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12歳の平方根

小学校の頃の記憶はほとんどないが、1人だけ凄く印象深い人がいる。

幼いながらも集団に属するということをぼんやりと理解し始めた1年生、当時の私には何がしたいの全くかわからない行動を取るクラスメイトがいた。彼女をRちゃんとする。
Rちゃんは学校の配布物ではなく、自分の家庭で用意した算数の問題用紙をクラスの複数人に配っていた。時計の絵と時間がかいてあって、その何分後は何時何分かという内容だったと思う。小学1年生の頭脳レベルにどれだけ即しているか判断材料になる精度で問題内容を記憶してないが、みんなうんうん唸っていたので簡単ではなかったのだと思う。私もさっぱりわからず、何故このような難しいことを渡してくるのかと苛立ちすら感じていた。しかし何処かで彼女の事が気になるようになった。
その後も何度か彼女とは同じクラスになり、6年間で最低でも3回は同じクラスになった。その過程で徐々によく一緒に話すようになり、6年生の頃には必ず休み時間を一緒に過ごし、一緒に帰り、お互いの家に遊びに行くようになった。(小中高でそんな風にずっと一緒に過ごした友達は彼女が最初で最後だ)

最終学年でやっと把握したが、Rちゃんは学年で最も頭がいい存在だった。学校の勉強ができるのは言うまでもなく、精神面、興味の対象の広さなど他の子供とは明らかに違った。
算数の授業中、先生が遊びで出した大人でも計算量が多すぎて間に合わない問題を、先生がそのことを伝える頃には解き終わっていたり、小学生特有の未熟さから来るクラスのごたごたにも一本引いたところから鋭い発言をしたり。
彼女の特質を伝えるには具体例がもっとあったほうが良いのは明瞭だが、なんせ当時の私にはそれを分析し今に至るまで保存できる状態にするだけの頭がなかったので、「全てが超越している」というところに記憶がまとまってしまっている。
(理解できてない人間が本当の凄さを感じることができるのか、とも思うが彼女は本当に追いつけないところにいたので)

あまり笑わない性格だったがいつも冷静で思慮深く、私を傷つけるようなことは1度もなかった。そんな彼女がいつのまにか私と行動を共にすることを選んでくれて嬉しかった。その時はなぜ普通の人間である私と、などと疑問を持つという発想がなかった。とにかく彼女と過ごすことが毎日の楽しみだった。

Rちゃんと休み時間を過ごす場所は教室、図書室、美術室だった。
給食を食べ終わった後が20分休みだったが、次の時間掃除をするために後ろに下げられた机の間に二人で滑り込んで、私が自由帳に絵や漫画を描くのを彼女が眺めていた。
図工展の作品作りが佳境に入った頃は、私が木箱にニスを塗りに行くと言うと彼女もついてきてくれて一緒に塗った。私は箱の側面に鳥や果物の彫刻を施したものを、彼女は鯨の形をしたものを作っていた。何度もニスを重ねるごとに艶々と輝いていくのが綺麗で、その度に彼女と過ごす時間も輝きを増すような気がした。
5年生くらいからは私が森博嗣の小説を父の影響で読むようになっていたので、彼女にも貸しその話をしたりもした。小説の中に平方根や二乗の話しが出てきた時には彼女にその意味を質問した。わかりやすく答えてくれたので、じゃあ2の二乗は4だね、などと言うと、そうだよ、よくできたねと褒めてくれたのは今でも思い出すと嬉しい。
グラウンドには全く出なかった。1度だけ担任に2人して引きずり出され、みんなとケイドロさせられたが全く楽しさがわからなかった。次の日にはいつもの過ごし方に戻り、苦痛からの解放もあったからか余計に居心地が良く感じた。

彼女の家に遊びに行くようになってからは彼女の家庭環境を知るようになった。両親は大学教授で平日は家に帰ってからも1人のことが多く、夕飯には冷凍うどんを自分で調理して食べることが多いらしかった。お菓子を食べたりフラワーアレンジメントや工作をして遊んだ。
彼女の部屋にも勿論入ったが、膨大な量のプリントや書物が積まれていたのを覚えている。背表紙の文字を見たが何のことかわからないものが多かった。ある日には引き出しを開けて、私が誕生日に送った誕生石を大切に保管しているのを見せてくれた。宝物だと言ってくれた。
彼女の名前の由来も話してくれた。ひらがな2文字で男女問わず使える名前だったが、両親が将来、自分の好きな漢字を当てれるように、「子」など付け加えたりできるように、性別の違和に悩まないように、との考えでつけたという。今のままでも彼女にぴったりだと感じたが、頭の良い両親だと思った。

一度だけ彼女になぜ私といるのかと、帰り道に聞いたことがある。運動ができたり絵が上手なところが羨ましいと言われた。なんだか納得いかなかったが、そっか、とそれ以上は話さなかった。


時々よくわからないRちゃんだったが最もわからないと当時思った事がある。

当番で給食の牛乳パックを洗う水を一緒に捨てに行った時の帰り道、並んで歩いていた彼女に突然横から抱きつかれた。一瞬のことだったので状況を把握する頃には彼女は離れていた。その時は、何だったんだろう、という程度で意図を質問することもなかった。
また、別の日に遠足か何かの帰りに最寄駅から一緒に帰ろうとしていた時、近くで私立小学校の制服を着た女の子たちが好きな男の子の話をしているのが聞こえてきた。Rちゃんは「私もあなたのことが好きだよ」「どういう意味かわかる?」と聞いてきた。
私はわからなかったが、うんと言ったほうが良さそうだったので「うん」とだけ答えた。


6年生の3学期になり、Rちゃんは全国でも屈指の進学校である私立中学の受験に専念するため学校にほとんど来なくなった。(私の学校では、どのクラスも3分の2ほどが私立受験のため来なくなっていた)
私は1人で休み時間を過ごし1人で帰るようになった。帰り道、なぜかいつも同じ坂道を曲がる途中で特に寂しくなった。いつも別れて手を振る交差点も、1人で止まらず曲がった。

Rちゃんは無事合格し、卒業までの数週間、学校に再び来るようになった。特別なことはなく、いつものように過ごした。

中学に進学してからは年に1回彼女の学校の学園祭に遊びに行ったり、誕生日のメッセージを送りあったりした。小学校に比べて交流は激減した。高校からは私が部活で多忙を極めていたので、学園祭への招待を断るようになった。
部活で行けない、ごめんねと言っても彼女は繰り返し誘ってくれたが、いつしか誘いは来なくなり、お互い連絡を取ることもなくなってしまった。


聡明でどんな子供よりも大人だった。彼女は今どうしているのだろう。

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