2015年10月 抜糸、退院日決定(入院12日目、手術から11日目)

6時起床。36.6度。
寝不足で眠い。寝付けず、読みかけだった小説『STORNER』(ジョン・ウィリアムズ・著、東江一紀・訳)を読み終わり、1時すぎにようやく寝たのだった。夜中におなかが痛くなり、トイレへ。食事を再開した影響だろうか。
昨日から三人部屋に一人なので、初めて部屋の窓をあけて、外の空気を入れた。ラジオ体操の動きをする。気持ちがよい。

スマホに通信制限の通知。radikoが聞けなくなり、この先はひたすら本を読むしかない。

振り返ると、鼻のチューブはつらかったな。
術後1日目は、おそらく舌を切った痛みと気管挿管時の痛みとがあいまってつばを飲み込むのが本当につらかったし、痰とつばの区別もよくわからないしで、つらかった。
2日目になって、口の中の腫れが出てきたようだった。鼻水・鼻血もあいかわらずで息苦しく、このまま眠ったら呼吸困難になるのではないかと、夜眠るのが少し怖く感じた。
気管の痛みがおさまったあとは、鼻からのどにかけてのチューブの痛みがしぶとく残っていた。それでも、入院前に外来で受けた説明通り、チューブに体が少しずつ順応していったと思う。
のどに常に異物があることの影響はとても大きくて、チューブの位置が少しずれただけでもすごく嫌な感じで、ついそのことに意識がいってしまい、頻繁に頭痛になった。
体の動きの制限される度合いとしては点滴の方が大きいはずだけど、点滴がとれたことよりも、チューブがとれたことの方がうれしかった。
チューブが入っていた10日間のうち8日間くらいは、チューブから栄養や水が入ってくるのに合わせて、飲み込むイメージをしながら、のどの飲み込み動作を繰り返していた。口から食べてよくなったときにスムーズにできるようにと思ってだけど、意味あったんだろうか・・・。

8:45、朝の診察。ミスター無表情による抜糸。
「痛いですよー」とか「我慢してくださいねー」といった声かけは一切なく、終始無言。糸を切るとき、ぶちん、と音がする。ひっぱられるのか、かなり痛い。あとどれくらいの時間がかかるのかもわからず、つばが口の中にたまってきて、一回中断してもらった。
奥の方に、溶けるタイプの糸を2本残して、抜糸は終了。
昼前に主治医の外来に行って、退院許可をもらえる見込みとのこと。「外来ってこのかっこ(パジャマ)で言っていいんですか?」と聞くと、「あ、全然大丈夫ですよ。たしかにわからないか・・・」とうっすら笑っていた。
外来に行くため、11時に病室で待つことになった。

病室に戻ると、看護師からベッドを移動するようにと言われた。杖をついた老人が入室するので、一番手前のベッドを使いたいとのこと。奥の窓際のベッドに移ることになった。明るいし、物音も多少遠ざかるし、よかった。

12時、昼食。
メニュー:全粥、みそ汁、ミートローフ(人参、ブロッコリー)、かにと冬瓜の煮物、桃果汁ゼリー、梅びしお

13時、朝の診察の際、外来に行くために11時に病室で待つように言われていたが、いっこうに声がかからないので、診察室に行って若い医師達に聞いてみた。腫瘍外来が非常に込んでいて、なかなか診察の時間をとってもらえないとのこと。明日にでも退院できそうな感じなのになぁ。

14時、てきぱきさんの女性医師が来て、下記2点の連絡。
・退院後の食事について、栄養士が15時か16時に説明にくる。
・外来が激混みで、かつ主治医が16時から会議のため、診察が18:30くらいになるかもしれない。
ずいぶん遅くなるようなので、先にシャワーを済ませることにし、「夕方遅くなるかもしれないけど退院日決まったら連絡します」と職場に電話を入れた。

17:30、主治医の診察。
・傷口の開きはなし。
・舌の腫れとむくみのため、歯の痕がついている。食べること、話すことで噛まないように気をつける。会話は控えめに。
・術中の病理検査の結果はまだ出ていない。
・今後は5年は経過観察が必要。退院後、2週間以内に1回、その後1年以内は1−2ヶ月に1回、2年目は2−3ヶ月に1回、といったペースで受診する。
退院はいつでもいいよ、と言われたので、「じゃあ明日で!」と伝え、明日退院することにしてもらった。
次回の外来受診日を決めて診察終了。
小躍りするような気分で病室に戻った。

17:45、栄養士による栄養指導。
・食べること、話すことが十分なリハビリになる。無理にたくさん噛むような食べ方をしてもリハビリにははらない。
・食べる前に小さく切って噛む回数を減らす。1回の食事に1時間以上かけないくらい。
・傷を治したり、筋肉を作るにはタンパク質が必要。朝食を抜いても牛乳は飲むとかして、1食に1−2品は必ずとるように。
・タンパク質とビタミンCを一緒にとるとよい。みそ汁やスープに野菜を入れる、市販の野菜ジュースを飲む、でもよい。芋類は糖質が多いのでかたよらないように。
・ご飯類は、白米から始める。雑穀類は噛む回数が多いのでしばらくは控える。
・傷が治らないうちは、体重を減らさないように心がける。

17:50、看護師から退院説明。
・退院後に腫れ、出血、発熱など何かあれば病院に電話する。外来の時間中なら病棟へ電話すれば病状がわかる医師が対応する。それ以外なら当直医の対応にはなるが代表電話へ。
・明日は土曜日で外来が休みなので、次回の外来受診時に支払いを。入院費用の概算は、営業時間中であれば電話で確認できる。

18時、職場関係に退院日と出社日の連絡。
11月4日(水)から出社になりそう。1週間くらいあけて、病院の外の生活に体を慣らしてから復帰したかったけど、2週間近く休んでいるし、数日後にはもともと予定してた同僚の2週間の休暇があり、二人同時に休むと他の同僚達にかなり負担をかけることになるので、早めに出社することになった。
上司と話し、最初の1週間くらいは5−6時間の時短勤務にさせてもらうことにした。
総務担当者と相談して、傷病手当は使わずに有給休暇で処理してもらうことになった。
家族、元同僚、友人、意図せずして病気のことを知られることになった知人たちにも連絡した。

19:10、好物のシウマイ弁当と、おやつのプリン(私用)、シュークリーム(自分用)を持って夫がきた。退院日が決まったお祝いというところだろう。プリンはC3のカッププリン。おいしかった。
明日退院なので、お互いうれしい。
20時、夫帰宅。河出書房の日本文学全集の石牟礼道子の巻(結局1ページも読まなかった)、村上春樹『職業としての小説家』、洗濯物、リュックを持ち帰ってもらった。
日本文学全集は刊行が始まったときからせっせと買ってはいたけれど、まったく読んでおらず、「病気でもしないと読まないね」などと言っていたのだが、本当に病気になってしまって笑えない。病気をしたけど読んでいない。
退院から1年経つ現在も買い続けてはいるが状況は変わらず。

21時、村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んで寝た。

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