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PFFアワード2023 初日の短評

自主映画の登竜門として45回を迎えた「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」、昨年は最終日だけ参加してPFFアワード受賞作のみを見ることができたが(その時の短評)、今年は逆に初日だけ参加できたアワードに入選した22作品にうちの8本を見た。これらが何らかの賞をとるのかはわからないが、自分の備忘録と、2回目の上映のときの誰かの参考のために記しておく(アワード作品は会期中2回上映される)。

*PFF2023は9月9日から23日まで、東京の国立映画アーカイブで開催。入選作品は10月31日までオンラインで配信もされている。



うらぼんえ(監督:寺西涼/28分)

お盆にまつわる世にも奇妙な物語。30分弱という長くはない時間のなかに、一本の、しかし、思わぬツイストを効かせてある。カタログにある監督のコメントにも「一つのジャンルに当てはまらない作品にしたいという意識が常にあります」とあるように、怖さもあれば笑いや涙もある、見ている者の感情をひとところには置かせない作品だった。それでていて散らかった印象があまりないのは、意外なほど丁寧にカットを割ったり、奇妙な音色ながら要所を押さえた音楽(これも監督の自作)によるのではないだろうか。

こころざしと東京の街(監督:鈴木凛太郎/10分)

進路選択の最中にいる二人の高校生の放課後、些細な選択のもたらす決定的な違いを短い時間で表現している。自分の高校時代を思い起こしても、こうした何気ない選択の違いがその後に影響したような気もするし、いや、分かれ道は無数にあるのだから何度迷っても良いのだと開き直りたくもなる。
劇中にあるロングショットがとても印象的で、こういう青春映画があって良いと思わせた。

ちょっと吐くね(監督:大野世愛/20分)

大学か専門学校のトイレに籠もる拒食症らしき女性二人。並びあう個室をセットでつくる心意気には感心したが、違う型のトイレなのが惜しい。ならばむしろまったく抽象的な「白い個室」を作り上げた方が、登場人物たちの病を鮮明に映せたのではないかと思われる。

逃避(監督:山口真凜/57分)

恋人たちの物語。人身事故か傷害か、何らかの罪を犯して彼が帰宅したことが冒頭で明確に描かれるにもかかわらず、二人の間に最も決定的な言葉が発せられない緊張を保ったまま1時間あまりの物語は進む。彼の惨めとしか言いようのない姿に比して、彼女の佇まいは極めてクール。それは抑制の利いた演出によってもたらされているのだが、同時に彼女の彼への優しさを描き出すことにおいても成功しているように思われた。

ParkingArea(監督:増山透/9分)

さまざまな実写映画でそれが使われていても気がつかないことのほうが多い昨今なので、CGだから質感や重さが感じられないということはもはやないけれども、この作品はCGの浮遊感や非現実感が心地よい一作だった。シングルチャンネルの《映画》ではなく、VRなどの没入体験型のメディアで見てみたい。

Flip-Up Tonic(監督:和久井亮/26分)

クリス・マルケルの『ラ・ジュテ』やゴダールの『アルファヴィル』を引くまでもなく、ある種の「見立て」だけでSF映画はつくれるものだけれども、登場人物がみな学生らしき若者で、おそらく学校とその近所だけで撮影が済まされている、だがしかし、わずか30分弱のなかで無謀とも思われるほど複雑なプロット、おそらくやってみたいことをすべて詰め込んだ情報量の多さ(そして、おそらく監督自身の頭のなかではまったく整合性がとれている感じ)が、今日的な(VFXを使用しない)SF映画が向かうべきひとつの方向であるように思われた。優れた作品かどうかは別として、個人的には今回見たアワード作品のなかで最も好感を持った。一人観客賞をあげたい。

ふれる(監督:髙田恭輔/56分)

小学生くらいの子どもというものは、感受性は十二分にあるけれどもそれを表現する言葉や技術をまだ身につけていないもどかしさがあるもので、母親を亡くした主人公の女の子の姿に身につまされる作品。それが演技としてなされているだけではなく、会話の場面での片方の表情しか見せないショットなど、今回見た作品のなかでは抜きん出たレベルにある映画だった。何らかの賞はとるだろう。
そもそも、子どもを主人公に据えた映画の演出の難しさはそこかしこで聞く。カタログによれば、脚本には出来事だけが書かれていて、台詞はその場で役者が発しながら映画を作っていったというのだから、子役の女の子を含め俳優たちへの信頼と、即興のなかで何事かを汲み取り、物語を構築していく技量に驚嘆せざるを得ない。

リテイク(監督:中野晃太/110分)

自主映画では《映画づくりの映画》という一大ジャンルがあり、それも主人公が高校生たちというと、なんだか痛々しいものを想像していたが、前半は想像の通りであった。奥手の男の子、積極的で(でも本当は繊細な)女の子、彼らをとりまくちょっと個性的な面々のこそばゆい青春もの。しかし、前半は、であった。これで2時間近く続くのだろうかと心配になってきたころ本作はメタ映画の様相を現す。リテイクを繰り返しながらも少しずつ変化する彼らの映画づくりは、反復しながらも確かにあるべき方向へと進んでいき、そのうちに青臭い登場人物たちが愛おしくもなってくる。最後の場面をどうするか悩みながら何度もリテイクされるとき、あえて日の陰りによって実際の時間が確かに経っていることが示されることに好感を持ったのは、自分がもう青春からはるかに遠いところに来たからだろうか。

余談:ポゼッション(監督:アンジェイ・ズラウスキー/1980年)

特集プログラムにある『ポゼッション』も初日の上映だったのだが、せっかくPFFに来たならアワード作品を見るべきだろうと泣く泣く諦めた。
この映画、大学生のときに初めてレンタルで見て印象に残っているのだが、映画全体もさることながら、ある場面で強烈な既視感を持ち、数年後にふとそれが中高生のころ聞いていたバンドの曲(『Obsession』/Soft Ballet「愛と平和」に収録/1991年)にサンプリングされていた短い台詞であると思い当たって戦慄したことが個人的な思い出である。しかし、そんなことがあるだろうか?(それとも当時のファンの間では既知のことなのだろうか。SNSもない時代なのでわからない)


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