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校訂現代語訳 巴里籠城日誌:極私的読後感(31)

普仏戦争(1870~1871)は、ドイツの勝利によるドイツ統一が、欧州におけるパワーバランスを大きく変化させ、又、フランスの敗戦によりアルザス・ロレーヌのドイツへの割譲、第二帝政が崩壊してパリ・コミューンが出来たり、その後の欧州に大きな影響を与えている。

この戦争に何故フランスは敗北したのか?という問いに対して、日本人の手による記録である本書は、かなり正確な推察が描かれていることに驚いた。

本書の価値はまさにここにあり、且つこの情報がほぼ同時(当時の交通通信の速度の範囲で、だが)に日本の政権中枢に報告として届いていたことを知る事が出来たのは、明治の為政者が海外の情報収集にかなりのコストをかけていたことの証左である点にあると思う。

著者の渡 政元(わたり まさもと)はこの当時大変珍しい官費による洋行組であり、その後永く政府に出仕し、貴族院議員、元老院議官と錦鶏間祗候(きんけいのましこう)まで務めた。

彼は、普仏戦争、そしてその最後のパリ包囲、そして第二帝政瓦解後のパリ・コミューンの様子まで、時系列で丹念に記録を取っており、かつ当時の新聞(フランスだけでなく、英国の新聞も)の記事の記録も留めてあり、大変価値の高い記録になっている。

記録だけではなく、その分析においても、この戦争は(ナポレオン三世による)急激な民主化による輿論(世論ではなく)の形成不全により惹起され、またそれによる政軍関係の歪みによる動員計画の不徹底により戦闘に敗れ、パリは包囲されるに至った、という正確な状況認識を獲得していた著者の知性には、大変に感心した次第。

(1) フランス固有の「激動病」があって容易に国論の統一をなさないまま、戦争に突入したこと
(2)敵を侮って、味方兵士が傲慢になったこと
(3)将帥の選任を誤って、その命令が至当でなかったこと
(4)勝算の見込み違いをしたうえ、兵士と武器の準備がともに不完全であったこと
(5)スパイを使わず、敵の動静の把握に手抜かりがあったのと、反対に敵スパイをほっておいたことで味方の動きが見抜かれていたこと

と、5つのフランス敗戦の原因を分析しており、特に(1)については今も主要因として挙げられている。「激動病」という表現は、日本人の渡から見て理解し難い”政変好き”を表したものだが、現在でも、野党が主導権を取ったときに往々にして起きる政権運営の拙さを表すものとも言えるだろう。

また、(2)~(5)は全て軍事的な側面からの分析であるが、それ以前にフランスの敵であるドイツが、フランス・パリを兵糧攻めにしようとしている、というモルトケの作戦意図を、早い時期に新聞等から得られる動静から察知している点は、特筆すべきかと。

ともあれ、明治期の日本人の足跡を辿るのは、実に面白い発見や気付きに満ちあふれている。

ちなみに本書は、大佛 次郎(おさらぎじろう)の「パリ燃ゆ」の底本とも言われている。


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