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「24時間生活するライブ」をやった感想

6.28(金)に「24時間生活するライブ」をやった。もともとの思いつきや経緯などを書いた記事はこちらを見て頂くとして、だいたいどんな感じだったかを書いておく。

前日 仕事を終えて生活へ

「生活をするライブ」の前日、僕はそれなりに忙しかった。日中はネット番組の収録に出ていて、その後には出版社との打ち合わせがあった。電車に乗って都内をあっちへ、こっちへと往復。0時からの「生活」ライブに備えて、23:00頃に会場入りした。

23:00 スペースの特徴

生活ライブが行われる場所は、高円寺のunbuiltさんというスペース。民家の一室がシェアオフィスのようになっていて、普段はミーティングなどに用いる。会場主はカメラマンであり、撮影のために使われるであろう機材がちらほら見える。概ね「友達の家」といった雰囲気である。

部屋は真ん中で区切れていて、概ね作業をするスペースであるリビングと、和室からなる。リビングには大きな机があり、いくつかの椅子がある。水道や冷蔵庫などもあり、概ね生活はそこで完結する。

一方で和室には、特に何もない。和室とリビングの間には仕切りらしい仕切りはなく、床がフローリングか、畳か、その区別によって場が分かれている。

そういう場なので、僕が生活するスペースは、リビング側の方がいいかもなと思った。生活に必要な諸々が揃っているからだ。お客さんは和室の側から僕を見ることになる。

試しに和室の畳に座ったり、寝転んだりしてみて、リビングの側を眺めてみた。床の素材が異なることも相まって、なんだから別の世界を眺めているような感覚がある。確かに同じ空間なのだけど、少しだけ隔たれている感じ、どこか画面の中を見つめているような気分になる。「これはありかもな」と思った。

僕はリビングにパソコン2台(動画編集用と雑務用を分けている)と、飲み水と、多少の食べ物を広げて、「生活」のための準備を始めた。

0:00 ‐ 1:00 檻のない動物園へようこそ!

「生活」ライブは0時から始まる。一日は朝を待たず、きれいに0から始まるからだ。正直、そんな時間に人は来ないだろう、ごろごろして、眠くなったら寝よう、と思っていた。

が、人がちらほら訪れ始めた。なにせ「近所の人」というのがいるのだ。おお、そうか、そうきたか、と思う。寝てもいいのだけど、一応は人の目があるからと、僕は通り一遍の「仕事」を始めた。動画の編集をしたり、出版社との打ち合わせの資料を読み直したり、締切のある書き物を進めたりした。

そのさまを、ただなんとなくお客さんが見て、何かを話している。「檻のない動物園」「ナイトサファリ」「怖い」「セルフ人権侵害」などの声が聞こえてくる。僕もその通りだなと思った。見られていると緊張感もあるため、ちょっとだけ頑張れる。仕事はわりかしはかどった。

1:00 - 3:00 動物はたまに檻から出て話す

だんだん、「見られているだけ」という状況が、どこか居心地悪く感じられるようになった。だから僕はあるとき、僕の方から話しかけた。「今どんな感じですか?」「どういう雰囲気だと思って来ました?」など。

二、三のやり取りがあった。その後で、僕は自分が今やっている仕事の内容を説明しはじめた。こういう作業があるんです、これはちょっと大変なもので、これはちょっと楽なもので、ノルマはこれこれで、締切がいついつで。

お客さんがほんほんと頷く。適宜、自虐とか愚痴とかエピソードとかを織り交ぜて笑いを取る。だんだんにトークライブっぽくなっていった。

たぶん、そういう「檻から出てくるムーブ」をライブを通して一切禁止するという手もあった。なんなら有力だった。だが、僕はそうしなかった。なぜなら、あまりにも形式をガチガチにかためて「生活」を見せるだけにしてしまうと、「そういうコンセプトの現代アート」みたいなになっちゃう、と思ったのだ。

このライブはきっと「自分の暮らすさまをライブと言い張るライブ」という構図が面白いのであって、「自分の暮らすさまをライブと言い張るアート」になると、途端に陳腐になってしまう。「そういうコンセプトのアート」なんか、腐るほどあるからだ。

僕は生活をやり続けなければならないけれど、同時にそれをライブだと言い張り続けなければならないし、それを通じてなにかしらの結論とか、ピークを得なければならない。生活の範囲で考えうる限りいちばん面白いことが起こったらいいな、と願いながら待つ。

