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清々しい挨拶

バスケ部の生徒がグラウンドでランニングしながらウォーミングアップをしていた。
そこに本校を訪れた来客者が通りかかった。
バスケ部の生徒は走りながら気持ちいい挨拶をしたらしい。
顧問としては誇らしい。
ステキな生徒たちに巡り合っている現実に日々感謝。

その中のある一人の生徒はランニングを一旦やめ、立ち止まって挨拶をしたとのことだ。
誰でも一度は見たことのある、あの野球特有?のあの光景だ。

彼は土日は硬式野球チームに所属していて、平日のみバスケ部で練習している。
「挨拶をするときは立ち止まる」ということはおそらく野球チームで教わったのだろう。
おそらく、というか間違いなくそうだ。

来客者は彼の挨拶が本当に清々しいものだったと褒めておられた。
これまた顧問としてはもちろん誇らしいわけだが、ただ私が指導したわけではないので、なんとも複雑な気持ちではある。
ただ、誰が指導しようとそんなことは関係ない。
彼が相手に清々しい、気持ちいいと思われたというその事実が全てだ。

さて、ここからだ。
私の胸の中では葛藤がある。
彼の「清々しい一旦立ち止まる」挨拶は本当に社会にとって必要なのか。

先に述べたように相手に清々しい、気持ちいいと思われたという事実が全てだ。
では、なぜ、大人はしないのか。
大人がしないことを子どもに指導することには私自身は対 抵抗がある。
子どもに指導する以上は大人が同じことをしているということが前提だと思っている。
それが社会に必要なことだと思うから。

考えさせられる出来事だった。
一つ視野が広がった。

みなさんはどうお考えだろうか。

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