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私の頭の中の中国

3年前、夫に「中国で仕事することになるかも」と言われたとき、私は二つ返事で「行こうよ」と言った。

サッカーコーチである夫に、中国大連での指導の話がきたのだ。


当時の私は正直中国が好きではなかった。
アジア、ヨーロッパ、アフリカと今まで旅をしてきたが、唯一あの大陸のでかい国だけはあまり好きになれなかった。

そんな私が夫の中国行きに賛成した理由は、単純に世界平和のためだった。と言っても、私の中の世界だ。私の心の中の世界地図は好きな国はピンク、大好きな国は濃いピンク、行ったけどあんまりだった国は水色、行きたい国は黄色・・・と色分けされていて、中国は「赤」だった。この国は無理、危険、の赤だ。

世界平和のためには、この赤い国を何とかしなければいけない。

世界をピンクに染めるために、赤をピンクに薄められるように、さくっと仕事を辞め、強い使命感を持って中国へ旅立った。
何たって世界はIt’s a small worldだ。世界平和までカウントダウンだ!


中国に降り立って一週間後には、世界平和なんて無理だと悟った。

主に夫の仕事関係者だが、兎にも角にもクセが強すぎる。

通訳がいたので言葉は通じたが、話が通じなすぎて、危うく新婚夫婦である私たちは老人ホームに住まわせられるところだった。
それだけはなんとか回避すると、今度は初めて会ったブラジル人と私たち夫婦で2LDKの部屋でルームシェアをさせられそうになった。

家も勤務場所も生活環境も、来中前に聞いていた話と違うことばかりだった。


さすがに頭にきて「契約と違うじゃないか!」と申し立てると、驚くことに「それは文句ですか!?」と逆ギレされるのだ。
冷静に考えてくれ。文句があるに決まってるだろう。


さらに、怒りを堪えてこっちが譲歩して話を進めても、その2時間後には違う話をされる。
「この内容で1ヶ月5,000元でよろしくね!」と折り合いがついたのに、2時間後には「こんなの高すぎる!無理だ!ふざけるな」という具合に。
3時間費やした話し合いの意味が全くない。


お土産の日本のお菓子を渡した時はあんなにニコニコしながらウェルカムしてくれたのに。


今でこそ中国人のこういう傾向には慣れたが、その頃の私のiPhone検索履歴は『中国人 交渉 話術』という内容でいっぱいだった。


話しても話しても数時間後には話が変わってる。
中国側に少しでも不利だと思える条件は一切飲んでもらえない。
家は一向に決まらない。


私の中の世界地図は、赤からどす黒い血の色へと変わった。


ところで、中国(大連)は完全にコネ社会だ。
びっくりするくらい、コネと人脈と時々ワイロがものを言う。


例えばビザや書類関係の手続きを中国人に頼むと、必ずと言っていいほど「私はあそこの偉い人と知り合いだから大丈夫!安心して!」と言うセリフが返ってくる。

彼らにとっては、知り合いの知り合いの知り合いの知り合いくらいまでは、立派に『自分の知り合い』なのだ。

昨年幼稚園の子を持つ中国人の友人が、お正月に幼稚園の先生にお年玉を贈ると言っていた。それも日本円で3万円も。
私は驚いて「なんで!?」と聞くと、真顔で「自分の子供の面倒をよく見てもらうためだよ」と返ってきた。
幼稚園で前の方の席に座っている子の親は、先生にたくさんお金を贈っているらしい。

もう、びっくりした。ワイロじゃん!と叫んだ。


でも。
でも、だ。

その話を親にすると、私が小学生の時、約20年程前になるが、日本でも家庭訪問に来た先生に商品券やお土産を用意する親もいた、と母が言っていた。
それで先生が子供を区別していたかは分からないが、確かにそういうことが日本でも行われていたのだ。

そういえば私も、塾でアルバイトをしていた時、受験に合格した子のお母様から5,000円の図書カードをいただいたことがある。(塾の方針でお返ししたが)
もちろんそれはワイロではなくお礼の気持ちだったが、金品の受け渡しには変わりない。

ちょっと考えてしまった。


知り合いの中国人から、『大連は、50年前の日本』と言われたことがある。
日本がこの50年で発展したように、大連の人は外国を知らない親世代がまだ多くてマナーや考え方が他国に追いついていないところもあるが、あと50年、少しずつ今の若い人が外国を知り、マナーをその子供に教えていけば、少しずつよくなっていく。もう少し時間が必要なんだ、と。

その時、ものすごくしっくりきた。
なるほど、今はまだ知らないだけなのか。
シャンゼリゼ通りのルイヴィトン本店にジャージで行っちゃうのも、単純にそれがイマイチなことを知らないだけなのかもしれない。


この話を聞いて、私の考え方は変わった。


そう言われると、日本も昔はコネ社会だったかもしれない。
道端でタンを吐くおじさんのも多かったかもしれない。
尿意を催した子供に外でさせるのも当たり前だったかもしれない。


少しずつ、人々の生活が変化していったのだ。


ちなみに私自身、中国のコネ社会には何度も助けられた。
大学の入学手続きも、ビザの手続きも、コネと交渉でおそらく日本では一発アウトのところを何度も切り抜けて来た。

人脈を大切にする中国人は、仲良くなるととことん面倒をみてくれる。
友達みんながみんな、本当に私や私の家族のことを気にかけてくれて、困ったことがあるとすぐに助けてくれる。
メッセージの既読スルーなんてありえないし、返信は基本数分以内にくる。
仲良くなると、本当に、みんなとんでもなく優しい。

(ただ、ビジネスの話になるとどんなに仲良くなったつもりでも痛い目を見ることがある。時々くらう中国パンチ。イテテ)


2年間中国で生活して、中国人に対して、いろんな場面で「しょうがないなあ♡」と愛おしささえ覚えるようになった。

コロナの影響で、大連では今も集団で行うサッカースクールなどは禁止されている。

でも、みんなやりたい。

でもでも、警察が来たら、注意される。グラウンドやクラブは罰を受ける可能性がある。

そんなとき彼らは、警察への言い訳を用意する。

『たまたまこのグラウンドにサッカーの練習をする人が集まっちゃっただけでスクールはしていない』

と。

笑ってはいけないが、こう言えば大丈夫だと真剣に言っているのだ。

『こう言えば警察も納得してくれる』と本気で思っている。

一人や二人じゃない。何人もが真顔で言うということは、過去にこの言い訳が通用した経験があるのだろう。


こんなのって、スーパーキュートじゃないだろうか?

中国人って頭の回転が早くて賢い人も多いのに、純粋にこんな発想ができることに、もう萌える。


中国にいると、私ももっとわがままに、嫌なものは嫌、好きなものは好き、おかしいものはおかしいと声を上げていいんだ、と解放された気持ちになる。もちろん、人に迷惑をかけない程度に。


今でも、私の中の世界平和までは程遠いと思っている。
だが、一歩進んで二歩下がりながら、世界は着実に良くなっている。
この国に住めてよかった。

いつもお世話になっている中国人のみんなに、これからお世話になるみんなに、今度帰国したら日本のお菓子と化粧品をたくさん買ってこよう。


どす黒い血の色一色だった私の中の中国は、最近は薄い赤とのマーブルカラーになってきた。


PS 書き終えた今、マンションの管理人から「工事でミスって水道管が爆裂したからしばらく断水します。水使わないでね」と連絡がきた。こんな時は血の色多めのマーブルだ。


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