2015年11月前半 職場復帰、不調、際限ない不安

11月1日(日)
近所の飲み屋で夫と退院祝い。ふだんほとんどお酒を飲まないのだが、店の料理が好きでよく行くところ。
近所に夫の同僚が住んでいるので、彼も誘った。3人で食事をしたことがある人だ。私ががんになったと聞いてとても驚き、心配もしていたようだけれど、退院直後に元気なようすで再会したことに驚き、楽しそうだった。

11月2日(月)
保険の請求の手続きを1つ済ませた。
大学病院に入院費用の概算を問い合わせ、クレジットカードで支払えることを確認した。限度額適用認定証を提出していたので、8万円くらい。
自宅の避難袋の入れ替えをし、食品などの買い足しをした。

11月3日(火・祝)
夫の母、夫の弟の妻が自宅に来た。サンドイッチや野菜などを持ってきてくれた。パンを食べるのがかなり久しぶり。ふつうになんでも食べられるつもりでいたけれど、焼いた食パンの耳を食べるのが少し大変だった。
夕方、夫と出かけて、職場にもっていく菓子と、自宅の避難袋の不足品を買った。
退院後はたんぱく質を多くとるようにと言われたので、夕食は、ジンギスカンにした。

11月4日(水)
大学病院で入院費用の支払い、保険関係の書類の受け取りをし、残っていた保険の請求手続きを終えた。
その後出社。16日ぶりの職場だ。
11時に出社すると、ペアで仕事をしてきた同僚Aさんと上司がいた。
席に着こうとすると、上司から「Aさん、満身創痍だから」と言われた。
迷惑をかけたことを謝り、Aさんに「引き継ぎ、午後からにしてもらえますか」と伝えると、そばにいた上司から「notomさんが元気なうちに午前中やったら?」と言われ、そのまま引き継ぎを始めることになった。引き継ぎを受けているうちに、舌の傷跡のあたりがじーんと、硬くなるような感覚になった。入院中はなかった感覚で、怖くなる。
午後、上司が外出。私宛に頼みたい仕事を箇条書きにしたメールを送ってきていて、それについて「話さなくてもできる仕事作っといたから」と言って出かけていった。
「もしもうまく話せない時期があったとしても、話さなくてもできる仕事はあると思う」とは、入院前に上司に対して苦しまぎれにぽろっと伝えたフレーズだった。自分で言うのと人から言われるのとではずいぶん違い、なかなかダメージを与えるフレーズだ。もう二度と口にするまい。
上司からのメールをCCで送られていた同僚などから「なんで初日からこんなことになってるんですか」と聞かれたけれど、「わからない」と答えるので精一杯。
迷惑をかけていると自覚している状態で「NO」という意思表示をするのは難しい。今日は顔見せ程度で、たまっていたメールチェックくらいかとふんでいたのだけど、午後遅くからはふられた仕事に手をつける。
午後、ひどい腰痛。
入院前から決めてあった通り、電話や会話を少なくできるように他のスタッフと離れた場所で仕事をさせてもらっていた。涙がにじんできても気づかれないで済んで助かった。

戻ったからにはさっさと働けということか、と受け止めた。
かつて、節目の大事な時期に上司がきちんと職場に来れなかったとき、事務所のスタッフ総動員で仕事を回して支えたこともあったのに、逆の立場になったらこれか・・・と、悲しみ、怒り、憎しみの感情がわく。

この後も長い間、この日のことをたびたび思い返し、怒りと憎しみにとらわれて苦しかった。自分の抱えている不安を転嫁していた面もあるかもしれないし、不安が怒りや憎しみを増幅させていた面もあるかもしれない。

11月6日(金)
夕方から、のどの左奥、左耳の奥・下あたりが痛む。

11月7日(土)
前日からの痛みは変わらず。
午後、予約していた地元のHクリニックの診察。
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傷の経過は良好。
舌の上面のヒリヒリ感は手術の傷の影響から。傷口をふさぐために引っ張っているため、神経も引っ張られている。今後、回復していく中で、舌にヒリヒリ感がもっと出てくることがあるけど、神経が回復している証。
味覚のばらつきが出てくるかもしれない。
舌がうまくつかえないことで、舌の下の部分に熱いものが入り込みやすいので、やけどに気をつけること。
前日からののどあたりの痛みも、手術の影響の可能性が高い。唾液腺が引っ張られている感もあるので、そのせいではないか。
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11月9日(月)
大学病院受診。
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手術の病理検査結果について。
切除した部分は48mm*20mm。6mm*4mm*0.5mmのがん細胞が1つ含まれていた。舌の表層のみ浸潤しており、筋肉までは届いていなかった。切り取った周囲からがん細胞までの距離も十分あるので、がん細胞は取りきれたといっていい状況。
視診、リンパの触診も異常なし。
のどの奥あたりの痛みはようすを見る。
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術前検査で要検査となっていた甲状腺に関して、11月16日に耳鼻科を受診することになった。
手術の病理検査の結果については、夫、兄、職場、連絡していた友人に伝えた。

11月10日(火)
夕方、仕事が休みの母と食事。食べ過ぎたかなと感じるような、胃のあたりがすっきりしない感覚。
夜、入浴後にのどの痛み、夜中に寒さとのどの痛みを感じる。

11月11日(水)、12日(木)
腰、膝に重く痛い感覚と熱っぽさがあるため、出社はせずに自宅作業。

11月13日(金)
出社したが早めに帰った。

11月14日(土)
症状が変わらないため近所の内科を受診。風邪の症状。体力・免疫力が落ちているため漢方薬を処方された。

11月15日(日)
出社。6日以降体調不良が続いていて、体力的にはきつかったが、ランチのときに同僚に、4日の出社以来感じているもやもやとした気持ちを話して少しだけ楽な気持ちになった。
帰宅後、夜になって38度の発熱。

手術・退院までは、「悪い部分を切ってしまえばそれで終わる」という簡単な考えでいたけど、いざ手術をして、退院してみたら、また次の不安がやってくる。
「本当に全部とれたのか」「細胞レベルでは残っているかもしれない」「次の検査で見つかるかもしれない」「このストレス、この風邪のせいで免疫力が落ちて、またどこかのがんになるんじゃないか」「今度がんになっても見つけられるかわからない」・・・きりがない。際限なく不安がやってくる。こんな感覚になるとは、想像もしていなかった。

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