見出し画像

「恋愛のゴールが結婚」という価値観は、私たちの代で終わりにしようよ。

りぼんをはじめとした少女マンガを愛した10代。そして時を経て母となり、育児中である私は「ときめきだけの世界」をとっくに手放した。

今回は「少女漫画誌に婚姻届けの付録」について感じたことを、つづっていきたいと思う。

「婚姻届け」を付録につけ、少女マンガ誌『りぼん』(集英社)の2020年8月特別号が発売。付録は情報誌「ゼクシィ」とのコラボであり、その異色さに「少女マンガ雑誌にまさかの婚姻届け!?」と、インターネットの一部で騒然となった。

多様性への配慮が足りないのでは?

今回、「小中学生向けのコミック誌の付録が「婚姻届け」であったことについて、インターネット上では、否定的な意見と、肯定的な意見の両方が飛び交った。

肯定的な意見としては「斬新でおもしろい」「自分が小学生だったら楽しそう」という意見だ。

逆に否定的な意見としては「恋愛に目覚め始めた少女に婚姻届けを書かせるのは狂気の沙汰」「異性婚が当たり前という視点にがっかり」、「男性欄は青、女性欄はピンクという点が現代にそぐわない」などである。

付録「婚姻届け」は「あこがれの押しつけ」ではないだろうか?

今回の付録を企画した担当者へのインタビューでは「結婚にあこがれるのは、女子小学生あるあるです」という回答がされている。

小中学生が抱く「恋愛のゴール=結婚」というあこがれや、好きな人と自分の名前の組み合わせを想像する…という気持ちは、わからなくもない。

しかし、恋愛が気になるお年頃の子供たちへ「婚姻届け」を配布するのは生々しすぎる。「ゼクシィとのコラボ」という点からしても、「子供に対し結婚へのあこがれを根付かせたいのでは?」と、大人の都合を想像してしまった。

そもそも婚姻届けというものは「当人同士が合意して自署し提出するもの」というではなかろうか。「いやいや、おままごとだからね…」1枚フィルターをかませた上で考えてもなお、「妄想で好きな人の名前を書こう♡」という点にはひとりよがりな違和感を覚える。

だって、「婚姻届け」はめちゃくちゃ現実的なのだ。「愛し合った二人は結婚して幸せに暮らしました、めでたしめでたし♡」というおとぎ話の世界には婚姻届けは登場しない。結婚がゴールの世界では夫婦げんかも、掃除の仕方でもめることも、育児の分担で気まずくなることもない。

そんな幼いあこがれをいだく小中学生の世界に、突如「婚姻届け」が現れるギャップ。もしかしてそのギャップが付録としてのポイントなのですか…?

実は、ゼクシィは「ワンピース」や「クレヨンしんちゃん」など、すでにあらゆるマンガコンテンツとコラボ婚姻届けを制作しているし、婚姻届けと言えばゼクシィ、ゼクシィと言えば婚姻届け、くらいの感覚なのかもしれない。

ただ、その婚姻届けはすべて「成人向け」であった。子供向けの婚姻届けは今回がおそらく初めてだと考えられる。

小中学生がもつ「結婚へのあこがれ」を満たしてあげるなら「あこがれの結婚式やドレスを考えるプランシート」等でもよかったのではないか。マッチングが題材のマンガとコラボしているのであれば、「こんな人と結婚したいマッチングシート」なども面白い。

現代では、好きでも結婚をしない選択や、事実婚、夫婦別姓、同性婚など、さまざまな形が議論されている。時代が変わる過渡期にある子供たちへむけて企画する付録こそが、りぼん編集部とゼクシィコラボの腕の見せ場だったはずだ。

りぼんのマンガは時代をくみ取ろうとしている

今回の婚姻届け付録に関して、否定的な意見の中に見られたのが「多様性への配慮の欠如」であった。先にも述べたように「女のあこがれ=結婚」「男性と女性が結婚」「恋愛の集大成が結婚」「夫婦同姓」「男らしさ、女らしさ」「女性は外見が大事」と、今までの固定概念を払い取り、もう一度よく考えてみようよ、という社会の流れは、確実にある。

私が見る限り、りぼんの編集や連載作家は、その流れを丁寧にとらえているように感じる。2019年連載の『さよならミニスカート』は、社会における「男らしさ、女らしさ」にまつわるジェンダーの問題を鋭く描き、話題となった。

今回の婚姻届け付録の元となる連載は『初×婚(うい×こん)』というマンガである。「高校生が結婚を前提にマッチング恋愛をする」という、これまたいい意味で狂った設定の少女マンガである。設定は少女マンガらしい斬新さがありつつも、中身は王道の少女マンガであり、令和の時代を加味して丁寧に練られた作品であると感じた。

『初×婚(うい×こん)』を読んでいる中で既存のジェンダー感の押し付け等、あからさまに不快に感じる点は見当たらない。連載マンガはメイン読者の今と未来を思いやりつつ作られている中で、付録の「婚姻届け」のチョイス、その内容も、どう考えてもあまりに唐突なのであった。

今回の付録の違和感は、「読者層を広げるチャレンジであったから」という点が大きいように感じる。ORICONNEWSの記事を読むと、りぼん編集部としては「読者層を大人にも広げたい」という狙いがあったとのこと。

なるほど、確かに私は今回の話題をきっかけに『さよならミニスカート』も『初×婚(うい×こん)』もしっかりと拝読した。多くの人の目に触れさせると言う点では、大成功の企画だったのではないだろうか。

少女は、ときめきだけでは大人にならない

「読者層を広げ、大人の人にも読んでほしい」という点は、りぼんには切実な課題なのかもしれない。胸キュンやドキドキ、ときめきを、りぼんは変わらずにず~っと届けてくれている。なんと今年創刊60周年らしい。

