映画『Afterglows』を書く理由

 映画好きだが、レビューは書いた事がなく、観覧した後「1200円だね…」「3000円!」と、映画の評価を勝手に端的金額に決め再訪、DVD購入
合わないのは無言で空仰ぐ…。
こんな感じが感想を書くに至るは、
木村太一の映像美に惹かれ、更に脚本の良さ
…そんで、身内や友人の自死が続いたこと

友人A  大きな騒動から逃れる手段
甥 仕事の極端な忙しさとジワジワときた孤独
友人B  再婚問題

甥の時で悟った、家族はじめ、彼の友人達が口々に「〜たら〜れば」タラレバ。
家族同士でさえ「親が悪い〜〜」「◯◯がちゃんとしないから 」と、叔母の私に言ってくる
知らんがな、奴はかなりヘルプは出してたぞ。
弱音に気づいてもたしなめる程度でヘルプ無し。
いいじゃん。彼は自由になったんだよ。
最後の言葉はSNSに「さらだばー(サラバだ)」

再婚だった姉の連れ子なので、継父の親は姉が居ないとこで「同じ墓じゃないよね?恥ずかしいし、あんまり知らない子だし」…キレた。

うるせーよ、こんな現実捨てられて良かったよ。
姉に至っては被害者マシーン。
私の大事な友人Aが逃げ自死した時は糞ほど人格否定してたのに、同じような事になったら全ての事から被害者ぶって。
何年も何年もSNS上では
「#亡き息子を忘れない」的なの付けて
バカみたい。バカなの?バカばっか。
「可哀想な私」やるんだったら早く気づけ
タラレバ半端にやる気なら、生きる楽しさ見つかるまで付き合えたか?
結局、擦り付け哀しみも悔しさも。

気がとても強い変わった私達は
友人の色んなカタチの死を経験し
そのうち、タラレバを一切言わなくなった。
ただただ友人の死を尊重し、月命日、命日、そして誕生日を各地にいる友人各々でケーキにローソクを立て献杯するだけ、思い出話で大爆笑するだけ。

遺されたなんて思わない、甥はいつまでも甥で
友人はいつまでも友人なだけ変わらない。

Afterglowsははじめは可哀想で泣いた。
そして何度も鑑賞するようになりAfterglowsの住人となっていった私
Afterglowsの住人を知れば知るほど自己愛者
それがバカみたいにうつり、私の経験も重なり哀れに思う
残光に縋る者達をグロく表す音楽や、美しく表す音楽は思わず納得してしまう。

私の経験と重なりぐるぐる廻る考えを書き出す。

それが『Afterglows』を書く理由。









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