3:00 - 7:00 リビングと和室のあいだで眠る

そんなふうにしているうち、僕は耐えがたいほどに眠くなってきた。「生活ライブ」の中では、僕は寝てもいいことになっている。なぜなら、生活の中には睡眠も含まれるためだ。

でも正直なところ、「お客さんがいない時間があるだろうから、そのときに寝よう」というプランで考えていた。誰かが部屋に入ってきたときに、僕が仮眠からひょこっと目覚めて、目をこすりながらドアを開ける。そして「ようこそ、今寝てました」と言う。そういう角度で生活感を出せたら美味しいな、という想定があった。

だから、お客さんの前で長く寝ざるを得ない状況になることは、あんまり想定していなかった。いやもちろん「20分くらい仮眠します」とか言って、パフォーマンス的に眠ることは想定していたけれど、「がっつり2時間くらい寝る」とかはなるべく一人でやりたかったのだ。

でもあんまり眠いのでそうも言ってられない。僕はせめてお客さんに気楽さを保ってもらうために、あるいは「これはあなた方が寝てもいいという合図ですよ」とアピールするために、リビングと和室の境界部分にまたがるようにして寝た。1時間寝てはちょっと起き、1時間寝てはちょっと起きた。たぶん、お客さんも寝たりした。そうやって朝になった。

7:00 ‐ 10:00 お客さん、お前もか

このあたりから、話が動き始めた。とある大学生のお客さんがやってきた。彼は「生活のライブをやってると聞いて見に来ました。ちょっと見たらいったん大学に行ってきます。大学が近いんですよ。授業を受けたら、また戻ってきます。ただ今日は5限もあるので、5限でも抜けると思います」と言った。

僕は目を丸くした。要するに、お客さんがここで「生活」をやり始めたのだ。大きな逆転が起こった。ライブ会場が生活のための拠点になりうるのはかなり面白い。お客さん、お前も生活していたのか。

そしてそのことに、お客さんも同時に気付いた。その場にいるお客さんたちが、このライブの性質であるとか、場のつくりであるとかについて、楽しそうに議論を始めた。

なんというんだろう、僕という人間が環境の一部になって、「生活」というモデルとなる何かを演じて、それについて目の前で考察班が考察している感じだ。それを見て、僕は僕でいろいろなことを考える。視点がずっとぐるぐると回っている。このライブの中心は僕じゃないかもしれない、場そのものかもしれない、と思った。

10:00 ‐ 19:00 場が固まったり、よくわかっていない人が来たり

僕は生活を続けた。お蕎麦を買いに行ったり、トイレに行ったりした。お客さんの中にも出入りが発生するようになった。買い物に行く人、電話に出る人、用事を済ませる人などがいた。全員が気ままに暮らしている感じがあった。このイベントのルールと楽しみ方のようなものがある程度固まった感じがあった。

そんな中、「友達を連れてきました」と言って、ろくに事態を把握していない方を連れてきた方がいた。それがなんというか、ピンチとして的確でとてもよかった。

その人は、「九月」が誰なのかあんまりよくわかっていないし、このイベントが何なのか本当によくわかっていなかった。その条件下で最も来てはいけないイベントである。だって九月、何もしてないんだから。

あるいはこれは、僕にとってもピンチである。初見の方であれ「コント」「トーク」みたいな形式のあるライブだったら、最大限楽しませるように頑張れる。何をやったら打率が高いとか、これは外しやすいからやめておこうとか、そういうのもわかる。

でも今日のそういう押し引きのためのカードがない。コンセプトを説明したい気持ちもあるが、そもそも説明できるコンセプトがまだない。こっちだって手がかりが少ない時間を過ごしていたのだ。

僕たちの感覚は場に伝染して、壁のない廊下を歩いているような、手がかりのない時間が訪れて、それがとても良かった。お客さんの一人が、その人にこのライブのことを説明をしようと頑張っていた。

でも、説明しようとすればするほど話が不透明になっていた。その感じがとてもおもしろかった。「生活」としての面白さというよりは、今回のパッケージのイベントでこそ発生した面白さという感じがした。

