世界の名ボクサー:ゲリー・コーツィー④ラスト「豪腕の南アフリカ・ヘビー級」

WBA世界ヘビー級王者。世界王座防衛戦とその後。グレグ・ペイジ戦(WBA王座戦)、ジェームス・ティリス戦、フランク・ブルーノ戦、アイラン・バークレー戦ほかを紹介します。

ゲリー・コーツィー(南アフリカ)
身長189cm:オーソドックス(右構え)

①グレグ・ペイジ 8R KO ゲリー・コーツィー
(WBA世界ヘビー級タイトル戦、1984年)
(ダウンシーン)
7R:左フックでコーツィーがダウン
8R:左フックでコーツィーがダウン
(感想:ペイジがタイトル獲得。得意の右パンチでマイケル・ドークスをKOして王座奪取のコーツィー。実力者と初防衛戦。挑戦者ペイジはケンタッキー州ルイビル出身。あのモハメド・アリと同郷で、アリとスパーリングしたことも。アマで活躍後、プロ入り。「天才ボクサー」ではあるが、「練習嫌い」らしい。トレバー・バービックに判定負けで初黒星。ティム・ウィザスプーンと空位のWBC世界ヘビー級タイトルを争って判定負け。その再起戦でデビッド・ベイに判定負け。二連敗を喫してしまったが、なぜかその再起戦でコーツィーの王座に挑戦するチャンスを得た。それには理由が。当時、南アフリカには悪名高い「アパルトヘイト」があった。WBCはこれに反対の立場。南アフリカをWBC王座戦から閉め出す意向。ベイもアパルトヘイトに反対の立場。ベイの代わりにペイジが南アフリカで試合することになったが、WBCはペイジをWBCランキングから除外。当時はWBAとWBCの時代(IBF、WBOはまだ無かった)。世界王者になるにはペイジはWBA王座を何としても獲らねばならない。南アフリカ・サンシティで行われた一戦。いつもよりフットワークをひかえめにしてジャブ、ストレートで前に出るペイジ。コーツィーはペイジの動きにかわされて手数が少ない。2Rの開始時にはまだコーナーにいるコーツィーにペイジが突進。ペイジが連打で攻めるのに対し、コーツィーは得意の右を単発的に打つ。7Rのダウンの後、コーツィーは右ストレート狙いで前に出る。8R、のらりくらりとした動きからジャブ、右ストレートを当てるペイジ。右が効いたコーツィー。左フックでダウン、失神KO。最後は強烈な左フックで決着。しかし、KOタイムは何と「3:48」。これはかなり問題がある。3分を過ぎても普通に戦っていた両者。タイムキーパーは何をやっていたのか? 反則で試合が中断することはよくあるが、このラウンドはそういった中断は一切無かった。しかしながら、両者とも気付かず戦い続けた、ということで王座移動が認められた。ペイジが当てるテクニックで上回った一戦。無器用なコーツィー。得意の右が当たるような攻めをすべきだったが、それができなかったところにこの選手の限界がある。しかしこの後、ペイジはサッパリ。ようやく王者になったが、初防衛戦でトニー・タッブスに判定負け、王座陥落。その後、マイク・タイソンを東京でのスパーリングでダウンさせて話題になったこともあったが、ドノバン・ラドック、ブルース・セルドンといった若手の踏み台に。そして2001年。ケンタッキー州ヘビー級王座決定戦でKO負け。その試合で重傷を負い、引退。破産し、最期は脳梗塞を原因とする様々な合併症で死亡(2009年。50歳)。アリ、ラリー・ホームズが認めたほどのボクシングセンスの持ち主であったが、悲しい最期となってしまった。)

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