天下人!三好長慶!
大永七年、室町幕府12代将軍 足利義晴と管領 細川高国を京から追放し足利義維を奉じた堺幕府を樹立した。
その堺幕府の立役者には応仁の乱後、国際都市として繁栄した堺市政を海船館として執り仕切った三好一族の当主、三好元長であった
海船館とは湊から水路を引き込み巨大な船入場を設けた館である。
当時、明貿易で栄えた町を運営するのは経済、政治、軍事において重要であった
三好元長『この日の本において堺ほど栄えた都はなかろう、しかし、この奉行人連署奉書は使えるわ、ハッハッ』
元長は堺幕府で足利幕府が多用した奉行人連署奉書という公式の幕府文書を発給することで畿内を実行支配しその実力は主家、細川家を上回るほどであった
三好元長『千熊!千熊はおるか!』
千熊丸『ハッ、何様でございましょう?父上!』
三好元長『しっかり勉学に励んでおるか?』
千熊丸『ハッ!某が尊敬しているのは父上ですので父上のような立派な武士になるとうございまする』
三好元長『何!?儂のような………儂を超えるつもりで励め!ハッハッ!』
千熊丸 笑顔で『ハッ!』
戦のシーン『天王寺合戦(大物崩れ)』
三好元長が細川高国を斬る
享禄四年、宿敵の細川高国を天王寺合戦にて討ち取り主君、細川六郎の権威を上回り堺幕府の実権を握ることになった。
猜疑心の強い細川六郎はこれを嫌い……
細川晴元『我が家臣であるにも関わらず儂より幕府の実権を持つとは……そもそも奴の支配する海船館はこの細川家の領地ではないか!その恩恵を忘れ…奴はこの儂に仇を成すつもりか!?』
木沢長政『元長めは先の天王寺の合戦にて管領細川高国を討ち取った事に酔いしれ主君を差し置き独断専行し目に余る振る舞い許し難き事にございまする』
三好政長『今こそ元長を討ち取らねば細川家自体危うくなるやもしれませぬ…』
木沢『殿!ご決断を!』
細川六郎『……一計浮かんだぞ…木沢、本願寺の光教証如に和泉、河内の一向宗門徒を元長にぶつけ討ち取る文を出せ』
木沢『それは…面白う策にございますな…直ちに!』
ーー近江国 興正寺ー
足利義晴『六郎か何様ぞ…』
細川六郎『殿、高国が死んだ今、管領職は空席ではございませんか?この私が堺幕府から寝返り義晴様につけば戦力はこちらが上でございまする、三好の仇敵一向宗も我らの御方故に…』
足利義晴『将軍として戻れるならば其方、管領職につけようぞ、六郎これより儂の一字、晴の字を与え晴元と名乗るが良い』
細川晴元『ハッ!』
三好元長は法華宗の大檀那で宗派の異なる一向宗とは敵対関係にあった…
一向一揆の軍勢は堺の海船館へと群がり、
堺の町が赤い炎を纏うかのように燃え盛った
戦シーン 堺一揆
血だらけの元長が顕本寺に現れる
一向衆の僧兵を2人斬って3人目に刀?槍?を落とされる
三好元長『この襲撃、あまりにも不自然過ぎる……六郎の入れ知恵か?……』
上半身脱ぎ
三好元長『我が死に様を見よ!南無妙法蓮華経!』
顔面ドアップシーンにて目を見開く
真一文字で割腹する振り刀を返しみぞおちからヘソの下へ切り下げ腹を十文字に掻っ捌く振りを入れ
三好元長『おのれ!六郎め』絶叫しながら
内臓を天井に投げ放つ振り
三好元長『千熊……三…よ』
前から倒れる
天文元年 三好筑前守元長 自害
炎のシーン
市女笠で身を隠し母の須賀の方と現れる
三好康長『須賀殿!千熊!無事であったか!これより堺の湊より阿波へ逃れる……』
泣き叫ぶ千熊…
元長が亡くなったら翌年
阿波国 芝生城 評定
公民館かどっかで和室が借りられればそこで撮影予定
(子供用の衣装が無いので大東の武者行列で使用している手作り甲冑でもあれば、若しくは15、6歳位の子にこのシーンで代わるとか)
甲冑姿で上段の間に千熊丸が行き座ると家臣が一同に拳をつき伏せる
三好康長『早速にございますが本願寺証如より我ら三好家に本願寺と幕府の講和の仲介をして欲しいとのこといかがいたしましょうや』
篠原長政『本願寺は元々我ら三好家の仇敵ではないか!何故!我らがそのような申し出を飲まねばならん!』
松永久秀『そもそも、海雲公(三好元長)が堺の顕本寺で腹を召されたのは誰のせいじゃ!証如が一向衆を動かしたからではないか!』
三好の家臣が激昂するのは必然であったしかし、元長の主君、細川六郎が堺幕府の実権を握っていた元長を退かせるために本願寺証如に援軍を依頼したのであるが元長が死んだ後も一揆勢は止まらず暴徒化してしまったのである。
享禄•天文の乱
一揆兵『我が宗門以外は全て邪教じゃ!』
一揆兵『滅ぼせ』
お経を唱えて進軍
一揆の炎は大和国であがり生駒山を越え法相宗の大本山興福寺を焼き、僧兵を血祭りに宝物を強奪、近隣の村を焼き春日社の鹿さえ喰い尽くすという暴徒になり下っていった
細川六郎『元長だけを始末出来るかと思えばこの、下郎めが!貴様らは最早、用済みよ皆殺しにしてくれるわ!』
一揆勢『細川も将軍も滅ぼしちまえば我らを馬鹿にするもん(者)おらんけぇ〜殺しちまえ』
一揆勢『うぁぁーおぉー!』
三好政長『殿!此度は逆の策に出てみてはいかがでしょうや』
細川晴元『……なるほどのぅ、フッハッハ』
晴元は法華宗の大檀那である元長を殺めた一向宗に怨みを抱いていた法華宗をそそのかし
一向一揆に法華一揆をぶつける策をたてた
法華一揆『南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経…』
僧兵進軍シーン
一向一揆の農民との戦闘シーン
画像2枚入れる程度
細川六郎『ハハハッフッ…ハッハッ(笑う)』
しかし、一向衆の晴元に向かう勢力が強く細川晴元率いる細川軍は敗れ六郎は淡路に逃亡し軍備を整え大坂本願寺を取り囲んだ…
しかし、寺というよりも城塞に近く戦況は膠着した
近江幕府 桑実寺
足利義晴『大坂本願寺との戦これ以上膠着状態では困る!晴元、本願寺証如との講和を持ちかけよ』
細川晴元『ハッ!直ちに……』
阿波国芝生城 評定
家臣らの怒号が混じる声が広間に響く
松永久秀『恐れながら、真の敵は本願寺では無く本願寺をそそのかした細川晴元ではありませぬか?』
海部之親『祐筆の分際で分をわきまえよ』
千熊丸『よい、発言許す、松永といったかのぅ…』
松永久秀『ハッ!』
千熊丸『では、我らは晴元めを討てばよいということか?』
松永久秀『ハッ!左様にございます……が今の三好軍で兵力も難しいかと』
元長の散り様回想シーン
千熊丸『今の我らでは晴元めを倒す力はない……父上を死に追いやった恨みは忘れず晴元の臣下となり儂も父上のように晴元を超える力をつけ千載一遇の時を見定める……皆には苦労を掛けるが…ここは折れてくれぬか?』
家臣一同、頭を下げる
家臣一同『ハッ!承知仕りました』
千熊丸『晴元に仕える足掛かりとすべく本願寺証如の幕府との仲介、この三好が承るとしよう!松永!何か良い策はあるか?』
松永久秀『ハッ!なれば殿が一軍を率い大坂石山本願寺へ出陣し畿内の国人衆に三好家の威勢を示すが宜かろうかと、刃向かう者あらば斬るという陣立てにて押出しまする!
