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今年の夏、本物の少年たちを見た

人は誰もがそうなのだけど、僕にだって少年として過ごした季節があった。今もそうだったらいいなと思う。

今年のお盆、京都でライブした。ほんのご縁から本物の少年と過ごし、その本物の少年らしさに物凄く感動したので、そのことを文章にしておく。

少年たちの夏にお邪魔した

48時間軟禁ライブをやった

今年のお盆、僕は京都の町家にいた。会場に48時間軟禁され、延々とコントをするライブのためだ。イカれた単発企画ものライブと思われることが多いが、開催は13回目か14回目かそこらで、個人的には定番のライブ。

お盆の開催だったため、集客面でどうなるか不安だったのだが、お陰様でライブは盛況となった。本当にありがたい。会場やライブの模様は以下の動画の感じ。

このライブの開催にあたっては、会場となる町家を提供してくれた方、ならびにそのご家族との交流があった。ご時世がこうなって以降、津軽のおばあちゃんに帰省できていない僕にとっては、それがほとんど概念的な帰省と感じられた。実家オルタナティブ。

夏休みの家族にお邪魔しちゃった

ライブ以外の期間、町家は普通の町家である。今後は店舗として運営する予定らしいのだけど、今のところ住居寄りである。優しさに甘える形で、申し訳なく思いつつも数日の間泊めさせて頂いた。

当たり前のことながら、町家には夏休みの家族の風景があった。年齢の異なる者たちがともに生活し合うとき特有の響きのようなものがあった。それは僕にとってとても懐かしいものだった。

町家には少年たちの夏があった。僕は異物としてずっとそこにいた。みんなでファミレスに行ったり、ゲームをしたり、仕事のお手伝いをしたり、京都のお盆の象徴、送り火を眺めに行ったり。絵に描いたような少年たちの夏だった。

京都の夏、五山送り火のひとつ

そんな素敵な日々の一端に僕が参加していいのかと思った。「お邪魔します」という挨拶があるけれど、本当にずっとお邪魔し続けている感覚だった。

プロの少年にはかなわないけれど

本物の少年を久しぶりに見た

今回の最大の収穫は、本物の少年を見たことである。あまりにも久々に、あまりにも本物の少年を見た。

もちろん、僕は本物の少年を知らないわけではない。まずもって、僕自身かつては本物の少年だった。仕事柄、人前に立つときは、本物の少年のような気持ちで立っている。芸人としてネタを作るというのは、少年の余韻をばらまくような行為でもある。実際に子どもの役だってやる。

しかし、なんといっても本物の少年はあまりにも本物だった。目を見開くような言葉がいくつもあった。

「大人はビール飲むでしょ、子どもにもなんかちょうだい」
本物の少年

そうだそうだ。少年時代、ビールって大人の飲み物だった。味も匂いもわからないけれど、それが娯楽であることは分かった。だからなんだか羨ましかった。

大人がお酒を飲んで楽しんでいるとき、何かしら代わりになるものが欲しいあの感覚を忘れていた。プレモルの冷えた温度を指で喉で感じながら、ああ、俺は大人だ、と思った。

そういやこないだ、日本酒を飲めないおじさんのコントを作った。ちょっと大人過ぎるわな。

「間違い探しだ!絶対10個見つけるぞ」
本物の少年

そうだそうだ。あの頃、間違い探しって楽しかったよ。大人になってから、本気で間違い探しをしたことなんてあっただろうか。間違い探しなんて、やってもやらなくても同じだって思っているよ。自分が見つけなくても、ただそこにどうせ10個間違いがあるんだから、別にいいじゃんって。そう思ってた。サイゼでも別にやらないしな。なんか悔しかったよ。「絶対10個見つけるぞ」なんて、声に出して言わないもん。そんなに無垢な驚きと興味があるなんて、羨ましい限りだ。

「ちょっとゲームを作ってみたんだけど、一緒にやろうよ。これね、これでジャンプ出来て、これでビームを打てる。戦うとかじゃなくて、動くのを楽しむゲームなんだけど…」
本物の少年

まず今どきの少年ってゲーム作るんだ、凄いなと思った。パッと見た感じ、簡易的にプログラミングをしてフラッシュゲームみたいなのを作れるサービスがあるようだった。俺の頃はそんなのなかったな。

そして何せ、彼が作ってくれたゲームよ。「動くのをただ楽しむゲーム」なんて、今の僕に思いつくのだろうか。少年の頃ならば思いついたかもしれない。僕はとっくに「動くことが楽しい」という感覚を忘れていた。この世に自分とモノが存在していて、自分が動いたり、モノを動かしたりするのって、本来とても楽しいことだった。

わかんない。まだ決めてない。
本物の少年

これも凄かった。少年が腕に描いていた謎の絵。

謎の絵

本当に無粋ながら、僕は「何の絵なの?」と聞いてしまった。それに対して、「わかんない。まだ決めてない」の清々しさったらないよ。僕の負けだ。何の絵かなんて、分からなくても、まだ決めなくてもいいもんな。

「九月くん、九月くん!」
本物の少年

これもびっくりした。少年たちは僕のことを「九月くん」と呼んだのだ。これがもうちょっと大きくなると「九月さん」に絶対なってしまう。「おい九月」かもしれない。「九月くん」の少年っぽさったらない。

俺は知らない大人なんだよ。背高いんだよ。相当に得体の知れない芸人なんだよ。君んちで48時間ライブしたんだよ。ふつうに意味わかんないだろ。それを「九月くん」なんて呼んでもらえて、僕は本当に嬉しかった。

芸人にとって重要な「少年性」

東京に帰ってきて思う。芸人活動の中で、自分の中の「少年性」はものすごく大事だ。これはもちろん「仕事」ではある。依頼を受けてライブをしたり、お客さんに対してネタを披露すたりするものだから、そこには対価に見合うサービスを提供せねばならない契約上の重力が働く。プロでありたい。でもそこには、仕事でないかのように仕事をする、ある種の「少年性」が求められている。

それはつまり、楽しそうにネタをすることであったり、「なんでそれをやりたいんだよ」と言われそうなことを臆面なく全力でやることだったり、時には興味の赴くまま、人を置いていきかねないことをやりながら、ここまで来たら楽しいよ、とガイドしたりすることだと思う。芸人としての自分にはそういう役割があるのだと思っている。

一度、ファンの方に言われた印象的な言葉がある。

「私は夢を追うことができず、大人となって今の仕事をしている。託したいものがあって応援している」
ファンの方

その方は、ライブ会場でいつも目をきらきらと輝かせているのが印象的だった。その輝きには、僕に期待するものや、託すものがあったのだと思う。そしてそこで求められているものや、託されているものの一つには、ある種の「少年性」がきっとあるはずだ。

俺も負けない。自分に出来る範囲で、もっと少年で居続けたい。次はいつになるだろう、冬休みくらいかな。ミロでも持って行こうかな。また会おうね。次は負けないぞ。

そして何より、親御さん方、本当にありがとうございました。本当はとっくに大人なので、こんなことも忘れずに言えます。

最後に、少年たちが作って立てかけてくれた案内用の垂れ幕を添えて。

少年たちが作ってくれた。
「本日」の「本」に関しては
どうしても塗り潰したくなってしまったらしい。

サポート頂けた場合、ライブ会場費、交通費などに宛てます。どうぞよろしくお願いいたします。