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8.青空の下がぼくらの家だ

 校内は騒がしく、かつ閑散としていた。永久の児童がそれぞれ好き勝手なことをする一方で、永久でない児童は学校から逃げだしたからだ。水道は元栓が止められたのか水の噴出は止まっていたが、あちらこちらでガシャン! ガシャン! とガラスの割れる音は続いていて、笑い声や歓声に混じって悲鳴や怒号も聞こえてきた。そんな中、「ハジメくん」と話しかけられた。黒縁の眼鏡をかけた、いたって真面目そうな男子児童だった。「視聴覚室のこと知ってる? 仲間がひどい目にあってるよ」
 「視聴覚室?」ハジメくんには思い当たることがあった。「何度か通りかかったけど、マシンガントークと悲鳴絶叫が代わり番こに聞こえてきたな。ホラー映画でも上映してるのかと思ってた。アメリカのやつで吹き替えの。救急車がときどき来てたから気になってた。よっぽどこわいホラーなのかな。永久少年になってもやっぱりこわいのかな。暇を見つけてのぞきに行くつもりだったんだ」
 「うん、ある意味ホラーなんだろうね。先生方がよってたかって永久の児童を追いつめて、元の生身に戻してるんだ。名付けて永久はずし」
 「そんなことできんの?」ハジメくんは心底驚いた。「せっかく永久になったのに、なんでまた永久をやめようなんて思うんだろ?」
 「やめようと思ったわけじゃない。そのように仕向けられたんだ。永久少年にはなんの根拠もない。そこのとこを突いてるんだと思う。だからきみは近寄らないほうがいい。きみが真のターゲットなんだ」
 「じゃあ行くか」ハジメくんは即断した。「行かなくちゃ終わらない感じじゃないの? ところで、きみは永久少年? なる?」
 「うん。永久少年にしてくれよ、ハジメくん」
 「いいね」ハジメくんは感嘆した。永久少年に根拠がないとわかっていて、永久はずしが行われているにも関わらず、それでも永久少年になりたいというのだ。五年生のヨシトくんだった。
 「きみはもう永久少年さ」
 ゴツン!
 「ありがとう、ハジメくん!」
 視聴覚室のドアにはロックがかかっていたので、拳でノックし、頭突きを食らわせ、上履きの先で蹴飛ばした。
 先生方は驚いたなんてものじゃなかった。けれど、最初の驚きがすぎると、飛んで火に入る夏の虫とばかりにハジメくんに飛びかかった。ロープでがんじがらめにし、椅子に縛りつけようとしたのだ。しかし、シラオイ教頭がそれを止めた。「必要ありません。自分の意思でここに来たんです。逃げることはないでしょう」
 これまで数々の犠牲者が悲鳴をあげ血を流し絶望の淵に沈んだパイプ椅子に、ハジメくんはひょいと腰を下ろした。先生方はそんなハジメくんの前後左右に合計六人が取り囲んだ。
 「逃げたくなったら逃げるけど。だれにも決めてほしくないな。自称先生たちがやってること聞いたよ。せっかく永久になったのに、それをはずしてるんだよね? なんでそんなことするの? ぼくらは楽しくやってんのに。それがイヤなの? だから邪魔すんの? 大人げないなあ。子供っぽいなあ。交代する?」
 ふん! と先生方は鼻を鳴らした。涼しい顔をしていられるのも今のうちだ。永久はずしがはじまった。
 永久というのはきみの思いこみにすぎない! 自分をだましているだけだ! 自分で自分に催眠をかけているのだ!
 「なんでも思いこみからはじまるって聞いたよ。自分を納得させられなくて、だれを納得させられるの?」
 「思いこみはしょせん思いこみにすぎない! 妄想なのだ! 自分にとって都合のいいことだけ信じてるのだ!
 「思いこみをこみこみさせて、ものすごい重い思いこみになったんだ。都合がいいのが一番だよね」
 永久にはなんの根拠もない! こんなのは絶対ありえないことだ! 合理的な説明がつかないではないか!
 「根拠がなくちゃ指一本動かせないの? 動いてしまったら、もう根拠なんかいらないよ」
 夢はやがて醒めるものだ! 幻想はやがて剥がれ落ちるものだ! 妄想は高じて狂気になる!
 「醒めない夢を見てるんだよ。そしたらもう夢じゃない。そっちのほうが本当なんだ」
 きみは腹を空かせている! ひどく疲れきっている! 眠くて眠くてしかたがない! 体のふしぶしが悲鳴をあげてる!
 「腹が眠い。悲鳴が疲れた。ふしぶしが空いた。きみがない」
現実を見つめるのだ!
 「見つめれば現実なのだ!」
 屁理屈小僧が!
 「尻糞大人が!」
 減らず口ばかりたたきやがって!