私の少女時代ももちろん、『りぼん』に『なかよし』。集英社を中心としたの少女マンガがお手本だったし、たくさんの元気とパワーとときめきをもらった。

幼少期の私は毎月、発売日には書店へ自転車を走らせた。大きめのリボンバレッタをこっそり買って、鏡の前で「パラレルパラレル」。何度やったことか。かっこいい大地くんにキュンキュンしていた私も成長し、いろんな経験をしてきた。

そんな自分の、決してまだ長くない人生を振り返り、子供に伝えたい。

「恋愛」以外の楽しいことって本当にたくさんあるのだよ。

私は小学生のころからマンガが大好きだったので、部屋の本棚も家の廊下も、たくさんの単行本コミックが棚を埋めていた。恋愛やときめきも少女マンガから学んだ。

学校を卒業して実家を出る際に、泣く泣くすべてのマンガを一度処分した。あまりの量で、引っ越し先には持って行けず、実家に置いておくのも忍びなかったからだ。

そして今、自分の家を持ち、ゆとりができ、少しずつ、懐かしくてもう一度読みたい少女マンガを買い戻している。子供時代に読んだマンガを大人になってまた読み、また違った感想を抱きながら懐かしむ、至高の時間である。しかし買い戻したマンガの中に、ときめきだけを詰め込んだマンガはない。

これは単純に個人の好みの問題もあるだろう。しかし、少女マンガ中毒だった私が、大人になった今でももう一度読みたいと思い、手元に置きたいと思うもの。それは「ときめき」だけではなく、今読んでも学びや成長など、発見を見出せる少女マンガだ。

大人になった私自身の感覚からしても、「課題である大人層も取り込みたい」というりぼんの狙いは納得である。

子供たちにたくさんの可能性と選択肢を見せてほしい

私が、母親でもなく、娘を育ててもいなければ。もしかしたら「りぼんの付録が婚姻届け」という事実に対し「へ~おもしろ~い」という感想だったかもしれない。

しかし、私自身、実際に婚姻届けを出して結婚を経験し、今や娘を育てている。女性として生きる中で、たくさんの現実を見てきた。恋愛の最前線を退き、結婚や出産をした後の女性は、社会の現実を直視せざるを得ない。

だからこそ、恋愛以外の楽しいことも、結婚はゴールではないことも、娘には知っていてほしい。(私自身は現在とても幸せだという事を補足しておく)

娘の将来をハラハラしながら見守っているからこそ、子供向けコンテンツを制作する側に対し、私が求めることは大きく膨れあがっている。

「恋愛が一番楽しく尊い」と違う側面も、どんどん描いてほしいのだ。

少女マンガには必ずと言っていいほど「彼氏」や「好きな人」がでてくる。確かに「彼氏にときめくマンガを読みたい」という読者のニーズは確実にあり、それを満たすためのキャラクター設定なのだろう。

しかし、子供たちは、彼氏のことを考える何倍もの時間を、勉強、家族、友達、部活…と様々なことに青春を注ぎ込むはずだ。長い人生の中、今まで触れた作品のキャラクターに自分を重ねることも、あるかもしれない。その時に、今まで触れてきたコンテンツから子供たちはときめきや結婚以外の、どんなことを思い出せばいいのか?

私が学生時代、運動系の部活に熱中しているときに読んでいたのは少年マンガだった。ときめきは少女マンガから、スポコンは少年マンガから、そういう住み分けでもいいのだけど…もうそろそろ、少女マンガでもしっかりと「何かに打ち込む楽しさ」や、王子様っぽい存在ががそばにいなくたって、自分自身の力で楽しい青春はおくれるのだということを、表現してほしいものだ。

そういう願いがあって、女の子が活躍するコンテンツを、娘にもたくさん見てほしい!という気持ちがあった。だからこそ、今回の「婚姻届け」が、私はショックだったのかもしれない。

私の人生で、恋愛はほんの一部だった

恋愛は楽しいけれど、ときめきだけじゃ生きていけない。

というか、恋愛以外も楽しいことは、きっと、本当に本当に、たくさんあるのだよ。

何かというと彼氏、イケメン、結婚…子供たちにそういう世界しか見せていない私たち大人の責任は、かなり重いのではないだろうか。わずか5歳にして「イケメンが好き~♡」と言っている保育園の女の子たちを見ていて思う。

数ある価値観や考え方から、何を選ぶかは子供たち次第である。もちろん、恋愛命で生きていく人だっていていいと思う。しかし、目にする価値観や考え方があまりに偏っている現状では、子供たちはそもそも選ぶことができないのではないだろうか?

親として子供たちに伝えられることには限界がある。その影響力は、社会にあふれるコンテンツには到底かなわないだろうな、半ばあきらめてもいる。

「恋愛」「結婚」以外の世界の広さも、子供たちに見せていきたい、そんなコンテンツが日本に増えてほしい、と切に願う。

チャレンジより、子供たちの未来を先に考えたい

「好き→結婚→婚姻届け」そういう妄想をね、子供たちがしたって別にいいのだけど。

大人が「ホラ、こういうの、好きでしょ?」と婚姻届けを子供たちの付録にしまうのはあまりに突飛で、あこがれの押しつけがすぎると感じた。

こういったチャレンジングな企画が話題になり、否定的な意見がでるとだいたい「文句を言う人が多いせいで企業が委縮してしまう」「表現の自由なのに」という話が出てくる。しかし私は思うのだ。鋭い企画と、子供の心の育成では、どちらが大事なのか?ということを。

大手メディアが描く社会は、実際の社会を作っていく。その影響力は計り知れなく大きい。

子供たちに向けて描かれる世界観は、子供たちの未来を明るくするものであって欲しいと、強く願っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?