ブラック企業勤めのアラサーが文学フリマ東京に出るタイプのアラフォーになるまでの話⑦

前回までのあらすじ

 ブラック企業勤めで心身を病んだ山羊座の女(アラサー)は2019年、朗読と文章の学校に通い始めた。2021年、そこでできた友人たちと「お題を出し合って、月に2000字以上の文章を書いて、10000字以上の作品を作る会(以下10000字の会)」を結成。2022年、2023年と、その10000字の会のメンバーで「声朗堂」として文学フリマ福岡に出店した。

 しかし、もう今週末に迫った文学フリマ東京に出店するのは「声朗堂」としてではなく、「山羊座のナンカ」という私の個人名義で。いったい何があったの? というのが今回のお話。



 話は、2022年2月にさかのぼる。

 ある日私は木下龍也さんの『天才による凡人のための短歌教室』を読んだ。そこには「短歌をつくることを毎日の習慣にする」という一文があった。

 短歌を毎日つくる。それを習慣にする。いったいどうすれば。
 そう考えたときに思い当たったのが、日記屋月日の有料会員になることである。

 ここでまずお話すべきこととして、①短歌と私の関係、②日記屋月日と私の関係の2つが挙げられる。

 まず、①短歌と私の関係について。

 私は高校時代、文芸部に所属していた。当時私がメインで書いていたのは詩で、高文連の大会でも詩の部門で参加、賞をいただいたことがあるのも詩部門だったのだが、ひとつ上の学年に短歌部門で全国大会に出場なさった先輩がいた。その先輩の影響で、部誌には毎回数首ずつ短歌も寄稿していた。

神さまは何人いるの妹の謎「60億人」口の中で言う

 当時の歌で唯一覚えているのがこれである。定型を破りすぎていてびっくりするが、今思うと、2000年代初頭の国際情勢に高校生なりに一生懸命向き合っていたのだろうな、と思う。

 その後社会人になり、なんとなく朝早く目覚めたときにNHK短歌を観ていたら、これがすごくおもしろくて、毎週録画をして観るようになった。その中でもカンハンナさんの歌がすごく好きで、『サラダ記念日』以外で初めて歌集を買ったのが『まだまだです』。そしてそのあと小島なおさんにハマり『乱反射』を購入。自分もNHK短歌に応募するようになった。

 応募は、年に数回。もちろん一度も採用されることはなかった。

 そんな中出会ったのが木下龍也さんの『天才による凡人のための短歌教室』である。

 短歌を毎日つくることを習慣にする。それを365日続けたら一首くらい傑作ができるのではないだろうか。
 そう考えた私は、日記屋月日の有料会員になって毎日短歌つき日記を書こうと決意した。

 次に、②日記屋月日と私の関係について。

 月日会のメールマガジンにはもともと朗読と文章の学校の先輩である木埜さんが毎週日記を投稿していると聴いたときから、無料会員として登録していた。朗読と文章の学校の女性メンバーのオンラインお話会「ウリウリの会」で木埜さんにほんのすこしだけ誘われていたものの、「日記を書くのはないわ(続かない)」と思って読むだけにとどめていた。

 しかし、歌を詠むことを習慣にすることを考えたときに、「お金を払ってメールマガジンに投稿するという縛りを課せばうまくいくのでは?」と思い立ち、自分も日記を始めて見ることにした。それが2022年2月10日のことである。

 それから2024年の今にいたるまで、私は毎日短歌を詠み続けた。そして日記をつけて月日会に投稿した。そして1年後に開催された第3回日記祭に合わせて1冊目の日記本『#ショートで生きる』を作った。

 さて、この日記本。大きな問題点がひとつあって。

 それは、日記に登場する頻度が高い人物にあだ名をつけていることである。これは、夏目漱石の『坊ちゃん』を意識してやってしまったことで、私の日記を読んでいらっしゃる方には割と好評なのだが、本人に露見するとシンプルにやばい。このnoteがブラック企業にばれるのの次くらいにやばい。

