乱されながらも必死で攻撃につなぎ、なかなかボールを床に落とさない。

その要はリベロの志乃ちゃんだった。
志乃ちゃんが、ほぼすべてのボールを拾っていたのだ。

さっきまで氷嚢でマッサージしながらアイシングしていた腰は、きっと痛いはず。

しかし、志乃ちゃんは、そんなの顔には出さずひざをつき、ひじをすり、打ち込まれたボールが床につく直前に手を差し込んで跳ね上げ、その勢いでコロコロと転がりながらコートを駆け回っている。

(志乃ちゃん、どうしてあんなに動き続けられるんだ。腰が痛いだろうに)

私は「イーン!とれる!」「ナイスキャッチ!」と声をかけながら、試合中なのに涙が流れそうになるのを我慢していた。

鋭いボールが打ち込まれるたびに、「あっ、落ちてしまうダメだ」とあきらめムードがよぎる。
でも、ボールの先には必ず志乃ちゃんがいて、ギリギリのところでボールをセッターに返す。

………長い。
まだやってます、例のラリー。
例のラリーが、終わらない。

どのくらい続いたんだろう。
10回くらいはボールがコートを往復したんじゃないんだろうか。

突然、長い長いラリーは、ようやく終わる。
相手のコート、白線内側ギリギリのストレートコースに、ボールが跳ねた。


歓声で体育館が震えた。


当の志乃ちゃんは冷静な顔。

「ナイスコース、次も決まるよ」

そう言って、得点を決めたエースに軽くハイタッチしていた。
次の瞬間はもう、集中した顔になり、汗で濡れたコートの床を拭き上げ、すべらないかどうかを確かめるように、シューズで床を蹴っている志乃ちゃん。

「ナイスレシーブ!いい心持ちだったよ!」

私が泣きながら叫んだ声、次のラリーに備えていた志乃ちゃんには、もはや届いてなかったんだろう。


バレーボールというのは、ラリーが長いほど、しんどいほど、そのラリーを制したチームに大きな大きな「流れ」が来るスポーツだ。

このラリーの主役はエースでもセッターでもなく、まちがいなく志乃ちゃんだったと思う。

極限状態の中、とにかくボールを拾い、正確にセッターへボールを返す。

志乃ちゃんが攻撃のチャンスを何度も作り出したことで、私たちのチームには大きな流れが来たんだ。
そのまま2セット連取し、私達は格上チームに勝利できたのだった。


あんなに練習したアタックやトスができなくなっても、気が遠くなるようなラリーに心が折れそうになっても、志乃ちゃんは自分に与えられたレシーブという役割にコミットし続けた。

こんな集中力を持つ人が今、身近にいるんだ。
私と同じ高校生で。

そのときの感動は、20年近くたった今でも、鮮やかに覚えている。

大人になった私が就職先で先輩につらく当たられても、出産後に世界の全てから置いて行かれたような気がしても…
あの頃のまぶしい青春や志乃ちゃんのレシーブを思い出すと、「私の人生は最高だったし、これからもずっと最高値を更新するんだから」と前へ進めたような気がする。

志乃ちゃんとの思い出は数えきれないくらいあるけれど、私は志乃ちゃんがものすごい集中力を発揮して、輝いていたあの瞬間を、たぶんずっと忘れない。

例え、"意外と自分自身には無頓着"な志乃ちゃんが忘れてしまっても、私が絶対にずっと覚えているから。

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