なぜだろうと思う癖
世の中にはいろいろなことがある。
自分の経験からしか判断は付かず、
後は環境や時代の慣習に流されてしまう。
自分の経験で丸ばつ三角と評価して、
周りの定規にあわせて批評して。
そんな中でも、「なぜだろう?」と思うことは多いはず。
そこの善悪は前提としていない。
ゼロベースでなぜだろう?と考えてみる。
これが結構面白い。
面白いと思う中に、自分の概念の外にあることが飛び込んでくるときがある。
自分の知らないことなんて山ほどある。
それを、なぜだろう?と少し考えいくだけで、自分の疑似体験とすり替えている。
ニュースを見て、なぜだろう。
街中の人を見て、なぜだろう。
怒っているのは、なぜだろう。
あんなに親切なのは、なぜだろう。
殺してしまったのは、なぜだろう。
いろんな答えがあっていい。
そのなぜだろうに必ず回答をつける。
なぜだろうだけだと、モヤモヤが生まれてしまう。
自分なりでいい、回答を決める。
人種、環境、生活、社会、遺伝、人生とか壮大なテーマでもいい。
答えを決める。
へんな妄想癖かも知れないが、
世の中をいろんな色眼鏡で見れて、違った側面にあえますよ。
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