 さらに、日記本を地元で顔を出して売るのにもなんとなく抵抗があった。そのため「日記本は通販と日記屋月日を介してしか売らない」と決めたのだが、2023年4月。その決意がもろくも崩れ去ることになった。

 2冊目の日記本『わたしのかけらをそっと手放す』が、第4回日記祭(2023年4月開催)で5/20冊しか売れなかったのである。

 冷静に考えると、無名の素人の日記なんて売れなくて当たり前である。実際、最初は5冊も売れたことに感謝の気持ちでいっぱいだった。しかし、その一方で「第3回日記祭で『#ショートで生きる』は11/10冊売れたのに……見本誌も売れたのに……」という気持ちはぬぐえなかった。

 『わたしのかけらをそっと手放す』は通販での売れ行きも『#ショートで生きる』に比べていまひとつで、私はすっかり落ち込んでしまった。

 正直、『#ショートで生きる』より、『わたしのかけらをそっと手放す』の方が自信があった。

 短歌も上手になっていると思うし、内容もまあまあおもしろいのでは、と思った。ただし『#ショートで生きる』で多かった「愉快な同僚とのエピソード」は人事異動によってほぼなくなってしまっていた。(※『わたしの~』の時期は偉い人に「やぎざさん今の部署で友達いる?(要約)」と言われるくらい職場で孤立していた時期だった。)

 私は結局同僚のエピソードを売っていたのか。
 単品ではおもしろくないのか。
 ていうか、『#ショートで生きる』がつまらなかったから日記界で見放されたのでは?

 そんなことをつらつらと考えた。そんなときに思い立ったのが、2024年2月の文学フリマ広島への参加である。

 地元でなければ、顔を出して日記本を売ってもいいかもしれない。
 自分の手でお客さんに手渡せば、自分の日記本の価値がわかるかもしれない。

 そう思って、文学フリマ広島にひとりで乗り込むことにした。

 次回は最終回(予定)、「文学フリマ広島にひとりで参加して、その勢いで文学フリマ東京に申し込む」話。

 なお、NHK短歌にはいまだに一首も入選していない。そもそも応募も数か月に一回だったので、2024年は毎回応募している。毎月『NHK短歌テキスト』で自分の名前を探しているが、ぜんぜんひっかからない。



 おまけとして「山羊座のナンカ」の由来となった出来事が起こった日の日記の一部を2日ぶん掲載いたします。なお、私以外の人物が登場する部分を中略しているので、もし全文を読みたいという方がいらっしゃったら、文学フリマ東京か通販にて『わたしのかけらをそっと手放す』をお買い求めいただけると幸いです。まだ残り22冊あります!!

2023年10月12日(水)
 七時半に出勤。(中略)二十時に退勤。帰宅した瞬間に「今日、月日会ラジオ出るんや……」と思い、緊張しながら色々する。
 ラジオ、私のiPhoneのマイクが繋がらなかったり、私が話すタイミング分からなくて被せてしまったりと申し訳なかったのだが、楽しくお話しした。身近な他者に日記を公表していることを言っているかいなか、他者の日記を読んでいることについてお話を伺えて面白かった。(中略)
 
今日の一首
びんづめに手紙を入れるほどの祈りでわたしのかけらをそっと手放す

 日記をいつかどこかに放流する。

2023年10月14日(金)
 朝から昼まで職場で馬車馬のように働いてから六十九キロ離れたところへ出張に行く。高速を走るのは好き。(中略)
朝昼食べ損ねていたので二十時間ぶりの固形物がマック。血糖値爆上がりだったかもしれない。
 月日会ラジオの録音を半分ほど聴く。私「何か」と言いすぎていてびっくりした。いつもこうなんだろうか……。昔から「言いたい」と言う気持ちが言語化よりも半身前に出てしまうタイプである。見切り発車で口を開いて、出てくるのが「何か」なのかもしれない。朝ドラ「べっぴんさん」のすみれちゃんが名案思いつく直前に言う「なんか……なんかな……」は大好きだったんだけどな。気をつけよう。「えっと…」とか「その…」の方が可愛げあるし。

今日の一首
偶然を愛しすぎてる私たちは偶然をすぐ運命にする

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