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本音をさがす(縦書き社会の中で)

「縦割り社会」の書き間違いではなくて、「縦書き社会」です。これについてはあとで説明します。ここ数ヶ月、具体的には3月以降、ものごとの本音(本質)や人の本音がどこにあるのか、考えることが増えた。本当はそうじゃないんじゃないか、ただ習慣でそうしていたり、思考停止していたり、常識や慣習に従っていただけじゃないか、というようなことを感じることがあった。

新型コロナウイルスの世界的感染によって、これまで普通にやっていたことの多くが実行不可能になっている。できなくなってしまったことをできるようにしようと、これまでの習慣を捨てて、全力で対処しているのがいまの状態。たとえばリモートワークという働き方。日本では、東京(あるいは大阪など)の大きな都市周辺に一極集中的に人が住み、毎朝1時間、2時間かけて人が大移動し、ラッシュアワーという「非日常(あるいは非常識)」を生み出していたのが、ここにきて自宅で通信をつかって仕事というスタイルに(一部の会社では)切り替わっている。(6月に入って元に戻りつつあるが)

インターネットのインフラやパソコンなどの通信端末を個人がもつことは、完全にではなくてもある程度、いまは整っている。リモートワークに移行できる人がそれなりの数いる。実は、社会として準備はある程度できていた。リモートワークをしている人の中には、まったく問題なく仕事ができている、あるいは自分の仕事に集中できて、会社でやっていたときよりはかどっている、という人すらいるようだ。

東京を中心にしたラッシュアワーの問題は以前からあった。というか1960年代ごろ、高度成長期と呼ばれていた大昔から起きていたことだ。もう半世紀以上、問題とされながらつづいてきた現象なのに、誰も解決できなかった。筆者自身も朝夕のひどい通勤ラッシュは何年か経験している。中でも小田急線のラッシュアワーは朝も夜もひどかった。ひとたびそこから離れてみると、あの狭いスペースへの人の押し込まれようは異常としか思えない。

人と人の間に距離をとることが必須となっているいま、通勤ラッシュはしてはいけないことの一つだ。しかし本当は、もともと通勤ラッシュは異常な状態だ。感染の危険性抜きしても異常なことだった。

ラッシュアワーにかぎらず、本当はそうあるべきではなかったのでは?ということは他にもたくさんあると思う。学校の卒業式や入学式の式典が、ずいぶん簡素で短時間のものになったと聞いているけれど、これまでの各来賓のご挨拶のようなものは、本当に意味あることだったのか。そういうやり方が(子どもにとって)良いと思うからやっていたことなのか。

もっと言えば子どもの教育というのは、学校という仕組の中だけでやっていればいいものなのかどうか。子どもを一箇所に集めて、集団的に教育するという方法論は、ひょっとして昔風すぎるのでは? 集団生活が大事? それっていまの社会がもつ多様な側面にきちんと対応しているのだろうか。現在の学校における集団生活が、こうあるべきというプランに沿っているとはとても思えない。

政府からの給付金を早くもらうにはマイナンバーカードが必要、と言われて初めて、自分も申請しようと区役所や市役所に殺到する人々は、IDカードについてもともとどんな考えをもっていたのか。あるいはどんな考えももっていなかったのか。

こうして見ていくと、人も、社会の仕組も、ただ昔からそうだったからという理由で、あまり考えることなく従っていることは多そうだ。とくに日本では、長年やってきた習慣や常識となっていたことを変えるのがとても難しい。ペーパーレス、キャッシュレスが可能な時代に入っても、日本ではなかなか実行が難しかった。過去のことでいうと、ネットバンクの登録も、紙とハンコと郵便によって何度も書類が往復する、というような。一番大きいのは、技術的な問題より心理的な障壁だと思う。

タイトルにあげた「縦書き社会の中で」について。ここにも偉大なる「過去の習慣」がしっかり根をおろし、21世紀のいまも変わることができないでいる。日本語の本では、(正確なパーセンテージはわからないが)8,9割りが縦書きになっている。特別な理由(数式やアルファベットが主要なテキスト要素など)がないかぎり、縦書きが原則だ。英語の本でも、エッセイ的なものであれば、たいてい縦書きだ。どれだけ多くの英語の例文が含まれていても、だ。読む人は(紙の本であれば)いちいち90度回転させて読むことになる。電子端末であればストッパーをかけておかないと、回転させるたびに画面の内容も回転してしまう。

なぜ縦書きではいけないのか、の前に、なぜ横書きではいけないのか、という問いも必要だ。日本語は縦書きで読み書きされるべき? いや、でも、ノートをとる、メモをとる、というとき、縦書きで書いている人は稀ではないのか。試しに「ノートをとる」関連用語でGoogle画像検索したところ、日本語で書かれた縦書きのノートは見つけられなった。少なくとも、「手で書く」という行為においては、横書きが日本人の間で標準となっている。

