記憶の回路が繋がったり遠ざかったり。
この日記 あるいはエッセイのようなものを書くために最近 手書きでノートをつけるようにし始めた。今日も手元にノートをおき内容を見ながらキーボードをタイプしようと思い あらためて手元に目を落とすとあるべきノートがない。当然ノートに足が生えて歩き出し訳でもないからして自分が持ってくるの忘れたわけである。
さっさと歩いてノートを取りに行けば善いのだがなんとなくノートを取りに行くことが億劫に感じる。しばし自力で思い出せないものか試してみることにする。すると 意外や意外 わりとあっさり朝ノートになんとつけたか思い出せた……ような氣がしたのもつかの間 思い出していたのは昨日の朝の出来事であった。
これじゃあ 完全に記憶の捏造だ。と思ってたら しばらくして今朝の出来事に記憶の回路が繋がったらしく今朝あった事を少しずつ思い出してきた。
今朝は08時30分過ぎに目が覚めた。最近は曇りであったり雲の多い日が続いていたが 今朝は晴れ間の多い朝だった。キッチンに下りると太陽の光が玄関のドア越しに部屋に入り込んでいた。その光に誘われるように私も日光浴をしようと外に出ることにした。
早朝……と言えるかどうかは分からないけれど今朝の風は涼しかった。風の吹く方に目を移すとそこにはすでに出された可燃ごみたちの姿が見えた。「先輩 自分……もうスタンバイ出来てますよ?」という可燃ごみ声たちの声が聴こえてくる(聴こえません)
可燃ごみたちの声を聴いたつもりになった私は急いで自分の家のごみを集めることにした。急いでいると言っても 家中のごみを集めるその姿はあまりにスローモー過ぎて 急いでいるとは決して見えなかっただろう。
とにかく家中のごみをかき集め ごみ袋に詰め込み指定場所に出すことが出来た。手洗いをし 小さな満足感とともに今朝の分のお米を研ぐことにする。米を研いでいるといつものごみ収集車の音が聴こえてきた。スタンバイしていた他所のごみ達に合流出来て 我が家のごみ達もさぞ安心しているだろうと思った(大したことないことを大したことある風を装うのが得意技だ)
さて いつも何をしたかメモしているノートなしにここまで記憶が繋がったがここで手繰り寄せた記憶がまた遠のいていってしまった。迷子にならないように手を繋いでもらっていた親の手が離れていってしまった子どもの頃のような頼りなさを感じる。
私でさえままならない私の記憶とは一体なんなんだ!と文句のひとつも出てくるのが当たり前だ。自分の記憶に文句をつけるなぞ天に唾吐くような行為なのだろうが 結果が分かっていてもやりたくなるお年頃……という奴である。
まぁ善い。ここまで思い出したことに満足して今日は書くのをやめることにする。私が好きなカルチョ2020という番組をやってらっしゃるメインのお二人も名前が出てこないと言って この間の回で笑っておられた。
多少そのことを嘆いていたような氣もするが そう言うこともあると思いつつ ここで手を止めることにしよう。
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