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ピンクが好きな、男の子

長男の妊娠中、わたしたち夫婦は初めての子育てに向けて育児グッズを揃えはじめていた。
ベビーカーは生まれてから買えばいいけれど、抱っこ紐は?入院中の肌着は病院で貸してもらえるらしい、退院の時の服装はどうする…?

生まれて初めて、大型の赤ちゃん用品店に行った。子育て中なら誰もが知っている「アカチャンホンポ」だ。
たまひよ、とか、プレモ、とかにまとめられているチェックリストを片手に、ひとまず売り場を探してみたのだけれど、カバーオール、短肌着、ロンパース…ほとんどのアイテムの名前がどんなものを指しているのかさっぱり分からない。
分かるのは「靴下」とか「ミトン」とか、赤ちゃんじゃなくても使うようなものだけだった。
お店の広さの割に店員さんの人数が少なくて、チェックリストの半分まで案内してもらうのに2時間以上かかった。
わたしはこのとき妊娠後期に差し掛かっていたし、新しい単語と慣れない売り場を往復したせいで夫でさえヘトヘト。
残りはもっとよく調べてから買おうと話し、出直すことにした。
赤ちゃんの小さい靴下は可愛くて全部欲しくなったけれど、生まれたての赤ちゃんに靴下は必要ないということを後から知った。
体温を調節するのにむしろないほうがいいらしいそうだった。

生まれて初めて、自分の子供が着る服を選ぶ。
自分以外の人間が身につけるものを選ぶなんてプレゼント以外で初めてで、わたしの好みで選んでいいのか、相手を想像して選ぶのか、誰にでも似合うベーシックなものを選ぶのか。
生まれる前の、エコーでしか見ていない赤ん坊に似合う服なんて、選びようがない。
一体わたしは何を基準に選んだらいいんだろう。

人生2度目のアカチャンホンポ。
「男の子だから、これかな。」
チェックリストと照らし合わせて、これがツーウェイオールだったっけ、なんて思いながらブルーのボーダーのつなぎを手に取ると、夫が言った。
「男の子でも女の子でも関係ない。赤ちゃんに好みなんてまだないんだから、あずさがいいと思うものにしたらいい。ピンクでもお花でも、いいものはいいし、それに性別も年齢も関係ない。」
良くも悪くも型破りな夫の言動にはいつもはっとさせられる。
派手なファッションが好きで、若い頃は毎日のように原宿へ通い詰めていたわたし。
男性だって女性だって好きなものを着たらいい、そんなことは当然で、「男だから」なんて言葉が出てくる人はよっぽど考えが古い人なんだろうな、とさえ思っていたのに、わたしの中にも「男の赤ちゃんにはピンクやリボンではなく、青やクルマ」という感覚があったことに気づいた。
幼い頃の環境や周りの人の価値観って、わたしが思っているよりも、強く深く脳みそに刷り込まれているのかもしれない。
夫の言葉に、本当にそうだよな、と共感し、自分を反省した。

出産予定日は1月で、赤ちゃんとお散歩に行けるようになるのはきっととても寒い時期になる。
全身を覆うキルティングの、防護服のような上着。今でもあれを何と呼ぶのか分からないんだけれど、中に何を着てたって見えるのは上着だけだろう、と思って1番キュートな赤い小花柄を選んだ。
わたしは総柄とか赤とかピンクとか、派手なものが大好きだ。赤ちゃん本人の趣味は分からないけれどこれがいい。わたしの心がうきうきする。
すると夫が「それはちょっと…男の子だから。」と。
さっき話していたことは何だったのよ、と思いながらよくよく聞いてみると、単純にこの柄が気に入らないらしい。
確かに他の柄に比べて派手すぎるし、よく見てみると価格も若干他の柄より安くなっている。明らかに売れ残っていた。
「男の子だから」「もう○歳だから」なんて、結局は都合よく使える言い訳でしかないのかもしれない。
最終的に夫と意見が合った黄色の花柄を購入した。

子育てをしてると実によく、特に子育て経験者からアドバイスをいただく。
「わたしの頃は」とか「普通は」とか、「靴下を履かせないと風邪をひくわよ」なんてもはや定番だ。
その人たちは本当にそう思っていて、その頃は本当にそうだったんだろう。
だけど、それを押し付けられるのは何とも心地よいものではないし、「あなたの為に言ってあげている」みたいな姿勢は正直気味が悪いとさえ感じる。
価値観や常識って、時代や場所、立場、さまざまな条件が複雑に絡み合って変わるものだから正解がない。
自分こそが正しいと主張したいとき、何かもっともらしい理由が必要で、その理由なんて本当はなんでもいいのかもしれない。
「男の子だから」「普通は」って、相手を惑わせるのに便利な言葉だ。

ちなみに、実際に赤ちゃんを連れてお出かけしてみると、赤ちゃんを抱っこ紐ごとわたしのコートの中に入れてしまうほうが楽だし暖かくて、黄色い花柄の防護服みたいな上着は1度しか着せなかった。今でも猫用のマットになっている。

いまだにわたしは子供にピンクを選べない。
「男の子だから」ではなく、わたしの好きな色だから。押しつけになっていないかと不安になってしまう。
そして、子供がピンクを選ぶと、わたしの機嫌を取ろうと思っているのではないか、とか、本当にピンクが好きなんだろうか、とか妙に勘ぐってしまうことがある。
仕事が忙しい夫と暮らしをやりくりしていると、どうしてもわたしと子供たちだけで過ごす時間が長い。
わたしの価値観がダイレクトに子供に影響するせいで、今わたしが間違えるとこの子供の将来がダメになってしまうのではないかとか、価値観の偏った大人になってしまうのではないかとか、そんなことまで考え始めてしまうんだから、子育てのプレッシャーって大きい。

当然だけど、赤ちゃんはずっと赤ちゃんじゃない。
そのうち保育園や学校に通うようになって、子供自身の社会ができて、仲間ができて、世界が親だけではないと気づく。
たくさんの出会いの中で、お互いに影響しあって、同調したり反発したりしながら、価値観も変化していく。
それは、30代になった今でも同じこと。
子供を産んで「お母さん」になったとはいえ、わたしだって完璧じゃない、ただの人間だ。
小さい頃に身についた価値観は一度身についたら一生変わらない、なんて訳ではなくて、夫の言葉にはっとしたわたしのように、疑問を持ったり、気づいたり、人に影響されたりして変化していく。
この年齢になってもまだ、成長途中なのだ。

10年後、20年後、この子はどんな服を着てどんな表情で暮らしているんだろう。
どんな色を着ていても、誰もが自分らしく生きられる世界になっているといい。
長男が自分で選んだモコモコのピンクの上着はそろそろクリーニングに出さないとね。サイズアウトせずに来年も着られるだろうか。
もうすぐ、大好きな桜が咲く季節が来る。

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