さすれば、自ずと和睦へと事が進むかと』
千熊丸『之親!芝生城より兵を運ぶ船用意出来るな?!』
海部之親『承知仕った!』
芝生城より出陣したる船は3百に及んだ
三好康長『各々方、出陣じゃ!貝を鳴らせ』
家臣一同『おおー』
船のシーン
大坂石山本願寺に出陣した三好軍は暴れ狂う一向門徒を食い止め三好家が未だ健在であることを畿内の国人衆にその威勢を示したのであった…
戦のシーン
勝鬨のシーン
千熊丸『右京大夫様!畿内での一向一揆勢と幕府の武門勢の和睦の仲介にこの千熊!馳せ参じましてございまする。 一向宗との和睦の場は整えましたので何卒、晴元様にこの和睦の場にお越しいただきたく……』
細川晴元『何を企んでおる…儂は其方の父を自害に追い込んだ者ぞ…本願寺に招きいれ儂を取り殺すつもりであろう!』
松永久秀『お待ちくだされ!決して若は左様な事は……』
千熊丸 手合図で松永を止める
『我ら三好家、細川家忠臣であると自負しておりまする…故に例え主が父の仇であろうとも何処までも晴元様にお仕え致しまする』
細川晴元『……ハッ! そこまで申すならば其方に儂の代理を命ず、見事、和睦を成し遂げられるならば家臣として迎えいれてしんぜよう』
三好康長『(小声で)この…糞がどの面で言いやがる』
千熊丸『ハッ!見事、和睦を成し遂げてみせまする!』
和睦は本願寺証如からの申し出であったこと
既に三好軍にて一向一揆を食い止め三好家が熾んなる威勢を畿内の国人衆に示したこと
晴元が千熊丸に和睦の代理を命じたこの3点により既に足利幕府と一向宗との和睦は成し遂げられていた…
大坂石山本願寺内大広間
本願寺証如
『すまぬ…すまぬ…我が祖父、実如上人の武家と事を構えるなかれという遺訓に背き孫次郎殿の御父君を死なせてしもうた…』
孫次郎『……門主殿、もう良いのです…此度の門主殿のその涙で怨みは無くなりもうした…悪いのは全て門主殿をそそのかした右京大夫にて』
本願寺証如
『すまぬ……(泣き崩れる)』
天文8年1月15日
細川晴元は18歳を迎えた孫次郎は2500の兵を率いて上洛した祝いに尾張国の織田信秀から献上された鷹を下げ与えた
その返礼として25日に孫次郎は晴元を京の三好邸に招いて宴を開いた
孫次郎『此度は我が屋敷まで御足労いただき有り難く存じます』
細川晴元『阿波の田舎侍にしては役にたっておるようじゃな笑…今後も励めよ!』
海部之親『若!斬っても?』
三好康長『少しは若を見習わんか!』
千熊丸『右京大夫様のお陰さまをもちまして京に屋敷や摂津守護代という地位をも賜りました。つきましては更に右京大夫様のお役に立つべく我が父、元長が任命されていた幕府御料所河内十七箇所代官職を私(わたくし)めに就かせていただき存じまする』
細川晴元『はぁ?貴様が?…つけあがるでないわ!その地の代官は政長に任せてある!』
千熊丸『ハッ!申し訳ありませぬ!』
この後、千熊丸は…細川高国の残党、河原林衆と戦い父元長の居城、摂津越水城を奪還したその後、元服し
孫次郎『これより儂は三好伊賀守孫次郎利長と名を改める』
孫次郎利長15歳くらいの子がいいかも
三好家臣一同『ハハー』
孫次郎『儂はこれより河内十七箇所代官職を三好宗三政長から取り戻すべく政長めを討ちに参る!皆の者儂に続け!』
三好家臣一同『おーー!』
三好の軍勢3000は三階菱に釘抜の紋の旗幟を翻し西国街道を北へ京の都への入り口へと進んだ。
対するは仇敵、細川晴元、三好宗三政長!
この上洛の際、孫次郎は本願寺門主、本願寺証如から兵糧を受けていた証如は孫次郎から受けた和睦の恩義を忘れずにいたからであった。
木沢長政『右京大夫様!石山本願寺が三好軍に付いているとの由』
細川晴元『な、なんじゃと💦』
三好政長『右京大夫殿どちらへ?!』
細川晴元『貴様は知らぬであろう一向門徒が我らの敵となれば我が軍などひとたまりもない事を……奴らは殺しても殺しても押し寄せてくる…儂は撤退する』
細川晴元は三好政長を見捨て高雄山へ逃亡した
足利義晴『何!?晴元が逃亡したじゃと?菊幢丸を八瀬の里へ連れて行くのじゃ!
