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楽園 1

疲れていた。
ひとりになりたかった。
ずっと、憧れていたアーティストの世界だったのに身を置いてみると皮肉なものだ。

自分の意図するものとは全く違う解釈をされ、言葉は独り歩きをし、イメージはどんどん崩されていく。

音楽だけを聴いてほしい。
紡ぐ言葉だけを受け取ってほしい。

ただそれだけなのに…
いつからか、それ以外で注目されるようになった。俺はSNSを捨て、極力人目を避けて過ごす事を望んでいた。

ワガママを承知で一ヵ月、リフレッシュ休暇を取りたいと告げると、デビューから二人三脚で歩んできたマネージャーは何も言わずにOKを出してくれた。


アジアの小さな国で仕事をし、そのまま残る事にした。会社のスタッフの知り合いに、たまたまコンダクターがいて面倒を見てくれる事になったのはラッキーだったと思う。

空港のロビーに迎えに来たその人は、おそらく40代の美しい女性だった。
小さなバンに乗り込むと、ニッコリ微笑む。

「お話は聞いてます!何も言わないで。リラックスしてこの国を楽しんでね。困った事があったらいつでも聞くわ。」

そい言うと、街中へと車を走らせる。

日本とは違うまとわりつくような熱気。
エネルギーに溢れ、人目を気にせず、自分らしく振る舞う人々の波をボンヤリと眺める。

東京に戻って、また自分を取り戻せるのか…
不安が頭をよぎる…ダメだ。
今は頭を空っぽにしよう。俺には休息が必要だ。

次から次へと、襲う不安に飲み込まれないように深呼吸をする。
香辛料と汗の混ざり合う匂い。
ここでは、俺を知る人間は少ない。
リラックスだ…リラックス。


いつの間にか、ウトウトとしていた。
波の音と、潮騒の匂いでそこが海の側だと気づく。

「さあ、着いた。どうぞ自由に使ってね。生活には困らないようにサポートはするから。」女性はそう言うと門を開けた。

小さなコンドミニアム。入り口の門をくぐると暫く熱帯の植物が道なりに続いた。奥まった扉を開ける。小高い丘にあるからか、リビングから海を一望できた。籐でできたインテリア、センス良く飾られた民族調の置物が異国にいる事を感じさせた。

ふと、人の気配を感じる。
振り返ると、女の子が立っていた。
胸元まで伸びた髪は、真っ黒でクセひとつない。
褐色の肌に、少し翠がかった瞳。唇は肉厚で、ぽってりと主張している。

綺麗に手入れされたジーンズにシャツをラフに羽織り、耳元には小さなピアスをしていた。

「あ、私の娘よ。20歳。あなたと歳が近いから、色々とここの事を教えてあげられるかと思って…だってひとりじゃ退屈でしょ?」

女性はテキパキと、部屋中の窓を開けて空気の入れ替えを始めた。

別にいいのに…俺はひとりでも平気だ…
心の中で呟く。

人の親切も受け入れられない程に疲れていた。

女の子に軽く会釈をすると、俺はベッドルームに向かう。泥のように眠りたい。
それだけだった。
明日の事はまた、明日考えよう。

目を閉じると、深い闇が包み込んだ。

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