0から人間を一人、世に送る使命の果てしなさ
子育てをしていると、一人の"人間"を育てることが、どれほど気が遠くなる道のりなのかを思い知る。
子供たちに読み聞かせる昔話で、「おじいさんとおばあさんは赤ん坊を連れて帰りました。すくすくと育ち、立派な若者に…」というくだりは鉄板である。
が、立派な若者になるまでを「すくすく育ち」という6文字で表すなんて、苦労して育てたじいさんとばあさんに対して、血も涙もないだろ!!!!とツッコミをいれたくなるのは乳幼児の親あるあるであろう。
まず妊娠するのが奇跡的。実際のところ、昔話のおじいさんとおばあさんは子供に恵まれていないでしょ。妊娠するのがすごい事なんだよ。
さらには出産も一言では語り切れないよね。陣痛も後陣痛も痛いし、股が裂け、乳首が切れ…という悲惨さ。
おっと、経産婦はつい、妊娠~出産の大変さを語りたがってしまう。私もつい自分だけが成し遂げた偉業のように語ってしまいがち。世のお母さんの数だけ、出産の武勇伝があるのだ。
生まれたての赤ちゃんなんか、頭はふにゃふにゃ、首もぐらぐらで、哺乳すらままならないのに、よくこんなに生きてこれたな、人類!?と驚くレベルのか弱さ。
そしてやがて親たち(私)は思い知る。
子供はいきなり大きくなるものではないのだ、ということを…。
「振り返ってみれば子育てはあっという間で、もう一度赤ちゃんの頃に戻りたい」というのは、長年の偉業を成し遂げた猛者だからこそ言えるセリフであろう。
人間を0から育てることの難易度の高さは、それはそれは半端ない。
赤ちゃんが歩くのですら、平均1年近くもかかるのだ。
寝返りを打ち、床を這い、つかまり立ちをして、一歩踏み出す。
言葉を話すようになり、語った言葉を受け取るようになる。
自分で排泄を感じ、トイレに行けるようになる。
ズボンとパンツをおろし、尻をふくようになることすら、何年もかかる。
それらすべて、「誰かが手塩にかけて教えて教えて教えて教えて」そして、ようやくできるようになるのだ。
わが子は今、8歳である。
大人と会話ができ、自分で考えたり、感じたことを伝えてくれる。
え、いつの間にか、なんか、すごく人間ぽくなったな…?と感動しきりである。
しかし、言ってもまだ人間歴は8年弱。
そしてその8年は「あっという間」だったり、「気が付いたら大きくなってた」というわけでは、決してなかった。
8歳児、今日はオンライン授業で「メモの取り方」を学習し、ウンウンうなっていた。
今までは「一言一句丁寧に書くのです」と教えられてきた。
というか、1年生の頃は、それすら教えるのは大変だった。
鉛筆の持ち方から消しゴムの使い方、線の書き方から、この2年かけて学校の先生と親とで教え込んできたのだ。
そんなわが子にとって、メモの課題を視聴しながら「駅を出たらまっすぐ歩き、交差点を渡ったら右に曲がって2つめの交差点を…」という内容を走り書きでメモするのは相当大変だったようだ。
私は人間として社会に出てからもう10年以上たつから、「メモの取り方」なんか当たり前のことすぎてわからなかった。
え、そっか、子供にはここから教えるんだ…!
わが子が小1だったときの記憶が、またふっとよみがえる。
私が「宿題でてるんでしょ。やらないの?」ときくとぽかんとするわが子。
「まずは連絡帳を出して、何が宿題なのかを、確認するんだよ」
わが子は、ここから教える必要があったのだ。
「漢字ドリル④が宿題だとわかったら、ドリルと筆箱を机に置きます」
続いてこれ。
「ドリル④はこのページです」
もうね、これを1個1個毎日毎日教える。
ちょっとずつできるようになっていく。
わが子は、飛び級でいきなりできるようになったりしなかった。
「知らない間にできるようになっていた」なんてことは、ほとんどなかった。
もしあったとしても、それは誰かが教えたり、子供自身が自ら学んだ結果であるのだ。
ある日急に魔法のようにできるようになることなんて、ない。
そうして基礎となる地面へ、すこしずつ少しずつ土を盛っていき、人間の土台ができあがる。
育児って、気が遠くなるほど果てしなく、そして愛しいものなんだな、とつくづく思う。
世の子育て経験者が、なんだか達観しているように見えるのはそのせいなんじゃないか?
人間が一人、大人になり、歩いたりしゃべったりすることのミラクル度合いを子育て経験者は知っているんじゃないだろうか。
そこら中にいる人が、歩いたり、自転車に乗ったり、しゃべったり、字が読めたりするから。
地図が読めたり、レシピ通りに料理ができたり、掃除ができたりするから。
身近に見る人々が当たり前のように過ごしているから、つい忘れてしまう。
その人はそれができるようになるまでの間、気が遠くなるほど多くの大人たちが教え、危険から守ってきたのだ。
人間が、人間らしく生きるために、人間になるための本人と周りの努力は、それぞれ気が遠くなる道のりを経て、存在しているんだと、思い知らされている。
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