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「新しい景色」とは何だったのか?

クロアチアにPK戦の末敗退。
またしてもW杯ベスト8の悲願はあと一歩のところで叶わなかった。
ベスト8へ行けば新しい景色が見えると思っていたのに。

しかしいったい新しい景色とはいったい何だったのか

長く日本代表を応援してきた。
思い返せば私にとって日本代表とは"心から応援できる"唯一のチームだった。
Jリーグが存在する以前は、テレビ放映も少なく、日本代表だけが唯一応援できるチームだった。
1991年のキリンカップ、トッテナムホットスパー戦で(当時は日本代表とクラブチームが対戦していた)勝った時は嬉しかった。
カズが帰国し、ラモスが帰化。
サッカーが段々と世間に認知が広がる様をこの目で見てきた。

地元広島で行われた1992年アジアカップ。
高校生になっていた私はほとんどの日本代表の試合を観戦。
初めての日本代表を生観戦。
初めてのチャント。
友達を騒ぎながら応援する楽しさを知り、ますます日本代表が好きになった。
初めて日本代表がワールドカップに出れるかもと思った1994年アメリカ大会。
その最終予選はドーハで行われていた。
そして”悲劇”は訪れる。
大きな希望をが打ち砕かれ粉々になる音が聞こえた気がした。
願っても叶わないことがあるんだなと、挫折を感じた時だった。
やっぱりだめなのか。

時を経て2021年。
カタールW杯へ向けてのアジア最終予選。
日本代表は出足に躓き、後がない状態で迎えた10月12日のオーストラリア戦を埼玉スタジアムへ観戦に出かけた。
これまで何度もサッカー観戦をしてきたが、いつもと違う緊張感。
”負ければ終わり”と言われていた中、私はそのプレッシャーを真正面から受けていた。
サッカー観戦においてこれほどまで精神的に追い込まれることがあっただろうか。
大好きな日本代表を応援することが苦しく感じた。
声出し禁止のスタジアム。
とにかく選手のために何かしたくて、手を叩き続けた。
先制、追いつかれ、逆転。
負けられない状況下での劇的な勝利を目の当たりにし、大きなプレッシャーから解放される。
もっと楽に見てもよかったのに、私にできることは全力で応援することしかなかった。
赤く腫れた手のひらが熱い。
またあの絶望を感じるのが怖かったが、「願えば叶う」を体験することができた。

2021年10月オーストラリア戦 浅野選手のゴール

迎えた2022年W杯本番。
スペイン、ドイツ、コスタリカと同組隣、またあの感情が蘇る。
やっぱりだめなのかな、、

それでも全力で応援することしかできなかった。
一喜一憂し、夜中に叫び、何度も腕を突き上げる。
「願えば叶う」を再び、と。

これまでの私はよく言えばクールで現実的だった。
勝てれば良いけどこれだけ課題があって、リスクはある。
期待してはいけない、と。
試合前に強く願うことをしなかったのは敗北後の落胆を少しでも軽減するための保険であり、強がりだったのではないかと今更ながら気づく。

願えば叶うことが稀にある。
そして叶わないことも多い。

今回のW杯は冒頭に述べた通りクロアチアにPK負け。
目標であるW杯でのベスト8は叶わなかった。
しかし新しい景色は見れなかったのか?

いや、違う。
私はすでに「新しい景色」を見ている。
敗北後の自分を守るための「期待しない」から願えば叶うというマインドへ変わってきていた。
今自分にできることは何か?
言い訳をするのではなく、今できる最大限の応援をすることだ。
見返りを計算しない応援。
すなわち自分の気持ちに素直になることであり、自分にブレーキをかけないこと。
これこそが私にとっての「新しい景色」だったのではないだろうか?

敗北のショックを和らげるための言い訳というクッションをずっと抱えて生きてきた。
森保ジャパンがそのクッションをそっと退けてくれた。
サッカーだけでなく、私は私の人生をクッションもなく歩いていく。
自分にブレーキをかけず、傷つくことを恐れずに一歩ずつ。
今回のW杯でサッカー日本代表チームが新しい景色を私にもたらしてくれた。

#新しい景色を2022
#サッカー日本代表

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