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11年経った今だから書きたい  残してくれた3文字"太" "嘉" "文"

東日本大地震から11年が経った。自身のことだけどnoteをはじめた今だからこそ自分の為にも後で振り返った時にでも残しておきたいと思い書いてみた。それでも最後まで読んでいただけたら幸いです。

東北人の血筋

東北福島県人の母から生まれた自分。
生まれた場所も福島県だった。
もちろん母の実家は福島県。

教員で校長先生を長年勤めてきた祖父と忙しく転勤も何度も繰り返しがらも祖父を支えてきた優しい祖母だった。
祖父は本当に物知りで知的で器用で何でもできる人だった。喋り方にも優しさがあって母の実家へ行くといつも優しい目で自分を見てくれていた。
祖母は母いわく昔は勉強や生活などに厳しい人だったらしい。でもだからこそ大黒柱が家にいなくても家を守り忙しい祖父を支えることができたのだと思う。
自分のイメージはいつだって良い意味で口うるさく優しいおばあちゃんだ。

3.11

2011年東北を襲ったこの日
大きな災害を直接受けたわけではないけれど、
築何十年と古い福島の家は悲鳴をあげた。
同居していた叔母や義理叔父は仕事で外出中。
ちょうどその時家にヘルパーさんがいた為
外に運び出してくれたおかげで祖父も祖母も
無事ではあった。
安否を知って安心はあったけれど、

2人の精神的なダメージはあまりにも大きかった。

そして祖母は亡くなった。
パーキンソン病を負いながらも気持ちはしっかりとしていた祖父も後を追うかのように亡くなった。

いつも福島の家に行けば2人が必ず座る定位置が
あったのにそこに2人がいない。

昼間でも夜でも実家へ電話をかけてきてくれて
いたのにその電話さえ鳴ることはもう無くなった。

成人式に行かなかったけれど成人した姿も
見せられなかった。
もっとたくさん喋れば良かったと後悔した。
プロレスラーになるなんて言ったことも無かったし、プロレスラーになった姿と今の姿、今の太嘉文を見て何て言ってくれるのか?何を思ってくれるのだろう。

太嘉文

この"太嘉文"って名前本当に作られた
リングネームだと思われるくらい珍しくて
インパクトあるよ笑
デビューしてからしばらくは違う名前だったけど
どうしてもこの大事な形見であるこの名前でやりたかったから周りの人達やファンの人達に太嘉文と
呼ばれることは本当に嬉しいし、本当の自分を呼んでくれているようで。

28歳になった今、今日まで生きてきた今
本当は2人に会って話したいこと相談したいことが
いっぱいあって、じいちゃんとばあちゃんだから
こそ聞いてほしいことがいっぱいあるのに
それができないのが本当に悔しいけど
どうにもできなくて..........
やめよう、
これ以上書こうとすると泣いちゃうから笑

おばあちゃん、生前言ってくれたこと
まだまだその人に出会えるのは遠いような気がするんだけど絶対その時はちゃんと報告するから。

おじいちゃん、25歳過ぎた時くらいに
家族みんなから横顔と頬の出っ張りがおじいちゃん
そっくりと言われるようになったんだけど自分の中にいてくれているのだと思っていてそれが
誇りだよ。

"太嘉文"
つけてくれたこの名前もっと多くの人に響かせてみせるから。

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