25歳になるにも関わらず

25歳まで、あと半年を切った。
10年前にぼんやりと思い描いていた25歳は、若いとはいえオッサンだった。
大学生の頃に来ていたサークルのOBは、もう「大人」にしか見えなかったけれど、今の私より年下の人もいた。

年を重ねるたびに、年齢と精神のギャップに驚く程度が高くなっていく。周りは就職している。バイト先の人はほとんどが歳下だけど、私よりよほどしっかりしているし、私より早く辞めるだろう。私だけがフリーター(という名の大学院生)をやっている。

おかしいぞ。大学院生なのに、知識が全く増えてないぞ。今でも昼に起きてるぞ、課題を後回しにしているぞ。課題を考えると眠たくて眠たくて仕方がない。頭の容量が課題に奪われながら、YouTubeを見ている。受験勉強をしなければと何も変わっていない。大変だ。けれど、周囲の誘因はどんどん、高度に深くなっていく。YouTubeは面白いし(僕らの別荘とオモコロをずっと見ている)。
 
大学生の頃から同じことで悩み、ひどい時は休学してしまったけれど、薬を飲んだり休んだり、自分なりにできることだけを本当に少しだけ(1週間で2,3ページ本が読めたら大進歩だったし、いまもそう思っている)進めているうちに、自分を責めていることが疲れてしまった。悪いと思わなくなってしまった。怠けているから、困る事ではあるのだが、悪では無いんだなと思い始めてきた。

こういうことを思っていると、頭の中のホリエモンや営業マンが怒鳴り散らしてくる。
どちらかというと、そちらの方が疲れる。困り事による将来の不安や直近の不都合よりも、頭のホリエモンがイライラしていることの方が辛い。

岡田斗司夫の本、『人生の取り扱い説明書』がkindle unlimitedに入っていたから読んだ。MBTI診断をさらにざっくりさせた性格診断で、新しいバージョンが『人生の法則』という名前で出ている。

その中で、どうやら私は"王様タイプ"だった。人から注目されたい。人から嫌われたくない、気にされたい。それが根本にあるらしい。だから出来ないこともホイホイ引き受けるし、"怒られる"や"嫌われる"が何よりも怖い。

幼少の思い出や、遺伝、習慣、環境の諸々が組み合わさって出来た性格と、性質が、今の自分にとって苦しいものである。

しかし、それは困ることではあるにせよ"悪"ではない。
お金がないことは辛いことではあるけど"罪"ではない。

変えてくれそうな人がいれば、その人の話を聞く。変えられそうなものがあれば変えていく。変えられないものはある。変えられるものもある。ああ、なんか自己啓発みたいでいやだな。でもそういう事を書きたいんだろうな。

人に凄いねって言われたいんだ。偉そうに説教がしたいんだ私は。

はぁ。

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