19:00 - 21:00 「生活」から舞台へ降りる

このあたりで、お客さんが結構増えた。お客さんが入れ替わりながら続いていくのがこのライブの面白いところだと思うけれど、このタイミングから来ましたという方が一気に増えた。平日にやっているライブなので、とても当たり前のことである。みんな働いているのである。

僕はここで、ちょっとだけギアを切り替えた。このタイミングからやってきたお客さんが多い以上、少し場が固くなってしまったのだ。「ただの生活を見せる」というコンセプトの厳密性から少し降りてでも、一定の満足度みたいなものを担保しつつ、場をほぐす必要があると判断した。

そこで、僕は和室の側に降り、「ルーズめなトークライブ」くらいのテンションで話すゾーンを設けた。

不思議だったのは、そのとき「生活から舞台へと降りていく」という感覚があったことだ。何か根本的なしくみが逆転している感じがあった。

僕たちのいる和室の真ん中には、差し入れとしてもらったメロンが置かれた。メロンを囲みながら(見る人が見たら、何らかの儀式に見えたかもしれない)、みんなが座っている。僕はぽつぽつと喋り始めた。

もしかしたらそこで座談会のように、お客さんの話を聞くような時間を作ってもよかったのかもしれない。けれど、それをするとあまりにも「座談会」になってしまって、かえって「生活」から離れてしまう。そういう「座談会」的な時間は、ふだんのライブの終演後にもたびたび発生するので、今更やらんでいい。

だから僕は、自分が一方的に喋れるエピソードトークをし続けた。過去にトークライブや全国のライブで話してきたエピソードトークのうち、安定して強そうなものを順番に話していく。ここは一定の笑いを取り、場をほぐすための時間だった。

21:00 ‐ 23:00 「生活というコント」をする

引き続きお客さんも多い。だんだんに何か違うことをしてみたくなった。ここで僕はちょっと意図的に「仕掛けよう」と思い、電話をする時間を作った。友達に連絡して、「電話かけてくれんか」と頼んだのである。

リビングのゾーンで、僕が友達と電話するさまを、和室からお客さんが眺める。特に中身があるでもない(つまり、あえて中身がないようにやる)会話をする僕を、お客さんが眺めていて、その反応のよしあしを見ながら、僕が会話の内容を調整する。それをまたお客さんが眺める。ここはかなりコント的なゾーンだった。

またこのあたりに、お客さんが「生活へのガヤ」のような役割を担う時間帯があった。要するに、僕のふるまいを「ドラマの中の誰かの動き」に見立てて、「おかしいだろ」「早く食べろよ」「それ片付けろよ」みたいに実況していくようなモードである。

いかんせん芸人をしているので、そういうのをしてもらえるとちょっと頑張ってしまう。するとお客さんも頑張る。このあたりは明確に「生活というコント」みたいなブロックだったんじゃないかと思う。

22:00 - 23:00 コントから「生活」へ降りる

「生活というコント」が終わったのは、高校の頃の友達が見に来たからだった。要するに、生活を演じていられなくなったのだ。彼はちゃんと話すのは10年ぶりくらいの友達で、今は地元で働いている。どうやら用事があって、たまたま東京の方へ来ていたのだという。彼が来ることを、僕はまったく知らなかった。

普段のコントライブであれば、終演後に5分くらい話すだけだったかもしれない。でもなにせ「生活」と銘打ったライブなので、同級生と話さない理由はなかった。このときは、コントから生活へと降りていく感覚があった。とても不思議だった。階層構造がどうなっているんだろう。

僕と彼は、たくさんのありふれた話をした。「九月」の活動を同級生の誰それが応援してくれているだとか、同級生の誰それが結婚しただとか、今何しているかわからない仲良くない同級生の話だとか、そういうのを一通り話した。当時よりも落ち着いたねだとか、変わらないねだとか、「同級生が会えばしそうな話」を一通りした。

お客さんがどんなふうにそれを見ていたのか、聞いていたのか、僕はあんまりわからない。なにせ友達と話すのに夢中だったからだ。仮にこの「生活ライブ」の24時間にピークとなる瞬間があったとしたら、あのときだったのではないかと思う。

23:00 - 24:00 メロンを食べる

だんだんに、「生活ライブ」にも時間的な終わりが見え始める。ここで僕たちは、お客さんが差し入れてくれたメロンを食べることになった。その場にたまたま料理人の見習いをしている方がいたので、メロンを切ってもらった。ものすごく手際よく、メロンが運ばれてきた。