同時に直ちに越前の朝倉孝景、若狭の武田元光、能登の畠山義総に出陣し鎮圧せよと書状を送れ!木沢長政に伊賀守(孫次郎)を止めるよう説得に行かせよ』
家臣『ハッ!』
若狭の武田、越前の朝倉も畠山義総に同調したかのように足利義晴の出兵要請を突っぱねたのであった…
一方、三好孫次郎利長に説得に向かった木沢らは……
木沢長政『伊賀守殿…此度の一件、どうか兵を引いて貰えぬか?』
三好孫次郎利長
『木沢殿……政長との我らの争いを止めたいのであらばこの会談のみで充分であろうが…何故、若狭、越前、能登の守護代に出兵要請を出されたので?』
池田信正『何を証拠に!』
三好孫次郎利長『我ら三好の情報網を侮られまするな……ワシらは三好家直系に与えられるべき河内十七箇所代官職を庶流より奪い返すまで兵は引かぬ!帰られよ!』
伊丹親興『くっ!』
木沢ら河内と摂津の諸将らを退けた孫次郎利長は更に軍を進め京の喉首たる山崎に陣を張った
足利義晴『貴様ら何をしておるか!このままでは………おお…おおそうじゃ、我らには定頼がおるではないか!定頼に伊賀守を説き伏せるように文を出せ!』
木沢長政『はっ!』
近江守護
六角弾正少弼定頼山崎の三好本陣に登場
定頼とは幕府随一の宿将で公方義晴や細川晴元にとって最後の切り札であった
六角定頼『三好殿は御宗家伝来の河内十七箇所代官職を望まれているとか…それはもっともな道理と存じ候…なれどこれ以上の進軍は謀反のそしりをこうむるおそれあり…あとはこの定頼に任せ兵を退いていただきたい』
三好孫次郎利長『……六角殿は少々勘違いをなされておられるようじゃが儂はその公方様の命で京の警護を命じられておるのでございます』
六角定頼『……⁈なんと!それは申し訳ございませなんだ…で、その下命に対して請書は出されたましたのか?』
三好孫次郎利長『既に差し出すと共に警護の手勢を入京させておりまする』
六角定頼『おお!そうでありましたか!あとはこの定頼にお任せくだされ』
三好孫次郎利長『……分かり申した六角殿に万事お任せし兵を摂津越水城に退きまする』
高雄山に籠る晴元を討つべくこのまま進軍すれば京は応仁の乱のように焦土と化すことは避けられないがそれは孫次郎利長の本意ではなかった。
この年、孫次郎利長の母、須賀が亡くなった
須賀(回想)『千熊…私の屍を越えてゆきなさい…墓前に花を手向ける暇はありませぬ故…』
三好孫次郎利長『母上!!』
遠くの空に叫ぶ
越水城広間
三好孫次郎利長が上座に座る
対面して頭をあげる紹鷗
ニカッと白い歯を見せる
堺の豪商 武野紹鷗(じょうおう)登場
武野紹鷗は堺の豪商で会合衆という堺の町を取り仕切る豪商で構成された組織の1人であり
紹鷗は皮屋という店で皮革や武具を扱い三好家御用商人の地位を持っていた。
この謁見の日、三好孫次郎利長は武野紹鷗に天下を治めるには泰平の世を築くにはどうすれば良いのか教えを請うていた
三好孫次郎利長『儂は武家の家に生まれ槍一筋に戦場を駆け巡ってまいったが…いつかこの乱世も静まろう。その時、泰平の世を築くにはいかがすればよかろうか?』
武野紹鷗『これは以前、三好筑前守元長殿が仰られていた事なのですが…泰平の世の政(まつりごと)は強権的な武断専制では行い難く天意に適い誰もが納得する道義、道理こそ肝要と……すなわち理世安民こそ天下を治める者の大義と喝破(かっぱ)されましてござりまする』
三好孫次郎利長『理世安民とは理(ことわり)をもって世を治め民心を安んずるということでありましょうや?』
武野紹鷗『左様かと』
紹鷗うなずく…三好孫次郎利長がなるほどという顔でうなずく
この後、三好孫次郎利長はこの武野紹鷗を茶の湯の師とし茶の湯の手ほどきを受け連歌は連歌師としての地盤や伝書を引き継いで連歌界の第一人者となった谷宗養に師事され名手の域に達していった。
当時は茶の湯、連歌など風雅の道を極めることが流行しており、事、交渉の場において鎧や刀槍に勝る武器になっていた
天文10年、三好孫次郎利長は三好孫次郎範長と名を改めたその年の秋に仇敵、細川晴元の腹心、木沢長政が近江幕府に叛旗をひるがえした
木沢長政『長経も元長も法華門徒も討伐したのにまだ1番目障りな奴が生かしたわ誤算じゃったあの阿呆……晴元を討つ!』
長経とは木沢長政がかつて仕えていた河内守護畠山長経である
木沢はかつて主だった畠山長経を殺害し堺公方府の同僚であった三好筑前守元長を誅殺し一向一揆を制する為に法華一揆を扇動し邪魔になれば法華門徒を根こそぎ討ち果たした悪逆非道の成り上がり者であり本来の三好孫次郎範長の父の仇はこの木沢長政なのである。
木沢長政『晴元亡きあとは細川氏綱殿を管領におく!いまや我ら木沢勢は畿内一の軍事力を誇っておる!向かう先に敵無しよ!すわ、かかれ!』
