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中日ドラゴンズ 記事まとめ

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2022年1月の記事一覧

球春到来!!

こんにちは!オツポンタウルスです! 明日から2月ということで、プロ野球ではキャンプインですね。 ということで大好きな中日ドラゴンズの今期について書きたいと思います! 1.今期の注目ポイントなんといっても立浪監督ですね!中日ファンからしたら待望のとなりましたね。何とかチームの雰囲気を変えて欲しいと思います! 怖いイメージでしたが、秋季キャンプの様子を見ていると、緊張感の中にも適度な距離感を保ちながらで、選手もイキイキしていたのかと思います。 続いてコーチ陣の注目ポイント

書評:嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか(鈴木 忠平)

まず最初に断っておきたいが、本書は野球好きのための本ではない。むしろビジネス書として取り扱うべきだ。筆者は不世出の天才打者にして名監督である落合博満という一人の男の生き様を通じ、「プロフェッショナルとはなにか」という問いを投げかけてくる。勝負の世界に生きる落合の妥協を嫌う姿勢は、現状維持に安住する人々の弱い部分を責めたてる。 落合が監督を務めた8年間のドラゴンズについて、数々の「事件」を切り口に振り返る体裁だが、野球というのはあくまで舞台装置でしかない。故障でほとんど投げて

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第17章

 第17章 伝説の奇襲 先発小笠原孝~2007年~  クライマックスシリーズ創設年の中日は、2位からのスタートだった。 2位の場合、まずは第1ステージを3位チームと戦って、先に2勝した方が第2ステージへ進むことができる。  第2ステージへ進めば、優勝チームと日本シリーズ進出を懸けて戦う。  第1ステージの舞台は、2位中日の本拠地ナゴヤドーム。対戦相手は3位の阪神である。  10月13日の第1戦は、当然のように中日のエース川上憲伸が先発する。川上は、上々の出来で7回無失点

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第16章

 第16章 クライマックスシリーズ創設1年目の未成熟を逆手に~2007年~  2007年の中日は、アレックスを放出したものの、李炳圭と中村紀洋を獲得したため、世間は、前年に増して戦力が上がったという見方をした。  そのため、前評判ではリーグ優勝確実の声は高かった。  だが、巨人は、それ以上とも言える補強をしていた。日本ハムの看板打者小笠原道大とオリックスの看板打者谷佳知を獲得する大型補強。さらに、FAで門倉健、無償トレードで大道典嘉も獲得した。  そして、阪神も、JF

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第15章

 第15章 2006年の日本シリーズ敗北から生まれた名言「勝つことが最大のファンサービス」  稀代のエンターテイナー新庄剛志の引退祭りとなった2006年の日本シリーズに敗れた中日。  戦力では勝っているはずなのに敗れたという結果は、批判となって落合に降り注いだ。  世間やマスコミは、新庄が様々なパフォーマンスで自軍の選手たちのアドレナリンを放出させ、ファンサービスをしまくって日本一になったため、落合のファンサービスの少なさを槍玉に挙げたのだ。  そのとき、落合は、こん

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第14章

 第14章 稀代の勝負師落合博満 vs 稀代のエンターテイナー新庄剛志の日本シリーズ~2006年~  2006年の日本シリーズは、不思議な現象の連続を見ているようだった。  中日は、第2戦以降、バントをすれば失敗、強攻策をとれば併殺打。投手を変えれば痛打される。鉄壁であった守備にミスが出る。それらの繰り返しだった。しかも、併殺打の後の打者がよくヒットを打ったりするのだから、本当に信じ難い光景である。  私は、落合が日本シリーズの最後に、自らに言い聞かせるように残したコメ

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第13章

 第13章 プロ野球は競技なのか、エンターテイメントなのか~2006年~  今、思い返せば、2006年は、私が落合に対して「ファンサービスをしない監督」という印象を最初に持った年だった。  その原因は、立浪和義のレギュラーはく奪と、福留孝介をオールスターゲームに欠場させるという方針によるものだ。  仮に落合が立浪をレギュラーで使い続けていたらどうなったか。立浪は、年々成績を落とし、2割前後しか打てなくなり、守備もほとんど動けない状態にまでなっていっただろう。  そうな

