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夏とデジタル

かつて人は
夏になると怖いことで
体温を冷やす時代があった。
テレビで、キャンプで、墓地で、
怖い話や写ってしまっている写真などを
見聞きして鳥肌を立てていたものである。

令和の今になると怖い話に
季節は関係なくなった気がする。
そして写真から動画に
取って代わられた印象がある。
しっかり調べた訳ではないから
具体的な数字で表すことはできないけれど。
で、これはやっぱり写真のデジタル化が進んだからじゃないかと
勝手に推測している。
怨念は0101,,,のデジタルには
宿らないのではないかと。
これだけスマートフォンが普及して
みんな毎日色んな場所で
撮っているにも関わらず、
誰のスマートフォンにも
ビチョビチョで長髪の青白い顔の女の人は
映り込まない。
あれだけ訴えたいほどの怨念なのに
4800万画素でも映らないのだ。
でも動画は不思議と映るのよね、
私が不思議って言うのもなんだけど。
でもなんでかしら、恨みが足りないのかしら
とバックミラー越しの
ビチョビチョで長髪の青白い顔の女の人は
悩んでるんじゃないかと心配している。


電車に乗っている時、
ふと隣の人がスーマトフォンで聖書を読んでいて
あ本じゃないのかと驚いてしまった。
驚いたというか、その自分の思い込みに驚いた。
そうね、別に本じゃなくてもいいね。
21世紀だもの。

で、もっと驚いたのが
その人が一節をコピペして
SNSで各所にせっせと送っていることだった。
そうね、スマートフォンで読むんだもん
そういう使い方もするよね、
21世紀だもの。

人が昔、結構な距離を歩いたりして
教えを説いてたことを
その場でコピペして拡散する時代。
あ、そういうことできるのか。という驚きと、
いや、それでいいのか?という疑問。

ご利益とかご加護は
アナログ、デジタル関係なしに
本人の気持ちと心がけだしね。
だからお賽銭もpaypayで大丈夫ー。
という理屈と
何か気持ちとか思いみたいなものは
物とか行動に宿るんじゃないかという
勝手な思い込みで、
引き出しの奥から出てくるお守りとか
髪の長い日本人形は捨てられず
溜まっていくという理屈。

そこのベットの下でうずくまっている
ビチョビチョで長髪の青白い顔の女の人は
この件どう思いますか?

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