沈黙は金、雄弁は銀。
3人以上でいると、話せなくなることが少なくない。
1対1でいるときは特に問題もなく普通に話せているのに、そこに1人新たに入ってくると、2人の話を聞くばかりになってしまって、自分から発言しなくなってしまうのだ。昔からそういった傾向があり、大人数で喋る場が苦手だ。というか、年々どんどんと苦手になっていっているような気がする。これはとてもよろしくないことのように思う。
どうしてこうなってしまうのだろう。
多人数でいるときの自分の気持ちを思い出してみると、億劫だ、という思いが心を占めている気がする。「言って大丈夫だろうか」「変に思われないだろうか」「どうせ自分が言ってもな・・・」「言わないほうが良いだろう」。そんな気持ちがぐるぐると回っている。自分のことながら、あんまり健全な精神状態ではないように思われる。
「沈黙は金(きん)」という言葉がある。
誰かと話していると、ふとこの言葉が頭に浮かぶことがある。
特に前職で多くのスタッフをマネジメントしていたときには、よく思い起こされた。個性も性格も生き方もバラバラなスタッフたちを指導していくとき、何を言えば正解かよく言葉に詰まることがあったのだ。そんなとき「まあ、沈黙は金だしな・・・」と自分を正当化するかのように、この言葉を使っていた覚えがある。
その時期からの悪癖が、わたしに残っているのかもしれない。
以前カウンセリングを受けたことがあるのだけれど、そのときの先生は、「自分の気持ちはちゃんと吐き出さなければいけませんよ」と言っていた。その言葉から自分を見ると、常に自分の気持ちを飲み込み続けている私は、あまり良くないのかもしれない。さらに付け加えると、楽しく会話しようとしているのに、黙りこくってしまって会話ができていない相手に対しても、良くないことのように思える。性格だ、性質だ、と開き直ってしまうことは簡単だけれど、直せるものなら直したい、というのが、この私の悪癖に対する正直なところ。
ところで、「沈黙は金」に対して、こういう言葉もある「雄弁は銀(ぎん)」。
わたしはまさに上記のような意味合いでこの言葉を使っていた。
しかし、Weblio辞書の「沈黙は金」のページにはこの続きがあった。
つまり、「沈黙」よりも「雄弁」が良いとされている言葉だったというのだ。
それが本当だとすれば、私は全く逆の意味で言葉を使っていたということになる。これを知ったとき、わたしはポカンとした。いままでの自分はなんだったのか、と。でも、いままで言葉で自分を縛ってきた私には、これは良いことのように思える。なにせ、自分を縛っていた言葉と、まったく逆の言葉を手に入れることができたから。
これからは億劫がらずにちゃんと気持ちを言わなきゃいけないなあ、なんてことをぼんやりと思う今日このごろである。
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