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墓場より甦りし「平成の、世紀の政商」竹中平蔵とは何者なのか

ベーシックインカム発言で我々は思い出した。世紀の政商、竹中平蔵という人間を。竹中平蔵は小泉純一郎の改革路線の具体策を全て采配した経済学者だ。小泉純一郎は改革者として「自民党をぶっ壊す」とまで発言したが、実際の改革はすべて竹中平蔵に丸投げした。様々な会議を作っては「じゃ、ああとは竹中平蔵さんに任せます」と席を立ってしまう。「皆さん竹中平蔵くんをよろしく」といって丸投げ。小泉純一郎とは政局に秀でた政治家だったが、そもそも「変わり者」と言われた時代から内閣総理大臣になるとは思われてなかった。内閣樹立当時に閣僚に田中真紀子を起用したことからも、当初は小泉純一郎内閣がそれほど「つよい内閣」ではなかったことはよくわかる。小泉純一郎の成立に当時、天まで昇るほどの田中真紀子の任期を利用したことは絶対的真実である(今からではわからないかもしれないが、田中真紀子は女性政治家としてはあり得ないほど当時は人気で、次期内閣総理大臣という呼び声高かった。今ではわからないことだ)。

竹中平蔵は小泉純一郎の改革路線を全て担った。しかしそれは唐突に現れたわけでなく、小渕内閣の経済戦略会議から彼は政治に参画していく。小泉純一郎内閣では権力そのものとなっていったが、その中で彼は一度だけ国政議員にもなった。郵政民営化という小泉純一郎のマニフェストの一丁目一番地を推進したので、小泉純一郎とは極めて蜜月かのように思われるが、実はその後、NHKの完全民営化を推進使用として小泉純一郎に拒否される。竹中平蔵はこれにひどくショックを受けたのか、次の年に参議院議員の4年近くの任期を残して自ら議席を返還することを望んだ。彼は政治にこれ以上なく近づかんとする政商だったが、政治家として活動することには執着はなかったし、全国比例区でトップ当選とはいえ地盤もない国会議員だったので足を落ち着ける地面もなかった。

小泉純一郎が時代というものに求められるまま権力を振りまいて、求められるままに時代が流れ退陣した。小泉純一郎の影法師であった竹中平蔵にもそれ以上の政治の季節はなかった。ここから数年、国民からは忘れられ、また、憎まれることになる。派遣労働者の全面解禁を推進したことで低賃金労働者達からの恨みを一身に受け止めることになり、「リーダーシップがある国会議員」としていつまでも歴史にいいイメージが残る小泉純一郎とは真逆であった。また、まさにその派遣労働のド真ん中のパソナに取締役会長に就任していることは利益相反であるという言説にもある程度の説得力はある。

そんな竹中平蔵が復権したのが第二次安倍政権であった。小泉純一郎政権で官房長官として就任していた縁か、様々に創設された会議に民間議員として就任して「政治の季節」が再び訪れた。

そしていま、安倍晋三内閣の次の菅義偉内閣の有識者会議「成長戦略会議」の民間議員として採用された。小泉純一郎から十数年、竹中平蔵はパソナの取締役会長という立場のまま改革を任されるということになった。

今回面白いのは、成長戦略会議には中小企業を再編することで生産性が上昇するという持論のアトキンソン、リフレ政策に未だにしがみつく高橋洋一が同時に任命されていることだ。果たして菅義偉はこの会議でどのような経済政策の方向性を形作り、持って行こうとしているのか。それが全く見えてこない。これは政権が樹立されてすぐに日本学術会議の任命で6名を拒否したからだ。政権批判激しい平田オリザが何故任命されたのになぜ保守主義などについてまとめる研究があるような人まで任命拒否されなかったのか。これ、ただの行き当たりばったりだったのかな(これ以上は本論から外れるのでやめる)。

竹中平蔵とは何者なのか。彼がメディアに出演して発言する内容はオーソドックスな新自由主義的な内容である。特に右左のイデオロギーにも関係がない。先日のベーシックインカムも先に大量に似たような提案をした有識者はいくらでもいた。7万円という金額もオリジナリティーがなく、竹中平蔵もそれほど前のめりにベーシックインカムを推進したような内容でもなかった。

竹中平蔵はあくまで負の所得税などを含めた「新しい社会保障」について議論を深めたいというつもりしかなかった。負の所得税などはベーシックインカムについてより政治的に導入が容易で、推進せんとするのは経済学者としては別に変な話ではない。ここで炎上するのは竹中平蔵がそれだけ嫌われていることがよくわかるだろう。小泉純一郎内閣の闇の部分を一身に背おって政界を去った最大の「政商」ともいえる男、竹中平蔵はこれからも自民党政権の有識者会議に出入りしていくのだろう。

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