松永久秀『木沢は強敵ながら殿の父上元長様の仇!何とぞ、某に木沢を討伐をお任せいただきたく存じます』
三好孫次郎範長『……儂にとっては父の仇であるが……久秀……其方も儂の父上をそこまで想ってくれていたとはのぅ……全て背負うな!共に仇を討とうぞ』
松永久秀『うっ…うっ(😭)はっ!』
松永久秀は木沢長政に対抗する為、河内南半国守護代である畠山被官の遊佐長教を調略しに長教が城代を務める高屋城へ急いだ
高屋城広間
遊佐河内守長教『三好殿の使いが何用ぞ』
松永久秀『木沢長政殿を討ちとれば遊佐殿が河内国全体の守護代となられましょう…木沢が幕府に対して叛旗をひるがえした今こそその時にござりまする』
遊佐長教『あの木沢はかつての主君、長経殿を討ち果たした逆賊、今は細川管領家への謀反…悪逆非道なものは何処までいっても悪なのだな…あいわかった!其方らの策に乗ってやるわい…』
遊佐長教『儂に一計がある。儂も殺すとまではいかんが政策が合わんかったという理由で主君を紀州へ追いやってしまっておる…今の儂の主君、畠山政国殿は木沢についておるでの政国を追いだし政国殿の兄、畠山稙長(たねなが)殿と和解しこの地に呼び戻す。さすれば木沢の戦力を退くだけでなく紀州から帰国される稙長殿が率いる軍勢を得られるというわけよ』
松永久秀『流石でござりまする』
天文11年3月、三好•遊佐連合軍と木沢軍は生駒山地南部の東高野街道筋に位置する落合上畠の地で落合川を挟んで対峙した。
生駒山系の大和や河内を望む山上には木沢長政の拠点、飯盛山城、信貴山城があった。
申の刻(16時)になり陽が西に傾き風が追風に変わり烈風が木沢陣営の幔幕(まんまく)を吹き飛ばし土煙が木沢陣営の視界を奪ったその隙を見て…
三好孫次郎範長『すわ!かかれ!』
攻撃開始の采配が振られた
太平寺の戦いの開戦である。
先鋒は松永久秀隊。
松永久秀『ウオォオー!木沢長政の首をはねよ!』
(木沢勢が松永久秀の前に槍衾を作った瞬間、遊佐勢が左翼に打って切り込む槍衾の陣形崩れる松永久秀と三好孫次郎範長がそこを切り込んでいく)
木沢長政『ひぃーひっひっ!ひぃー!』(顔が泥で塗れながら何回も転びながら逃げる
松永、三好共に追撃するも追いつけず)
三好伝令『木沢左京亮長政、要害の信貴山城へ逃げおおせたとの由!』
三好孫次郎範長『久秀!いざ…信貴…っ』
(遠くから叫び声)
小嶋兵庫助(ひょうごのすけ『声のみ』)
小嶋兵庫助『遊佐長教被官、小嶋兵庫助が木沢左京亮長政を討ち取ったり!』
三好孫次郎範長『……くっ!』
松永久秀『チッ!』
松永久秀『信貴山城を焼き払い残党の首をことごとくはねよ!』
自らの手で討ち果たす事は出来なかったが遂に仇の一つが成し遂げられたのであった…
越水城南曲輪
朝方の空気を震わせて耳をつんざく轟音が響く
(列しているのは三好孫次郎範長、松永久秀、三好長逸、岩成友通、三好康長、海部之長)
地面片膝をついた堺の商人、橘屋又三郎が見慣れぬ形状の鉄の筒を使って二十間今でいう36m先の石垣に立て置かれた矢盾を轟音と共に撃ち抜いていた
家臣一同『おおー!?』
橘屋又三郎『今のは二匁筒(にもんめづつ)でございまする』
松永久秀『おい!その種子島とやらは鎧も打ち抜けるのか?』
橘屋又三郎『無論にござりまする』
橘屋又三郎『次は六匁筒(ろくもんめづつ)の威力おば…』
三好孫次郎範長『待て、儂に撃たせよ』
橘屋又三郎『はぁ……しかし、かなり衝撃がかかりまする故、急には的には当たらぬかと…』
三好孫次郎範長『ふっ…撃たせよ撃ちたいのじゃ😁』
三好孫次郎範長、二匁筒を構え放つ、
見事、二十間(36m)先の矢盾が爆ぜる
三好孫次郎範長『ウオォ!どうじゃ!当たったぞ!』
橘屋又三郎『!?見事にござりまする!とても初めて撃ったとは思えませぬ!』
三好長逸『威力は認めるしかしじゃ、玉を込めてる間に敵に攻撃されてしまうではないか!第一火縄とやらを使うのでは雨の中では役に立たぬではないか!』
海部之親『そうじゃ!弓矢で十分じゃ!』
橘屋又三郎下を向き頭をかく
松永久秀『しかし、使い慣れればこれほど戦い易い武器もあるまい。していかほどの値なのじゃ』
橘屋又三郎『一挺、十貫文(約百万円)ほどになりまする』
三好長逸『高っ!』
三好孫次郎範長『又三郎殿、とりあえず百挺じゃ…』
橘屋又三郎、家臣一同『えっ!?』
三好孫次郎範長『いつまでに百挺出来ようか?』
(又三郎が地面に深々とひれ伏す)
橘屋又三郎『畿内の鍛冶職人を掻き集め必ず一両年中(一年またはニ年くらい)に』
三好孫次郎範長『それで良い』
橘屋又三郎『ありがとうございまする!』
三好孫次郎範長はこれからの戦は鉄砲の時代になると確信していた。
この年、織田信長は家督もまだ継いでいない14歳であった…
天文16年細川氏綱、遊佐長教が堺に大軍を率いて進軍した!
舎利寺の戦いが開戦した!
