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私が30年平和に過ごせたのは、女性と子供の人権を日本に連れてきてくれた人がいたからだった

『1945年のクリスマス』

憲法改正の動きが強い今でこそ、読んでほしい大切な1冊。

『1945年のクリスマス』(柏書房)をようやく読み終えた。読みながら、付箋をこれでもかとたくさんつけた。

私が25歳で出産するまで、男女格差を実感したことはなかった。
それは、日本の憲法に女性の人権を明記してくれた人がいたからだったということを、38歳でようやく知る。

女性で当時22才だったベアテ・シロタ・ゴードンが日本国憲法草案の女性の人権を明記したのだ。

私が子供時代に小中学校で不自由なく学習できたのも、「貧乏になったら親に売られる」なんて選択肢が浮かばなかったのも、憲法に守られて暮らせたのも、ベアテさんの功績があったから。

憲法改正の口実に「世間知らずの小娘が書いたから」が持ち上がる


ベアテさんは、憲法草案作成で人権の項目や女性と子供の権利を明記した重要人物。
彼女が草案メンバーにいなければ、戦後の女性と子供の人権は著しく遅れていただろう。

しかし、草案作成に関わった人としてのサイン一覧にはベアテさんの名はなかったし、ベアテさん自身も周りにも漏らさなかったらしい。当時のメンバーに秘密厳守が命じられたこともあるが、ベアテさんは「世間知らずの小娘が書いたから」というのを口実に憲法改正されることを危惧した。実際、1950年代にそれが問題視されたため、90年代まで口をつぐんでいたそうだ。

いかにも、日本の政治家が指摘しそうな視点だよ。

気を抜くと民主主義に逆行しようとする日本

ベアテさんをはじめとする憲法草案作成に携わった民生局のメンバーは、「日本はいかに民主主義が浸透しにくい国か」をちゃんとわかってて、実感していたようだ。

「憲法を10年改正してはならない」

「人権条項は永久に修正してはならない」

という一文が、当時は検討されていたらしい。

結局カットの判断になったようだが、80年後の今、民主主義を無視して強硬に修正されようとしている。

「修正不可の一文、残してあったらよかったのに…!」と、思ってしまう。

私たちの与党は、当時の民生局のメンバーの想定通り、愚かな策を推し進めようとしてるという絶望感と、やっぱりな、感。


憲法改正の危機を招いてしまった私たち


また、憲法草案メンバーは「国民は憲法改正を警戒せよ」と、条文を作っている。

この30年間、政治への無関心が今の危機を招いてしまっている。

以下引用


<この憲法が宣明した自由、権利および機会は、国民の断え間ない警戒によって、保持されるものである>

国民の断え間ない警戒によって・・・・・・という表現は、誰が発言したのかわからない。

多分ハッシー中佐の発想のような気がしないではないが、当時の民政局の考えを反映している。

民主主義が日本に根づくのに年月がかかることへの危惧だ。

ベアテ・シロタ・ゴードン
『1945年のクリスマス』(柏書房)


ベアテさんの出版やテレビ取材は90年代に多く実施され、コミックも出たようだ。

しかしこの30年間、私が少女から大人になるまで、あまりに人権や政治に無関心だったし、無知だったと思う。

私だけじゃなくて、平和に慣れた社会も、そうだったんじゃないか?と思う。

「選挙に行こう!」という啓蒙はあったけど、それ以上のことは言ってはいけない空気感ではなかった?

政権が一極集中するとどんな危険があるか?

じゃあどういう視点で投票したらいいのか?

歴史上、女性や子供の人権はどのくらいないがしろにされてきたか。

弱者が人権を得るためにどれほどの困難があったか。

そういうのって、大人たちから積極的に知らされてなかった気がする。

「政治について家族や友達と話すのはナンセンス」「ヤバいやつ」って空気もあったように思う。

私は今大人になって、大人として何を勉強して、何を子供達に伝えるべきかしっかり考えねばならない。


削除された、あまりに惜しい条文の数々


ベアテさんは、女性や子供を保護する具体的な条文をたくさん案に入れてくれていた。

しかし、「憲法に入れるには具体的すぎるので民法に入れるべき」とされ、大半がカットされた。

妊婦の保護や私生児の権利、児童の歯科、眼科の医療費無料の条文である。

民主主義の思想が薄い日本には、このくらい具体的なものを憲法に入れるべきだったのかも知れない。

今なお妊婦は、病人ではないとして保護されてるとは言い難いし、私生児の問題で苦しむ母子はいる。

以下引用

この裁きの結果、私の書いた条項は、「家庭は人類の基礎であり・・・・・」という第一八条はほぼ残ったが、あとはカットされた。

第一九条

妊婦と乳児の保育にあたっている母親は、既婚、未婚を問わず、国から守られる。彼
女達が必要とする公的援助が受けられるものとする。
嫡出でない子供は法的に差別を受けず、法的に認められた子供同様に、身体的、知的、社会的に成長することに於いて機会を与えられる。
<最終的にカット>

第二〇条

養子にする場合には、その夫と妻、両者の合意なしに、家族にすることはできない。
養子になった子供によって、家族の他のメンバーが、不利な立場になるような偏愛が起こってはならない。
長子(長男)の単独相続権は廃止する。
<最終的にカット>

第二三条
すべての公立、私立の学校では、民主主義と自由と平等及び正義の基本理念、社会的義務について教育することに力を入れなければならない。
学校では、平和的に向上することを、もっとも重要として教え、常に真実を守り、科学的に証明されたことや、その研究を尊ぶことを教えなければならない。
<最終的にカット>

