既婚無職、幸せについて考える
今回は無職が幸せについて考えてみようと思う。こんなことを一回で語れる訳がないし、私にもまだ答えがない、だからこそ考えてみようと思う。
ところでタイトルがさりげなく、無職から既婚無職にジョブチェンジしていることにお氣づきだろうか(ジョブじゃないけどね笑)
ともかく、幸せについてだ。最近、幸せってなんだろうって思うことが増えた。大体こう言うことを考える時は本を読むことが多い。さっそく今回も図書館から本を借りてきた。
著者はドイツの女性でドイツは経済的には発展したが、自己肯定感や幸福感が低い傾向にあるようで、幸福度の高い北欧諸国を旅して自分で幸せについて探ってみたとのことだった。なんとなく日本と状況が似ている氣がする。
この本の中で幸福度ランキング上位の国の人間に幸せを数値化して教えてもらう下りが出てくる。最高を10点、最低を0点として、あなたは何点ですか?と聞く訳だ。大体、幸福度の高い国々は平均して8.2点くらいだそうだ。ちなみに私はこの本を読んだ時は自分の幸福度を6.4点くらいだと感じた。これは日本の平均点になるらしい(こんなところまで平均とは笑)
試しに私のパートナーに聞くと、彼女は8点と答えたのだった!
しかも、現状8点でまだまだ幸せが増えそうだから、余裕をもっての8点とのたまうではないか・・・。9点にしても良いけど先の楽しみが減るとのことだった。由々しき夫婦間幸せ格差である(正直、羨ましいかったぜ笑)
この事からなにが言いたいかと言うと、お互いに一緒の時間を過ごしていても、自分のことを幸せだと感じる能力。幸福感度とも呼べるものが全然違うということだ。当たり前の話だが、幸せを感じたければ、自分で幸せになる(感じる)必要があるってことだ。
ちなみにパートナーがいる人は周りの人と比べ幸福度が平均して0.4点ほど高いらしい。これを0.4点も違うと見るか、0.4点しか違わないと見るかは人それぞれで意見が別れるだろう。
私のパートナーに何故そんなに幸せだと自分を感じているのか(世界幸福度ランキングの人たちが平均8.2点、妻が8.0点なので非常に高いと言える)聞くと、昔より自分のことがよく分かっていることが一つ。もう一つは今、自分が好きなことをやれているということが大きいと思うとのことだった。
この辺りに自分が幸せかどうかを感じる鍵がある氣がする。
しかし、幸せってなんだろうな。比べるものでもなく自分が幸せと感じられたらそれで良いのに、なかなかすんなり幸せと言えなかったりする。
自分が幸せって認めると、どうなるんだろう。幸せになるのは怖いとも言う。正直な話、私も幸せになるのが怖いと感じるときがある。
しかし、それを分解していくと幸せになるのが怖いというよりも、親よりも幸せになるのが怖い(幸せになることで親を否定するように感じる、または自分が不幸でいることで親の教えに反発している)、あるいは自分が幸せになることで周りから嫉妬を受けることが怖い、私はこれだが幸せになるには途方も無い努力が必要だという思い込みがあるのではないかと思う。私たちは幸せになるには努力が必要と教えられてきた、あるいはそういったメッセージを受けてきたので、なかなかその考えを手放せないでいる。そんな気がする。
こんな事を言っているけれど、幸せを感じることは実は簡単なんじゃないかとも思っている。なにより私は誰かにこう言ってもらいたかったのだ。
「大丈夫、あなたも幸せになれるよ」って。
P.S ゲーテは国王であれ、農民であれ家庭に平和を見いだせるものが最も幸せであると言ったのかな。本当のところは知らないけれど、私が読んだ本では確かに家族あるいは友人との精神的な結びつきが強いほど、幸せを感じているようだった。ただこれは必ずしも親、兄弟と仲良くすべきということではないと思う。家庭(ホーム)とはまず、自分の裡側。心の中に平和を見出すことが大切なのではないかと思っている。
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