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第12章

 第12章 物議を醸した福留のオールスター欠場~2006年~  この年の中日は、打率・防御率ともにセリーグ1位を記録し、全5球団に勝ち越しという、いわば完全リーグ優勝であった。  しかし、2位阪神とは打率で3厘、防御率で0.03しか違わない。そのわずかな差が3.5ゲーム差になった、とも言えなくはないが、その差以上に優勝争いはし烈を極めた。  2005年にリーグ優勝を果たした阪神は、この年も強かった。  井川・下柳・福原・安藤を中心に安定した先発陣とJFK(ジェフ・ウィ

落合博満の〈たった一人の真の理解者〉

書評:ねじめ正一『落合博満論』(集英社新書) 野球ファンではない私が本書を読むことにしたのは、世評高い、鈴木忠平著『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』を読んだからである。 ではなぜ、この『嫌われた監督』を読んだのか。それは、同書について論じたレビュー「もう一つの〈野球狂の詩〉」を読んでいただくこととして、ともかく、世評どおりに同書に感心し、落合博満という男に興味を持った私は、それで満足するのではなく、別の視点からの落合博満論を読んでみたいと思った。一面的な評価

ドラゴンズ

生まれたのは福岡市だった。小学2年生になる前に広島市に引っ越すことになった。親父が広島出身だったので、会社に異動願を出して転勤になったのだ。 福岡市は団地住まいで、ポリ風呂洋式トイレで、当時の言葉でいえば文化的な生活をしていた。広島に移ると五右衛門風呂に汲取和式トイレだった。大河ドラマ風にいえば、「こんなところへきとーはなかった」という気分だ。おまけに転校した小学校の友達からは博多弁を馬鹿にされて、「そいでくさー」とかいうと、「何が臭いの」とか聞いてくる。いじめと

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第11章

 第11章 立浪和義から森野将彦への鮮やかな世代交代~2006年~  2006年は、落合政権の中で最も戦力が充実していた年と言っても過言ではない。投手陣も野手陣も、多くの選手が全盛期を迎えようとしていた。  そんな中で、あるポジションのレギュラー争いだけがし烈になってきていた。  サードである。  サードには、長年、中日を攻守の要として支え、「ミスタードラゴンズ」とも称された立浪和義が守っていた。しかし、立浪も、肩に故障を抱え、2005年は打率.253、エラー12。年齢

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第10章

 第10章 失敗から学び、交流戦で見事リベンジ~2006年~  落合にとって2006年のリーグ優勝は、必須条件だった。監督1年目の2004年にリーグ優勝してしまった以上、それと同等かそれをしのぐ成績を残すしか、2007年以降へつなげる道はない。  3年契約最終年の落合にとって最もプレッシャーのかかる年になる。  落合は、前年のⅤ逸により、さらなるチーム力強化を図った。ただし、前年のウッズ獲得のような補強はなかった。ドラフトで、後に落合政権後半で台頭してくる吉見一起、平田

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第9章

 第9章 敗北感なき敗北~2005年~  交流戦は、12チーム中9位。想定以上の惨敗だった。横浜より下位に沈み、中日より下にいたセリーグチームは広島だけだった。落合は、その後、2度と「交流戦は5割でいい」という発言はしなかった。  翌年以降、落合は、この年の反省を踏まえて常時10人を超えるスコアラーにパリーグ6球団を徹底的に研究させる。  落合が名将と呼ばれる所以は、2度と過去の失敗を繰り返さないように過剰なまでに手を打ったからだ。  その甲斐あって、2006年以降は

2022ドラゴンズ 飛躍を期待する7選手

2022年の中日ドラゴンズ2022年もドラゴンズは非常に苦しい戦いとなりそうです。 シーズンを通して壊滅状態であった2021年の打線にどうやら新外国人は加わらず、新たな野手はドラフト指名選手のみ。ルーキー含む若手選手がいきなり順位を変えるほどの活躍をするとは考えにくく、昨季からの伸びしろはコンバート組の出場機会増加に加え、高橋、阿部、福田、平田の中堅〜ベテラン野手の復活でしょうか。優勝はおろかAクラスを狙うことすら困難な野手力で、投手に目をやると絶対的セットアッパー又吉がF