第二四条
公立、私立を問わず、国の児童には、医療、歯科、眼科の治療を無料で受けさせなければならない。

<最終的にカット>

第二五条
学齢の児童、並びに子供は、賃金のためにフルタイムの雇用をすることはできない。
児童の搾取は、いかなる形であれ、これを禁止する。
国際連合ならびに国際労働機関の基準によって、日本は最低賃金を満たさなければいけない。
<最終的に第二七条の三項「児童はこれを酷使してはならない」となる>

第二六条
すべての日本の成人は、生活のために仕事につく権利がある。その人にあった仕事がなければ、その人の生活に必要な最低の生活保護が与えられる。
女性は専門職業および公職を含むどのような職業にもつく権利を持つ。その権利には、政治的な地位につくことも含まれる。同じ仕事に対して、男性と同じ賃金を受ける権利を持つ。

<「女性は・・・・・・」以下カット。最終的に第二七条>

第二九条
老齢年金、扶養家族手当、母性の手当、事故保険、健康保険、障害者保険、失業保険、生命保険などの十分な社会保険システムは、法律によって与えられる。
国際連合の組織、国際労働機関の基準によって、最低の基準を満たさなければならな
い。
女性と子供、恵まれないグループの人々は、特別な保護が与えられる。
国家は、個人が自ら望んだ不利益や久でない限り、そこから国民を守る義務がある。
<母性の手当、恵まれないグループの保護などが削除され、最終的に第二五条となる>

改めて書き直してみると、この時喪失した女性の権利の部分の大きさがわかる。

アメリカでも、まだ男女は平等ではないが、職業の機会均等や同一賃金、母性の保護などは、世界的にみても、まだまだ達成されていない国が多い。
実際、この憲法作成作業のGHQのアメリカ人すら、女性への理解者ではなかった。

その分私が頑張らなければいけないと思ったが、力不足がつけとして今日まで残っている。

ベアテ・シロタ・ゴードン
『1945年のクリスマス』(柏書房)


女性によって書かれた女性と子供を守る条項は、そうでない人々によって削除されてしまった…。

残った「男女平等」などの条文も、日本側に「女性の権利の問題だが、日本には、女性が男性と同じ権利を持つ土壌はない。日本女性には適さない条文が目立つ」と言われて、無くされようとしていたそうだ。

通訳として立ち会ったベアテと、日本側と話し合っていたケーディス大佐が説得して残すことになったという。

「女性の人権は土壌がない、日本女性には適さない」と、日本男性が言い、アメリカの人が「必要だ」と言ってくれた。

つくづく、この国の自浄作用のなさや人権意識の低さに、泣ける。

戦後のこの状態でなければ、日本に人権の条文を入れて根付かせることは難しかっただろう。

そして、今、一度でも憲法を変更してしまえば、2度と私たちの人権を戻すことはできないのではないか。


さいごに

『1945年のクリスマス』、付箋もたくさん貼ったし、引用をたくさんメモしました。
ベアテさんの鋭いコメントをすこしだけ最後に引用しておきます。

法律的には、財産権もない日本女性。「女子供」(おんなこども)とまとめて呼ばれ、子供と成人男子との中間の存在でしかない日本女性。これをなんとかしなければいけない。女性の権利をはっきり掲げなければならない。

ベアテ・シロタ・ゴードン
『1945年のクリスマス』(柏書房)

時代が下がって武士階級が幕府を開くころから、女性の立場はひどく下落する。
女性は貢ぎ物になったり、売られたり、買われたりする。
これは、ヨーロッパの中世でもあったが、現代社会にまで継続していたのはアジアの国々に多い。
そうした国はまだまだ残っているが、明治維新から先進文明を積極的に取り入れた日本は、人権、特に女性の権利に関する部分は、支配者の男性にとっては不都合だったとみえてほとんど改革していない。

ベアテ・シロタ・ゴードン
『1945年のクリスマス』(柏書房)

<母性の保護>条項は、日本の憲法に全く欠落している。
どうしてもきちんと取り上げなければ、女性として憲法草案に参加する意味がない。
若いせいもあったが、不幸な歴史を背負う日本女性のために、ここはどうしても頑張らなければと心に誓った。

ベアテ・シロタ・ゴードン
『1945年のクリスマス』(柏書房)

昭和の時代に入っても、農村の子供が口減らしに子守りに出されたり、丁稚奉公に出されていることを知っていた。
そういう子供たちは、学校も低学年で止めさせられて、半年に一回着物を貰うだけで賃金はないという事実も教えられていた。
農村が飢鐘の年は、"娘身売り”が頻発することは、ロウストさんが、会議の度に口癖のように繰り返して説明した。
そうした状況をなくすには貧困をなくすしかない。
憲法には絶対に子供の立場からの、子供の権利について書いておく必要があると考えていた。

ベアテ・シロタ・ゴードン
『1945年のクリスマス』(柏書房)

これは、あとで聞いた話だが、この憲法は一〇年間は改正を禁止するというような話題まで出たようだ。
私も、人権条項、特に女性の権利に関しては同じような思いがあった。
封建的支配になれている日本人は、面従腹背がひとつの生き方の文化になっている。
占領軍のおっしゃることだからご無理ごもっともと、なんでもハイハイと従って、強い人がいなくなったら、さっさと改正してしまうかもしれない。
日本と縁が深い家柄のプール少尉ならではの指摘だ。

ベアテ・シロタ・ゴードン
『1945年のクリスマス』(柏書房)

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