前年、木沢長政を三好孫次郎範長らと共に戦い討ち果たした者らだけでなく河内守護代に復した畠山政国、大和の豪族筒井氏が加わり3万余の軍勢に膨れあがっていた
細川晴元『ひぃーひっ!の…範長、其方に堺の守備を命ず…何とかせよ…』
三好孫次郎範長『はっ!』
三好孫次郎範長『ここ海船館は曽祖父三好之長以来の我ら三好勢の拠点ぞ、晴元に命ぜられぬまでもなくここは死守する!』
家臣一同『おお!』
しかし、3万余の軍勢を相手に戦うには三好勢はあまりにも脆弱であった
遠くから声が聞こえる
遊佐長教『既に勝敗の行方は明白!潔くお腹を召され候え(そうらえ)』
豪壮かつ広大な海船館のあちこちで兵らの叫び声が上がりまもなく海船館の四門は打ち破られ大軍が攻めてこようとしていた。
(覚悟を決めた三好孫次郎範長が三具姿で仏間に入り静かに瞑想合掌し腰の脇差を外して膝の上におく)
(廊下を走ってくる足音がする)
千宗易『義兄上(あにうえ)様!義兄上様!』(崩れ落ちるように範長の前に手をついて伏せる)
千宗易『松永様のお報せで今、納屋助四郎殿が…氏綱殿と三好家の為に仲裁の交渉をしておりますれば義兄上様には早まらないでいただき存じます』
本願寺証如上人もこうした堺の商人に呼応するかのように兵糧や軍用金の無心に来た細川氏綱に対して断り続けていた
三好孫次郎範長『此度、いかい(古語)お世話になり申した…この御恩終生忘れませぬ』
(三好孫次郎範長、納屋助四郎と千宗易に深々と頭を下げる)
納屋助四郎『はは!』
千宗易『義兄上様のお役に立つ事が出来、この身の誉れでござりまする』
千宗易は三好孫次郎範長の義弟とはいえ同い年でこの当時、彼らは25歳の若者であった。
この一時的な和議の後、三好家本貫地の差配をしていた長弟の三好彦次郎義賢(三好実休)、淡路炬ノ口城(たけのくち)城主であり次弟の安宅神五郎冬康、三好家末弟の讃岐国山田郡蘇甲郷領主、十河又四郎一存(かずまさ)らが続々と堺に到着し細川氏綱、遊佐長教らに対して反撃を開始したのである。
十河又四郎一存『儂が先陣を切る故!皆の者!儂に続け!』
(槍を振り回して叫びながら敵をなぎ払う)
十河一存を敵が囲んだのを見て
三好範長『又四郎を死なすでない!左翼、右翼突っ込め!』
三好義賢『かかれ!』
安宅冬康『すわ!かかれ!』
三好範長『今だ!揉み潰せ!』
細川氏綱『ああぁぁ!退け!退けぃ!』
遊佐長教『まさか、敗れるとは…』
(阿波具足という三好勢に重い大鎧を着込んだ敵将は尽く(ことごとく)身軽な三好勢に討たれていく)
この舎利寺の戦のあと、摂津の諸将は三好孫次郎範長に相次いでなびき幕府の切札ともいえる六角定頼までもが三好方に寝返ったのである。
足利政権があった桑実寺(くわのみ寺)があった近江幕府を引き払い無能な管領細川晴元を討つべく細川氏綱につき足利義晴は上京し将軍御所を焼き払い細川晴元を討つべく将軍山城に籠城していた
そんな中、堺で細川氏綱が敗北したのであった。
この知らせはかつて堺公方であった平島公方足利義冬(足利義維)にも知らせられ意気揚々と堺の地に降り立ったが
三好孫次郎範長『暫時お控えあれ』
足利義冬『儂を裏切るつもりか?』
三好孫次郎範長『……平島へお帰りいただきたく……』
(寂しく肩をおとして退場する義冬)
舎利寺の戦いに勝利した三好勢は河内高屋城に軍を進め
数度戦いを挑んだが謀将遊佐長教が守るだけあり8か月も滞陣したが落城には至らなかった…そんな中、六角定頼が間に入り遊佐長教の娘、田鶴(たづる)をめとるという条件の元、和睦がなされここに舎利寺の戦が終結したのである。
天文17年舎利寺の戦いの翌年、
三好長慶『儂はこれより三好筑前守長慶と名を改める!皆の者、これより先も変わりなく儂に尽くして欲しい!』
十河一存
『兄者!任しとけ!』
家臣一同『はは!』
この年の5月、遊佐長教の娘、田鶴を妻として娶った。
若江城広間
松永久秀『此度は三好長慶公の名代として参りました。』
遊佐長教『うむ!』
松永久秀『早速ではありまするが此度、池田信正殿の切腹に及び三好宗三入道めが池田殿の領地を荒らした件において……我が主は此度、三好宗三政長を討伐する意を固めましてございまする』
遊佐長教『そうか!ハッハッいよいよ筑前守殿があの宗三入道を討つか!それは祝着至極』
松永久秀『我が主は舅(しゅうと)殿を頼みとしておりますれば何卒、ご加勢のほど伏してお願い奉りまする』
遊佐長教『筑前守殿は我が娘婿じゃ!儂が合力するのは当然である。任せよ』
松永久秀『恐らく我が主が挙兵すれば管領の細川晴元殿が三好宗三を庇い立てし我らの征伐に乗り出してくることは必定かと…さすれば我らは謀反人のそしりを受けることになりまする』
遊佐長教『管領というても晴元では役不足、舎利寺の戦においても己が家臣を見捨て1人で逃げ…己がした事を棚にあげ家臣に自害を命じる…あのような阿呆管領には誰も従いもせんであろう…儂の後ろには細川氏綱様がおられる阿呆管領を引きずり下ろして氏綱様を新たな管領に押し上げようぞ!』
松永久秀『それならば大義名分もたちまするな。何卒、よしなに』
(平伏する)
遊佐長教『フッフッ…松永殿、この暑い中大義である。手土産に良き話を聞かせて進ぜよう』
遊佐長教『16年前、筑前守殿の父、元長殿を討ち取るべく一向一揆の大軍をけしかけるように阿呆ぅの晴元めに進言したのはのぅ……あの三好宗三入道なのじゃ…しかも儂があの者を悪逆非道と嫌うのは今なお、幕政の黒幕である宗三入道は晴元めにあらぬ事を吹き込み筑前守殿に対して憎悪と不信感を持つように仕向けているのよ…』
松永久秀『さすれば我ら三好勢の真なる仇敵は宗三入道……』
天文17年10月三好長慶は三好宗三入道の子、三好政勝が籠城する摂津榎並城を孤立させるべく阿波、讃岐の兵で包囲した宗三入道と晴元をおびきよせるためである。
十河一存『河内十七箇所を攻め落とす!かかれ!』
三好長慶『既に摂津の有力国衆のほとんどを味方に引き入れとおる更に大和の筒井順昭殿、和泉の松浦興信殿、丹波の内藤国貞殿らと同盟を結んでおる!何が何でも宗三入道と晴元めを討ち取る!』
三好家臣一同『ははっ!』
三好宗三入道『六角殿は未だ参陣されぬのは何故か!!何故、近江から援軍が来ぬのじゃ!』
六角定頼『儂は舅としての親心で晴元殿に何度も昇龍の勢いの筑前守殿とは事を構えるな!とその再三の忠告も聞かず墓穴を掘るとは何たる醜態よ』
三好宗三入道『六角殿は我らを見捨てるつもりか!?』
三好軍本陣 堀城
(三好長慶、安宅冬康、十河一存が軍議中)
伝令『宗三入道!三宅城を出て南下し神崎川を渡っておりまする!その数、およそ三千!』
十河一存『よっしゃ!獲物が網にかかったぞ!飛んで火に入る夏の虫じゃあぁ!!』
三好長慶『うむ!先ずは包囲すべし!冬康と一存は兵を北へ動かし別府村を占拠してくれぬか』
安宅冬康『お任せくださいませ』
十河一存『おう!、兵糧攻めをするのじゃな!』
安宅冬康『飢えは合戦より辛いですからね』
かくして北には神崎川を挟んで安宅冬康と十河一存の軍、淀川東対岸の河内十七箇所には遊佐長教軍、西には陸続きの堀城に三好長慶本隊が陣を張り、兵糧攻めな態勢が整えられ宗三入道は袋のねずみとなったのである。
補給路を絶たれた江口城の兵糧は尽き落城寸前であった…だが六角軍は未だ到着しない
焦る三好宗三入道…
十河一存が三宅城を急襲し晴元軍を威嚇、
十河一存『細川管領軍は腰抜けばかりか!
