1.すべてをはじめたのは
すべてをはじめたのはケンジくんだった。
いや違う。ケンジくんじゃない。
「なぜって、ケンジってのはパパとママが勝手につけた名前だもの。ぼくになんの相談もなしに。自分の名前くらい自分でつけるよ。これからが本当のはじまりなんだ。だから、ぼくはハジメって名乗ることにする」
だから、ぼくらもハジメくんと呼ぼう!
その朝、ハジメくんはかねてからの計画を実行に移すことにした。一晩じゅうパッチリお目々を開けて起きていて、ちっとも眠くならなかったからだ。それどころか、これまでにないほど爽快な気分だった。体じゅうに力がみなぎっていた。
「ケンジ! ケンジ! ケンジったら!」その甲高い叫び声ははるか下界から聞こえてきた。具体的に言えば一階だ。「いつまで寝てんの? 遅刻しちゃうよ」
バタバタ階段を踏みつける足音に続いて、勢いよくドアが開け放たれると、現われたのはママだった。ナイフで刺されたような顔をしていた。息子がすぐ目の前に立っていたからだ。
「なんだ、起きてるんじゃないの。返事くらいしてよね。感じ悪いな」
ハジメくんは黙っていた。
「なにニヤついてんの? なにかおもしろいことでもあって? その服、昨日と同じじゃないの? まさかそのまま寝ちゃったわけじゃないでしょうね。くっしゃくしゃだよ。着替えなさい。そんな格好で学校行ったら、みんなになに言われるかわかんないよ。着替えて顔を洗って、ごはんにするの」
着替えないで顔を洗わないでダイニングに行くと、テーブルの上にはいろんなものが並んでいた。白ごはん、お味噌汁、醤油、ハムエッグ、ポテトサラダ、お新香、ふりかけ、そういった名前を持ったものが。
「座ったら?」ママはハジメくんの服に目を落とすが、それについてはもうなにも言う気がないようだ。「見てるだけじゃ、おなか膨れないよ。時間ないのよ。最近遅刻が多いって先生に注意されてんでしょ?」
「ごはんは食べない。学校は行かない」キッパリ答えるハジメくんだった。「それに、ぼくは今日からハジメなんだ。そう呼んでくれなくちゃ」
ママはハジメくんの顔をまじまじと見つめる。
「どこか悪いの?」
「とんでもない」
ウソじゃない。ハジメくんの顔は晴れ晴れとしていた。雲ひとつない青空のように。雲の上の青空のように。お日様がギラギラ全方位に輝く、永遠にくもることのない青空のように。
「じゃあなに?」
「ぼく、大人になるのをやめることにしたんだ。ずっと子供のままでいる。だから、ごはんは食べなくていいし、学校は行かなくていいんだ」
ママは力なく首を振る。
「また変なこと言って。いいから早くごはんを片付けなさい。おなか減って困るのは自分なんだよ」
「だから、おなかなんか減らないんだってば。なんにも入れない。なんにも出さない。鎖国と同じだよ。鎖人だよ。ぼくは永久にこのままなんだ。だから死ぬこともない。すごいでしょ」
今度はなにをはじめたのか? ママは大きくため息をついた。息子の変な思いつきにはいつも悩まされていたのだ。
「永久少年っていうんだ、これ。永久機関ってあるでしょ? その少年版なんだ。ハルトが教えてくれた。世界一すごい機械なんだって。いったん動きだしたら止まらない。永久に動き続けるんだ。電気もガソリンも原子力もなしで」
「ハルトくんが?」ハルトくんはママの姉さんの息子で、ハジメくんの一つ年上だった。「でも、永久機関って不可能じゃないの? そういうことになってるはず」
「そんなの実際にやってみなきゃわからないじゃないか。だからやってみたんだよ。ぼくも永久に動きたい。ごはんもお寝んねもなしに生きたい。そう思ったらできた。こんな簡単なこと、なんでだれもやらなかったか不思議だな」
ママにはよくわからないようだった。
けれど、「わかった」と口にした。「つまり、ごはんは食べないってことね。いいよ、だったら無理して食べなくても。でも、学校には行ってよね」
「うん。本当は学校に行くつもりだったんだ。こんないいこと、独り占めしちゃいけないもの。みんなに教えてあげなくちゃ」
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