パソコンのテキスト書類では縦書きは可能だが、どれくらいの人が縦でタイプしているのだろう。聞いたところでは、文学賞の応募原稿のフォーマットは縦書きが多いらしい。このあたりに出版社側の「縦書き順守(あるいは固執)」思考が現れているのかも。

縦書きじゃないと小説が書けないという作家もいるようだ。姫野カオルコさんは [ 縦書きと横書きをそれぞれ前提として書いたものでは、思考が変わる。だから縦書きで読んでもらうものは縦書きで書かないとダメ。]  とのこと。反対に羽田圭介さんは、ごく初期は手書きだったので縦書きだったそうだが、デジタルツールで書くようになって横書きになったそうだ。当初は [ 横書きにすると作風に変な影響が出やしまいかと思ったけれど、そんなこともなかった。]と言っている。羽田さんは姫野さんより1世代下、そういうことがいくらか関係するのか、単に個性の違いなのか。

では日本語を「読む」ということで見てみた場合だが、ネットの記事は通常すべて横書きだ。多くの人がそれでストレスなく読んでいると思われる。ウェブの記事を縦書きにしてほしい、という要望がたくさんあるとは思えない。新聞社が「ビュアーで読む」というオプションをつけているケースはある。紙の新聞の画面がそのまま出てきて、各記事を拡大させながら、紙面をスクロールさせて読む。でもこれ使っている人ってどれくらいいるんだろう。

学生や学者の論文も、PDFになっているものを見る機会があるが、縦書きのものを読んだ記憶はこれまでのところない。参考文献や注釈を入れるにも、横書きの方が対応性があると思われる。

では日本語で縦書きでがんばっているのは何か。それは書籍だ。本は縦書きでなければならない=日本語は縦書きで読まれるものだ。という常識がある。以前は日本語の書体は縦書き用にデザインされている、と言われていた。しかし今はアドビのデザインツールInDesignでも横書きにする場合は、同じ書体の横書き用がちゃんと選べる。わたしの主宰するWeb Press 葉っぱの坑夫では、紙の本でもKindleなど電子書籍でも、すべて横書きにしている。小説でも、ノンフィクションでも、学者の書いたものでも、バイリンガル俳句集でも、アーティストの書いたものでも、なんであれ現在はすべて横書きだ。(2004年以前に出した何冊かは縦、または縦横混合)

横書きを選択しているのは、縦書きに比べて対応力が非常に高いのが理由の一つ。数式であれ、文中にある英語の例文や欧文の人の名前であれ、外国語の参考文献であれ、表示面を回転させることなく読める。年代の表記も3桁であれ4桁であれ、いやもっと桁数が多くても、問題なく対応できる。縦書きではそうはいかない。2015年と記す場合、算用数字をつかったもの、漢数字をつかったものなど様々でどれも落ち着きが悪い。最近、古い時代に書かれた本を買って読んでいたら(もちろん縦書き)、HiFiの表記が「Hi」「Fi」と縦に並んでいて笑ってしまった。「Hi」で日本語の一文字分、「Fi」で一文字分。

そもそも縦書きは、筆で文字を書いていた時代のものではないのか。筆で書く場合、縦に書く方が書きやすい。つまり筆時代の書法が縦書きなのだ。

手書きでもパソコンでも書くときは横書き、普段ニュースやブログ、SNSなどをスマホやパソコンで読むときも横書き。公式文書やビジネス文書も通常はみんな横書き。とすると縦書きが常識となっている文書は、書籍だけだ。本当に、日本語を「紙を綴じたもの(本)」で読む場合は、縦じゃないと読みにくいのか。ただの習慣や思い込みで、思考停止しているからではないのか。どんなに不便(本を何度も90度回転させないと読めない)があっても、それに不満を言う人が意外に少ないのは何故なのか。本自体は、ここ何年かの間に、欧文が混じってくることは増えている。

そうであっても、縦書きの方が合理的(あるいは合理的ではないが、自分には合っている)と信じているのはどうしてなのか。非常に不思議だ。しかしこれもリモートワークやマイナンバーカードの受容と同じで、外的な要因で必要度が高まったら、すんなり横書きに移行するのかもしれない。書籍以外の世界では、書法のスタンダードはとっくの昔に横になっているのだから。

*因みに近隣のアジアの状況を見てみると、韓国の文字ハングルは横書きが基本のようだ。漢字とハングルを混ぜて使っていた時代は、縦書きもあったそう。中国は香港も含め漢字文化ではあるが、簡体字、横書きが基本ルールらしい。本も古典をのぞいて横書きが主流みたいだ。新聞も横書き。台湾は日本統治時代の影響もあるのか、本は縦書きが多いようで、香港などで見られる縦書きの本は台湾のものだったりするらしい。

Title photo by Tatsumine Sugiura






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