掛かってこいや!!』
返す刀で江口城に怒涛の攻撃をかけた
『落とせ!』
次いで安宅冬康が率いる淡路水軍が江口城に迫り、江口城は落城したしかし…
青ざめた松永久秀が近く
松永久秀『大変にございまする……宗三の遺骸が何処にも見当たりませぬ!』
宗三入道は江口城を少ない手勢で抜けだしていた…
三具姿の宗三主従は淀川沿いの背の丈ほどある葦(あし)の茂みを掻き分けながら南へ逃亡していた
ふと近くに宗三入道らに近付く気配がする
十河一存『何としても探し出してやる!オラ!宗三入道出てこんか!』
宗三兵『きええいっ!』
十河一存『そこか!うおぉ!』
宗三兵『がはっ!!』
安宅冬康『宗三入道!一軍の将たる者が逃げ隠れするとは見苦しや!潔くここで討たれるがよい!』
三好宗三入道『おのれ!』
太刀を大きく振り上げるも右目に矢が深々と刺さり淀川に転げ落ちた宗三入道の首は遊佐長教が拾い首した…
これが三好宗家の真なる仇敵三好宗三入道の最期であった
一方、三宅城から逃げた細川晴元は
城を捨て丹波路を抜け山城国嵯峨まで落ち延びていた……
しかし、晴元は青ざめていた
細川晴元『儂を殺すのか…殺すんだろう!』
(狼狽し暴れる晴元が淡路兵に抑えられる)
安宅冬康『某にとっても晴元殿は仇敵であるがここで某が感情の赴くままに晴元殿を斬れば我が兄、三好長慶が主殺しの謀反人の謗りを受けようことになろう……じゃから、今は貴様を殺さんだけじゃあ!!』
(淡路兵が冬康を抑える)
細川晴元『…フッ…アハッハッハッハッ』
(笑い転げる)
細川晴元『フッフッ!そりゃあ、そうじゃのぉ〜誰も主殺しの謗り(そしり)は受けたくないからのぉ〜親父の仇を討ちたくても討てぬという訳か笑』
細川晴元『しっかり儂を守れよハッハッハッハッ』
(安宅冬康に扇子の先をあて軽く叩きながら嫌みな顔で笑う)
回想シーン
三好長慶『晴元殿を護衛し無事に落ち延びさせよ』
(安宅冬康に命じる)
松永久秀『なっ!?正気で御座りまするか!?』
十河一存『兄者!ココに来て何を躊躇する必要がある!管領がなんだ!主殺しが何だ!そもそも晴元は宗三入道同様、我らが父上を自害に追い込んだ仇敵(かたき)ではないか!
世間の目を気にする程度で仇をとるのを止めるほど兄者にとって父上が殺されたのは些細な事だったのか!?』
(十河一存が三好長慶に掴みかかりその場に倒す、倒れうなだれる長慶、三好兵が十河一存をとり抑えるが十河一存が振り払い三好長慶を睨み続ける)
松永久秀『左様!十河殿の申される通りにございまする!先代元長殿を討った同じ穴の貉(むじな)を殺すのに何を躊躇する必要があろうか!儂ならお命じくだされば公方とて殺して見せましょうぞ!反逆の謗り程度受ける度胸がなく天下がとれましょうや?!お考えが甘い!甘すぎる!』
(松永久秀、十河一存両名怒鳴りながらその場を去る)
三好長慶『冬康、其方も同じ気持ちであろうが…』
安宅冬康『…いえ…』
三好長慶『我慢するな、一存らが怒鳴るのもようわかる…父の死を近くで見たのはこの儂自身よ晴元を憎む気持ちはこの三好家の中で誰よりもこの儂が強いとまで自負できる…』
安宅冬康『なれば、今からでも一存らを…』
三好長慶『ただの仇敵討ちをするなら儂も主殺しの謗りを受けようとも構わんが…仇敵を討った世の事を考えねばならぬ…理世安民というのはわかるか冬康?』
安宅冬康『……理世安民とは理(ことわり)をもって世を治め民心を安んずるということでありましょうや?』
三好長慶『そうじゃ、生前、父上が仰られていた事でのぅ…泰平の世の政(まつりごと)は強権的な武断専制では行い難く天意に適い誰もが納得する道義、道理こそ肝要と……すなわち理世安民こそ天下を治める者の大義と喝破(かっぱ)されたそうじゃ……儂は父上の仇敵を討つのではなくその先の世を作ることこそ父の願いに報いる事になると思うておる』
三好長慶『それも出来るだけ早ようこの戦国の世を終わらせるためには今、晴元めを討つことで反逆の謗りを受けるという事が他の敵を増やす事になりかねんからじゃ…』
安宅冬康『そこまでお考えとはこの冬康!伏してこの命、勤め果たしてみせまする』
(平伏する安宅冬康に穏やかな笑みをうかべる長慶)
回想終わり
安宅冬康『………ぐっ!』
(安宅冬康の悔しがる顔から拳を握り締めるシーンを入れる)
細川晴元『ほれ、返事はどうした?笑』
安宅冬康『承ってございまする』
(怒りで震えながら片膝をついて平伏する)
この合戦後、三好長慶率いる三好軍は5万に膨れ上がった。
世間には三好軍の強さと幕府軍の不甲斐なさが伝わり最早、三好軍に敵はなくなっていた
細川晴元は帰京後
細川晴元『公方様、近衛様、大納言様これより三好長慶めの軍勢が京の都に押し寄せてきまするので直ちに近江坂本、常在寺に共に御退きくだされませ』
公方足利義輝『また、この京を離れるのか……』
天文19年5月…前将軍、足利義晴は落ち延びた近江穴太(あのう)で40年の生涯を終えた…
足利義晴の四十九日の法要が済むと…
細川晴元『今こそ京を取り返してみせる出陣じゃ!』
細川晴元は15歳の足利義輝を将軍として擁し中尾城に入城した
この中尾城は足利義晴が銀閣寺の裏山に築城した銃撃戦に備えた城であった
そう、すでに三好軍は鉄砲隊を組み入れた鉄砲による戦を始めていたのである。
鉄砲による小競り合いが続いたが
(鉄砲による戦シーン)
天文19年11月、三好長慶が4万の軍勢を引き連れ掃討作戦を開始した。
足利義輝『なっ!?四万!馬鹿な!』
