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星空の話

イルミネーションが苦手だ。
それはたぶん、だいぶ昔からずっとそう。

小説や漫画にもよくある展開のひとつに、恋人たちがクリスマスにイルミネーションを見に行く、というものがある。そんな話を見るたび、うんうんそうね、と読み進めつつ、心の中ではちょっぴり違和感を覚えてしまう。

わたしなら、イルミネーションよりも夜景がいいし、夜景よりもずっとずっと、星が見たい。個人的な好みの問題だろうけれど。




満天の星を見たことがある。小学生の頃の話だ。

ある日帰宅したら、父が唐突に「星を見に行こう」と言った。父によく懐いていたこともあり、わたしも兄も直ぐに張り切って、行く、と元気に答えた。

家族4人で車に乗り込んで、市街地から遠く遠く離れた山の向こうの方まで。当時乗っていたのは、古いシルバーの、優しい顔立ちの車だった。6月の日暮れ。生あたたかい風が、開けた車窓の外側を、楽しげに走っていた。



山に囲まれた広い広い土地で、父は車をとめた。日はもう落ちていて、それでも辺りはまだ薄明るかった。
昼の残り香が消えるまで、あっという間だった。一番星だと思った頃には、いつの間にかあちらにもこちらにも星が瞬いており、それがどんどん増えて、空を埋めていった。

父はとても物知りな人だったけれど、星には詳しくなかった。4人で一生懸命星座を探したけれど、星があまりに多くなると、よく知る星座もみんな埋もれてしまった。11月生まれのわたしは、さそり座を見つけることが出来たので、それだけでも満足だったのだけれど。

熱を持ったアスファルトに背中を預ける。視界が全部星になった。よく、雪を下から見ると自分が上っていくように感じる、と言うけれど、そのときのわたしは宇宙に浮かんでいるような気がした。背中のアスファルトが消えていって、そこにも星空があるように感じたのだ。身体が、ふわりと浮かぶ。何処までも夜に漂う、舟のように。

帰り道のことはあまり記憶にない。ただ、遠くに輝く街を見て、さっきの宇宙を思い出していたことだけ、覚えている。



あのときの星空を超える夜空を、わたしはまだ見たことがない。その話を父にしてみると、父は「本当にすごい星空はあんなもんじゃない、星が無いところを探す方が難しいくらいだよ。ゆきもいつか見に行ってご覧」と笑った。



満天の星を見に行くことは、わたしの夢だ。きっと子供だったあの日、見えない背中の夜空に、心の欠片を落としてきてしまったんだと思う。それを拾いたいわけではない。でも、もう一度、あのときの心と話をしてみたい。

この先、長く続いていく人生のなかで、あと何回、忘れられない星空を見ることができるのだろうか。きっとその度に、何度だって出会うのだろう。

次に会ったとき、あの日の心の欠片が、まだぬくもりを持って輝いていますように。



2020.1.12
さとざき幸

(古い記事の再投稿です)


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