自分が薄情者なのではないかという思い込み
私は25歳のときから祖父の介護、祖母の介護、今現在も父の介護が続いている。
最近は父が自宅で転んで起き上がれなくなり、3日後に発見され、その次の日に(発見された日ではなく)救急搬送された。
うちの父はやばいやつだと私は思っている。
そんな父も約4ヶ月の入院ののち、先日無事退院。
大腿骨骨折で、お年寄りが寝たきりになるやつと思い、うちの父も寝たきりになるのかな…なんて思っていた。
ところが、退院してみると私の心配など無用で。
一人で何でもできるし、杖があればどこまでも行けるように!
骨折する前と同じようにとはいかないけど……寝たきりになるなんて誰が言ったんだ。
父いわく、
「とにかくリハビリ頑張って、歩けるようにならないと生きていけないと思った」
とのこと。
生きることへの執念がすごいのか、病院のスタッフのみなさんが乗せ上手だったのか。
私は、父が転倒して4日目に救急搬送されたとき、「お父さん、死にたかったのかな」とか思っていた。
3日後に発見されて、すぐに救急車を呼ばなかったことでそう思ったが、父は痛くないし明日になれば動けると本気で思っていたようだ。
そのあたりは全く理解できない。
そういえば、うちの父は何度も命の危機に遭い、何度か入院をしている。
そのたびに私は、
「お父さん死んじゃうのかな…。かわいそう。」
と思っていた。
私からすると、とても人生舐めてて、遊び呆けてふざけた野郎に見えた父ですが、毎回、憐れに思って悲しんでいた。
そんな父に何かしてあげられることはないかと考えて、当時の私は毎日、お見舞いに行くことにした。
それしか私が父にしてあげられることが思いつかなかった。
毎日仕事が終わって、面会時間ギリギリに滑り込み、ひとことふたこと言葉を交わし帰る。
それがだんだんとつらくなってくる。
つらいというよりも、めんどくさい。
そんなときに思った。
「私は薄情者なんじゃないか?」
お父さんがこんなにつらいのに、健康な私がたったこれだけのことをしてあげることすらめんどくさいなんて。
…私はなんて薄情者なんだろう。
こんなことを思っていると、父に何かあるたびに追い詰められていく。
(でも毎回無事に生還復活)
その合間に、祖父の介護と看取りがあり、「私は薄情者」という思い込みの体験が増えていった。
祖母の介護のときに、その思いが救われる出来事があった。
祖母の息子4兄弟が、介護の方針で揉めた。
孫の私が祖母の介護をメインで仕切っていたが、父や叔父たちがなんだかんだと口出ししてきて、勝手にケンカになった。
そんなわけで、親族会議。
第三者の介護の事務所の社長が間に入ってくれた。
この社長さんは、うちの父たちの幼馴染の女性。
なので、ばっさばっさと父や叔父たちの身勝手な意見を切り捨てていく。(みんな言いたい放題で、実行はしない)
「そもそも、嫁に出てるみほちゃんが孫なのにこんなに頑張ってるんだから、もうお父さんの介護は頑張らなくていいよ。うん。」
え?そんなことしていいの?
私は家族見放していいの?
私は、私を育ててくれた恩を返さなきゃいけない、家族を見放すことは許されないと思っていた。
祖父母の介護を孫のあなたがする必要があるのか?と職場や友人に何度か言われたことがあった。
そのたびに、私の特殊な家庭環境のことをわかってもらえないんだと思って、詳しく説明しなかったし、相手の話をそれ以上受け入れられなかった。
今思えば、その話も、私自身が勝手に責められている気がしていたのかもしれない。
誰も責めていないし、むしろ私を救ってくれる助言だったかもしれない。
『一人で頑張らなくていいんだよ。』
『一人で背負い込まなくていいんだよ。』
『ちゃんと助けてくれる人はいるよ。』
今なら、そんなメッセージなんじゃないかと思える。
だか、あのときの私にはわからなかった。
育ってきた環境で作られた思い込みというのは、なんとコワイものなんだろう。
現在の私は、父の介護に積極的に介入していない。
父がそれを望まないからだ。
それでも父にとっての家族は私しかいないので、私にしかできないことがでてきたときには、父の家に行ったり、手続きをしたりする。
私には子どもが3人いて、1番下はまだ赤子だ。
父は私のことを気遣って、私に連絡を取らないのかもしれないと思うようになった。
(煩わしいっていうのももちろんあると思うが)
先日、父が退院したときに、病院から自宅へは私が送迎した。
今回の父の骨折の件は、人は歳を取ると、自分の自由に生活することの難しさ、さらには自由に死ぬことも難しいということを感じた。
介護する人たちの、「人としての最低限の生活」という価値観を押し付けられる。
人の世話にならなくてはいけなくなるので、しかたがないことなのかもしれない。
介護する家族は、自分の妙な思い込みと理想に勝手に自分が苦しめられているように思う。
父を自宅へ送り、帰るときに父に釘を刺したい衝動に駆られる。
『周りの人に迷惑かけないように、お世話になる人の話をちゃんと聞いてね』と言いそうになったが、それは父が望むことなのだろうか?と思い、言葉を飲み込む。
どうやっても迷惑はかけるし、父も別に好きでやってるわけではないのだ。
一瞬考え、
「転ばないように気をつけて、まぁぼちぼち楽しんでよ」
と父に言った。
いつも眉間にシワを寄せて私の話を聞いていた父が、笑って「いろいろありがとう」と言った。
私は、「自分も相手も幸せである」ことを、これからも気にしていこうと思った。
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