足利義輝『儂は逃げるぞ中尾城に火を放ち行手を阻め』
旧幕府兵『……はぁ…』
足利義輝は一戦を交えぬまま朽木谷の岩神館に逃亡し戦は終結した
足利義輝『三好軍とはまともに戦っても到底勝てぬ相手ではないか……しかし、京には帰りたいさて……』
蜷川親長「三好長慶が伊勢貞孝邸にて酒宴をするとのよし」
足利義輝「ほう…余を京より追放したあの筑前めがのぅ…」
足利義輝「京に帰り咲く好機よ!進士!これに!」
進士「ハッ!」
足利義輝「其方、これより伊勢の屋敷に忍び込み三好長慶を討ってまいれ!」
進士賢光「承知仕りました!」
天文20年3月14日三好長慶は政所執事(まつりごとしつじ)の伊勢貞孝に伊勢の屋敷に酒宴に招かれた
〜伊勢貞孝邸〜
三好長慶「伊勢殿、此度は酒宴の席に呼んでいただき…」
伊勢貞孝「何をおうせられる三好殿💦儂と其方の仲ではありませぬか!遠慮されずとも今宵は我が屋敷と思うてお寛ぎくだされ」
〜酒の席にて酒が進み〜
三好長慶「伊勢殿がわしら側についてくれたのは嬉しいが最近じゃあ、公方義輝の家臣どもと戦をしておるそうで
申し訳なんだ……」
伊勢貞孝「いやいや頭をお上げくだされ!三好殿、力無き将軍は最早、我らの主君ではござらん!儂は三好殿!其方こそ天下人として世を統べるのに相応しい方だと思うております故!」
三好長慶「伊勢殿!」
伊勢貞孝、三好長慶両手を合わせ握り合う
進士賢光両者の背後にひっそりと忍びより
次の瞬間…!
進士賢光「長慶!」
三好長慶「!?」
三好長慶、伊勢貞孝繋いでいた手を離し驚く
進士の刀が三好長慶を捉えるスパッ!と左腕を刀がかすめ傷を負う長慶
三好長慶「くっ!」
左腕を押さえつつ刀を振り切った進士賢光の顔面に蹴りを喰らわせその場から去る
進士賢光「義輝殿……申し訳御座りませぬ……」
進士その場で腹を出し
進士「ぐっ!ぐああ!」
割腹自害…
伊勢貞孝「三好殿!大事ござりませぬか?誰ぞ医者を呼べぃ!」
三好長慶「伊勢殿、幸いにも大した傷ではござらぬ!」
松永久秀「伊勢殿!お主!裏で朽木谷の公方と気脈を通じ賊を手引きしたな!」
(松永が伊勢の胸ぐらを掴み揺らす)
伊勢貞孝「めっ…滅相もござらん!」
三好長慶「久秀!早まるでない!この一件、伊勢殿を恨む公方義輝の謀(はかりごと)であろう…我らが伊勢殿を討てば公方の思う壺よ」
三好長慶「それよりもじゃ、儂が殺された事にして四方八方に虚報を流せ」
松永久秀「…なるほど!敵を炙り出すのですな!直ちに!」
〜義輝屋敷〜
旧幕府兵「筑前守が討ち果たされたようにございまする!進士は相討ちとなり筑前守と共に討たれたようでございまする」
足利義輝「……そうか!フッフッハッハッ…
六角定頼に京の三好勢を一掃すべく出陣させるよう書状を出せ!この混乱に乗じて京を奪い返す」
蜷川親長「は!」
六角定頼「筑前守殿は討たれのでは?しもうた!これは罠じゃ!」
松永久秀「かかれ!」
六角勢は混乱し総崩れとなった
足利義輝「……なんたることじゃ!……そうじゃ!筑前が討てぬなら外堀から埋めてしまうか…」
蜷川親長「なれば遊佐長教を討ってみてはいかがでしょう?」
足利義輝「手はあるのか?」
蜷川親長「遊佐は兼ねてより珠阿弥という時宗僧と懇意にしておりまする…その珠阿弥に遊佐を斬らせてはいかがでしょう?」
足利義輝「なるほどのぅ…直ちに珠阿弥を買収せい!遊佐を討ち取れと!」
蜷川親長「は!」
若江城内
(珠阿弥、門徒を連れて遊佐の前に)
遊佐長教「珠阿弥殿〜よ〜参られた」
(酒を飲みながら雑談する内容はアドリブ
暫くしてウトウトと眠る)
(珠阿弥手を挙げ門徒を集める)
珠阿弥「遊佐殿……すまぬ……やれ!」
時宗門徒が遊佐長教を滅多刺しにする
遊佐長教「うっ!ぐっ!」
更に三好長慶の相婿の大和の筒井順昭も毒殺された
(筒井順昭モノクロ静止画入れる)
松永久秀「仮にも武家の棟梁たる者が刺客を放つとは!」
三好康長「君主が君主ならざる時はこれを討つのは道理であり名分も立つことと存じまする!今こそ、公方足利義輝を討伐いたしましょうぞ!」
三好長慶「まだ、機が熟しておらぬ!今、公方を討てば畿内は更なる混乱を極め天下動乱の元になるのは必定!じゃが、今後、我らが揺るぎない武威を世に示せば四海波静かとなろう…その上で朝廷に働きかけ京を三好家で統治しこの三好長慶こそが天下の武家を率いる武門の棟梁として天下人として天下を治められるのじゃ…それまで待つがよい…」
松永久秀「そういう事なれば!承りました」
弘治4年2月、朝廷はこうした三好長慶の功績を認め公方義輝を見捨てたのである。
正親町天皇(おおぎまち)「長慶、本来は将軍と相談し改元するが将軍があの体たらく故、長慶を武家の棟梁と認め私と長慶の間で年号を永禄と改めようと思うがいかがかな?」
三好長慶「ハッ!承りまして御座りまする」
更に永禄2年
松永久秀が家臣の大饗正虎(おおあえ)が先祖の楠正成の名誉を回復したいという望みに対して正親町天皇に働きかけ…
正親町天皇「楠正成は千早赤坂城で挙兵し鎌倉幕府を倒すことに功があった…南朝の後醍醐天皇に味方し足利尊氏と戦い討死したことで長く朝敵とされてきたが足利が既にこの体たらく故に正成は朝敵にあらず勅許(ちょっきょ)を与え大饗正虎に楠姓を名乗る事を許そう」
松永久秀「ハッ!」
楠正虎「勿体のぅお言葉、祖正成も喜んでいる事と存じまする」
足利義輝「誰がこの改元を認めるものか!しかも北朝の朝敵、楠正成を許したとなれば我ら足利将軍家の立場が……糞!