 「永久少年だもの。口が減るわけないじゃないか」
 ハジメくんが言い負かされることはなかった。思いつくままにしゃべって、それが合っていようが合っていまいが構わなかった。しゃべっていれば、必ずどこかに逃げ道があった。ちょっとした隙間を見つけて、するりするりとかわし続けた。
 先生方も負けてはいられない。なにせ目の前にニコニコしながら座っているのは、にっくき永久の首謀者だ。こいつを落とせば、万事が解決するのだ。たぶらかされた児童はすべて正道に立ち返り、学校は正常化する。先生方は交代でハジメくんの説得にあたった。硬軟取り混ぜさまざまな説得を試みた。
 永久の少年少女を徹底的に洗い出し、頑として脱永久化を果たさない児童は社会にとって用無しだ、コンクリート詰めにして埋めてしまうぞと脅しつけた。
 学校に不満があるのなら、こちらも謙虚に耳を傾けようではないかと譲歩し、児童に一定の自治を認め、先生代表と児童代表の対等の話し合いによって真に民主的な学校経営をしていこうではないかと持ちかけた。
子孫を残さない、進化しない、そんな生物は金輪際存在するはずがないのだから、きみらはじきに滅び去る運命だ、しょせんは徒花に過ぎないのだと冷たく突っぱねた。
 永久少年という概念は生老病死の苦しみを断固として拒絶したという意味で実に卓抜なアイディアだ、やがては全人類への適用を目標に一緒に研究していこうじゃないかと遠大な目標をぶち上げた。
ハジメくんの回答は以下の通りだった。
 「コンクリートの中か。まだ入ったことないな。ぼくらが『助けてー』『死ぬー』『恨んでやるー』って言ったら聞こえるかな? 十年も百年も毎日毎晩続けるけど。コンクリートは何年持つの?」
 「自治? 対等? ぼくらが教壇に立って、おじさんおばさんに授業してもいいってこと?」
 「すごいな。これまで存在しなかった生物なのか! アダバナーっていうの? ぼくはアダバナー1号ってこと?」
 「全人類が永久になるのは無理みたいだよ。GP12の規定でさ。もう一回試してみる?」
 そして、ハジメくんは先生方のおでこをかたっぱしからゴツン! ゴツン! たたきまくった。なんという素早さ! なんという屈辱! 学校に泊まりこみ、ブラックコーヒーと栄養ドリンク、エナジー飲料をがぶ飲みし、交代で仮眠をとりながら、声が枯れてもなお説得を続けた先生方は、この容赦ないおでこ攻撃に心を砕かれた。床に倒れ伏して、しくしくしくしく泣きだした。
 そもそも根気でハジメくんにかなうわけがないのだ。そして、ハジメくんの心には一ミクロンほどの疑いも生じる余地がなかった。永久はずし、敗れたり! 閉ざされた視聴覚室の扉を開けると、廊下にも窓の外にも朝の光が立ちこめていた。新しい朝だ。すがすがしい。
 廊下には永久少年の新人であるヨシトくんが一睡もしないで待っていた。永久少年はもちろん眠らないから、これは言葉の綾だけれど。
 「おはよう、ハジメくん、さすがだね」ヨシトくんは自ら納得するように大きくうなずいた。「永久はずしを食らった児童はみんな、大端病院に運ばれた。場所は二階の集中治療室。ママが看護士やってるから、裏口から面会に行ける。警備員は顔なじみだし、きみのことは友達だと言う。外には六段変速の自転車を二台用意した。すごい速いよ。風のようだよ。行こう。みんなを助けよう」
 「有能だね、きみは。ユー、ノウ?」ハジメくんは感心した。「たぶん、きみみたいな人が必要なんだろうな。ぼくは計画なしだもの」
二人は風のように朝の町をすっ飛ばして、病院の裏口から二階の集中治療室にやってきた。
 「来たね」ドアの前にはルモイ先生が立っていた。ハジメくんが来ることをあらかじめ予想していたのだ。「この辺で終わりにしたら? 先が見えないじゃない」
 「先が見えない。そりゃいいな」ハジメくんは顔を輝かせた。「先が見えてるなんてつまんないもんね。どんな先になるんだろう。尖った先かな。丸まった先かな。それとも枝分かれしてんのかな。楽しみだ」
 「いつまで続けるつもりなの?」
 「まだ遊び足りないからね」
 「いつになったら足りるわけ?」
 「そんなのわかんないや。そこどいて。先生の出番は終わりだよ」
 ハジメくんはずらり並んだベッドの上で身悶えしている、元永久の少年少女たちの姿を見て、さもおかしそうに笑いだした。あはははははは! 「もう! きみらはなにしてんだか」
 ベッドの上の病人怪我人の顔に浮かんだ表情はなんだったろう。ハジメくんと再会した喜びだろうか。自分をこんな目にあわせた元凶に対する怒りなのか。一人だけ能天気なお調子者に対する恨みつらみか。それとも、自分から失われたものに対する悲しみか。けれど、そんなことに頓着する時間はなかった。ハジメくんは電光石火のスピードで、おでこをたたいてまわったのだ。
 ゴツン!
 ゴツン!
 ゴツン!
 マヌケな音が響きわたると、永久から転落した児童たちはふたたび永久となって浮上した。ベッドからひょいと跳ね起き、口から呼吸器を取りはずし、腕から点滴針を抜き去り、ぐるぐる巻きの包帯をかなぐり捨てた。
 「お帰り」屈託なく言うハジメくんだったが、帰ってきた永久少年少女たちの顔には若干の屈託があった。どことなくバツが悪そうだった。
 「ぼくは別に痛がっちゃいなかったんだ。痛いふりをしてただけだ。みんなにつきあったんだ」
 「ルモイ先生が暇そうだったから、重病人になってあげてたの、わたし」
 「お芝居の練習してたんだよ、今度の学芸会で発表するやつ。どう、迫真の演技だっただろ?」
 「うん!」ハジメくんは大きくうなずいた。「ぼくが永久少年じゃなかったら、うっかりだまされちゃってたとこだよ。哀れに思って、おいおい号泣してたはず。ところで、町に出てみない? そろそろ学校も飽きちゃったし。家になんか帰んなくていい。青空の下がぼくらの家だ。雨風に打たれ、泥んこにまみれて、どこまでもどこまでも走っていこう!」

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