僕たちはメロンを食べながら、半ばアフタートーク的に、今回のイベントについてあれこれと話し合った。ここではもう「九月」はタレントという感じでも司会進行という感じでもなくて、同時多発的に発生する会話の一つの登場人物でしかなかった。

みんなでメロンを食べるだけで、それはわりと生活だった。そしてライブは幕を閉じた。

翌日・翌々日 コントをする

翌日・翌々日、僕は10時間コントをやり続けるライブを行った。打って変わって、僕が何かを演じ続ける、嘘としてのコントライブである。コントは「生活」と違うような気もしたし、あんまり変わらないような気もした。


ライブ予定

7.7(日)「第180回単独公演 待望の札幌」
時間:開場18:10/開演18:30/閉演20:00
場所:札幌市中央区民センター 娯楽室
(北海道札幌市中央区南2条西10丁目)
料金:2000円
内容:札幌での初めての公演。90分前後、コント15本のライブです。終演後、延長戦と題しまして21:30頃まで続ける予定。20:00からの入場も可能とします。現在ご予約が埋まってきております。お早めにどうぞ。
https://tiget.net/events/325501

7.11(木)「第181回単独公演 九月の話芸 自由形 #8」
時間:19:00‐20:30
場所:オフィスunbuilt
(東京都杉並区高円寺南2-22-6 2F)
料金:1000円
内容:トークと漫談とスタンダップコメディの中間くらいのおしゃべりを90分間やり続ける、毎月定例のライブです。その後には延長戦と題しまして、お客さんからの質問に答える時間を取ります。会場が狭くて距離が近く、座席数もかなり少ないため、限りなく座談会のような、変わり種のライブです。
https://tiget.net/events/331221

7.14(日)「第182回単独公演 生きている感」
時間:開場17:45/開演18:00/閉演19:30
場所:四谷シアターウィング
(〒160-0011 東京都新宿区若葉1丁目22−16 アスティー B1F)
料金:2000円
内容:「生きている感」全開で挑みたい、およそコント15本の公演です。ものすごくパワフルな内容になる予定であり、活力を浴びたい方にこそどうぞ。珍しく小劇場での公演であり、初めての方や久しぶりの方、一度ステージで九月を見てみたかったという方にも是非。
https://tiget.net/events/319238

7.27(土)「第183回単独公演 良い夢と悪い夢」
時間:18:00‐19:30
場所:渋谷松濤BASE
料金:1500円+1drink
内容:新ネタを中心にした渋谷での定期コント公演です。良い夢と悪い夢にまつわるコント、およそ15本を披露いたします。終演後には会場がバー営業となります。
https://tiget.net/events/331220

8.17(土)‐18(日)「第184回単独公演 20時間軟禁ライブ まっさらな塾3」
時間:各日 13:00‐23:00
場所:学習教室 こかげ
(尼崎市長洲中通2丁目1-40)
料金:入場1000円/応援入場2000円
内容:兵庫県尼崎市の学習塾にて、土日の2日間で20時間コントを行うライブです。いつでもご来場頂けるライブであり、予約は不要となっています。体力とテンションによっては、朝までの延長をする可能性があります。

9.7(土)「第185回単独公演 名古屋公演 森は滝の1000倍 #3」
時間:①15:00‐16:30 ②17:00‐18:30
場所:森の会議室
(名古屋市中区丸の内三丁目16−19 丸の内ニューネットビル9階)
料金:各2000円、通し3000円
内容:3ヶ月おきの名古屋遠征です。名古屋のだいぶど真ん中にある「森」のような空間で行う90分のコント公演。1公演目と2公演目は別内容ですので、通しでご覧頂くことも可能です。
https://tiget.net/events/331227

9.8(日)「第186回単独公演 門戸公演 vol.2」
時間:①13:00‐14:30②15:30‐17:00
場所:門戸寄席 J:SPACE
料金:各1500円、通し2000円
内容:兵庫県西宮市の会場、門戸寄席さまから招待して頂いての定期公演。普段は落語公演に用いられる会場でのコントライブ。ご予約は門戸寄席の安田さま(jspace_event@yahoo.co.jp)まで。

サポート頂けた場合、ライブ会場費、交通費などに宛てます。どうぞよろしくお願いいたします。