儂が認めれば足利将軍家は終わる…儂は弘治を使い続けるぞ!」
しかし、この現将軍、足利義輝が行動が天皇の決定に背く逆賊、朝敵とされたのである。
三好長慶は既に軍事力で公方足利義輝を上回っていたが既に全ての国民が使う年号に注目して改元を契機に自分こそが天皇に認められた天下の武家の棟梁であることを全国に宣言した
ココに天下人!三好長慶!が成ったのである。
その後わ足利義輝は三好長慶と和睦し京に帰ったが時、既に遅く三好長慶が天下人となった瞬間に足利政権はココに潰えたのであった…
父を死に追いやった木沢長政、三好宗三入道を討ちとり三好家の名に泥を塗る事なく元主でありもう1人の仇敵、細川晴元も管領の座から引きづり落とし京から追放、その後乱を起こすも再び討伐され永禄4年、摂津普門寺に幽閉されると永禄6年3月1日…
細川晴元「千熊……儂はまだ…」
悪逆非道の限りを尽くし天下を混乱の渦に陥れた細川晴元は世捨て場のような場所で寂しく亡くなった
享年50歳であった。
永禄3年正月
三好長慶は十四位下修理大夫(じゅしぃのげしゅうりのだいふ)に叙され(じょ)桐紋を拝領、塗輿(ぬりごし)の使用を許された
(正親町天皇を上座に天皇の臣下が三好長慶に書状を与えられる)
臣「そこもとを十四位下修理大夫に任命し桐紋を拝領致す」
正親町天皇「これ、塗輿の使用も許可せい」
臣「は?ハっ!三好殿これはそうそうある事ではござりませぬ事…塗輿の使用が許可された」
三好長慶「ありがたき幸せに存じ奉りまする」
更に嫡男、三好孫次郎義興が正五位下筑前守(しょうごいのげ)に任官し三好親子は揃って禁裏に入り即位した。
永禄3年5月半ば
松永久秀「駿河に放っていた乱破からの知らせによれば今川義元が駿河を出陣、3日後に尾張沓掛城に入ると見受けられるとの由!
その総勢4万の大軍にて御座候」
三好長慶「いよいよくるか!阿波の実休、淡路の冬康、讃岐の一存に迎え討つ陣立ての書状を出せ!」
三好兵「ハッ!」
ーー5月19日
三好長逸「お屋形様!今川治部大輔(じぶのだゆう)義元、桶狭間にて討死!」
三好長慶「なっ!?」
永禄3年5月19日
桶狭間の戦い開戦
今川義元「ここを越えれば上洛まであと一息よ…三好長慶から天下の覇権を戴こうとしようかのハッハッ……ん?何の音じゃ?」
豪雨の中、地鳴りのような音が鳴り響く
織田信長「狙うは、今川義元の首ただ一つ!かかれ!」
松井宗信「お屋形様!早う、お逃げくだされ!信長めが迫って…ガハッ!」
今川義元「宗信!!」
毛利新助良勝「ウォォオ!」
今川義元「アギャアー!」
毛利新助良勝「今川義元討ち取ったり!」
芥川山城
三好長慶「……信長をどう見る?麒麟児となるか?」
松永久秀「思わぬ番狂わせでありましたが尾張一国の小大名に過ぎませぬ」
三好康長「我ら三好家の足元にも及ばぬであろう」
三好長慶「……しかし、これぞ天佑!信長のお陰で後顧の憂いなく河内、大和に侵攻できるわ!」
永禄3年6月
阿波、讃岐、淡路の兵を率いた三好実休が尼崎に出陣、乱を起こした畠山高政の籠る高屋城を包囲し
飯盛山城に陣取っていた安見直政をおびき寄せた…
安見直政「かかれ!」
三好実休「儂は清和源氏小笠原長清の末裔、阿波守護代三好実休義賢なり!儂を射よ!儂を撃て!討ち取って手柄といたせ!」
松永久秀「実休殿!加勢に参りましたぞ!ウォォ!」
三好実休「切ないの…兵糧攻めにす!」
海部友光「ハハ!」
兵糧攻めに根を上げ戦意を喪失した畠山高政は高屋城を開いて開城した
永禄3年11月13日
河内守護 畠山高政を追放した三好修理大夫長慶は摂津の芥川山城を嫡男の三好義興に与え飯盛山城を大改修し居城とした
三好長慶「この城は大阪平野を一望出来る飯盛山上にありその山頂からは北に比叡山、西に摂津、兵庫、南西に難波ノ海、遥彼方に淡路島が望めるこれこそ、天下人の城よ!」
三好実休「城の南に河内と大和を結ぶ古堤街道が東西に走り北には清滝街道が同じく河内と大和を結び西側には河内を南北に貫く東高街道が京まで伸びてこれほど素晴らしき城もありますまい」
安宅冬康「あの、城の西に見える舟は何でありましょうや?」
十河一存「兄者、あれがわからねーのか笑
あれは大和川、難波ノ海へと舟運(しゅううん)するための物よ」
松永久秀「即ちこの飯盛山城より舟で堺や京に行き来出来るというわけで御座りまする」
三好長慶「儂はこの飯盛山城から父元長の悲願でもあった理世安民の元、天下統治を実現してみせる!これからも変わらずに儂に付いて来て欲しい!」
家臣一同「はは!」
完