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ぼんやり考える

16日は、伯母(母の姉)の49日の法要でした。
バタバタとお通夜に行った日からそんなに経ってない気がするのですが、気付けばもう49日。
遠方から来るのはやはり難しくて、近隣にいる親族の一部だけにはなりましたが、集まることができました。
伯母は本当に優しい人だったので、きっと極楽浄土に行けたんじゃないかなと思っています。
みんなでお斎をいただきながら、色んなことを話しました。

母は歩行がさらにたどたどしくなり、16日も車イスを借りました。
外出時には車イスが効率的かなと思うので、そろそろ購入するつもり。
使い始めるとどんどん歩かなくなってしまうのかもと思うと、買わない方がいいのかなとか迷ったりしてたけど。
でも外出時に無理をさせるのもどうかと思うし、気軽に外出できる方が気分転換もしやすいし、母にとってプラスかなと思うようになってきました。


最近の母は、人の認識も怪しくて、私はひたすら叔母(母の妹)に間違えられます。
叔母自身が目の前にいても…
少し前に、姉が母に電話した時にも「死んだはずなのになんで電話してくるの?」って聞かれたらしい…
伯母(母の姉)と区別がつかない模様。

人は、自分が輝いてた時の記憶に戻ることが多いと何かで読んだ。
姉や私を自分の姉妹と間違えるということは、母は、自分が私たちくらいの年齢の頃が輝いてた時期ってことなのかな~?
それってすごいなと思います。
私なんてこの歳になって、もう惰性でダラダラ過ごしがちなのに。
若くもないし、だいたい色んなことに慣れてきて微妙に手を抜いたり、「若い時のようにはいかないなー」という絶妙な言い訳が使える年齢。
もちろん楽しいことややり甲斐もあるけど。
後々振り返って、今を輝いてる時期って思えるかな?
自分ならどの時代を一番輝いてたって感じるのか、今のところさっぱりわかりません。
もしやこれから来るのか!?
いや、それはないよな…まぁどうでもいいんだけど(笑)


伯母のお通夜の時、色々なことを思い出して、伯母の笑い声や話し方が鮮明に思い出せました。
よく笑う人で、「ころころと笑う」という表現がぴったりでした。
でも先日の49日ではそれがなんだかぼんやりに。
人ってこんなにも簡単に記憶が薄れていくのかと、自分が薄情な人間に思えたし、悲しい気分になりました。
でもお坊さんのお話を聞いて、もしかしたら伯母が安心して極楽浄土に行けたということなのかもと思い直すようになりました。
ちゃんと思い出は残ってるわけだし。
そう思えたら、良かったなーとなんだかほっとしました。

芸能人や著名人も含めて、子供の頃から知ってた人たちの訃報を最近よく耳にするようになりました。
生きてるんだから当たり前なんだけど、こうやってみんな歳をとっていく。
身近な人の生活活動度が低下して、認知機能が低下して…
でもどれも自然なこと。
そしてその順番は自分にも回ってくる。
当たり前のことなのになー。
あんまりちゃんと認識できてなかったなと改めて思います。

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