差別的思考の仕組み①

牛や豚には人間の子供と同じぐらいの感情と思考力があります。なので牛や豚を虐待すれば、人間の子供と同じ反応があります。殺される前の動物を見てもわかります。

子供を狭い檻の中で虐待し、殺して食べることを正当化する考えは、今の世の中では通用しません。でも、同程度の感情と思考力を持つ他の動物を殺して食べることが残酷だという考えは、あまり浸透していません。この点について考えてみましょう。

人間を含めた動物が考えることは、脳内のプログラム次第で自由自在に変わります。なので、入力が正確にできていない考えは実行されません

一時代前の人間は「日焼けは健康に良い」「大きなステーキは健康に良い」と信じていました。もっと前の人たちは「黒人は生まれつき知能が低い」「女性の知能と倫理観は生まれつき男性に劣る」と信じていました。

今の世の中を見渡せば間違いは明らかですが、当時の人たちは、そういう間違った考えを不変の真実だと思っていたのです。頭の中がそのようなプログラム設定になっていたからです。

差別的な考えは悪意ではなく論理と信念なので、周りが人でなしと糾弾しても変わりません。黒人や女性に投票権がないのは当たり前だったのです。だって知能が低くて判断力の劣る人間に投票させたら、世の中がダメになるじゃないですか。女性も黒人も低学歴で識字率も低いし世間知らずじゃないですか。それが能力差の証明じゃないですか。長い歴史を振り返っても、黒人や女性の天才芸術家や科学者はいないじゃないですか。それが当時の正しい考え方だったのです。決して意図的な悪意ではありませんでした。

同様に、人間以外の動物は人間以下の存在なので、人類繁栄のために犠牲になるのは当たり前だったのです。人間以外の動物は、人間の使役と食用と贅沢と「癒し」のために存在する。それが正しい考えだったわけです。

女王陛下の栄誉と英王室の繁栄のために、新大陸の先住民を征服して殺したのも同じ理屈です。規模の違いはありますが、蝦夷征伐も似たようなものです。下等で悪い奴を殺すのも支配するのも当たり前。偉い人のために下々の者がお尽くしするのは当たり前。何が悪いかは偉い人が決める。人間は他の動物より偉い。

これが現代に至るまでの人間の思考です。


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