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9.どこへでも逃げろ!

 ハジメくんをはじめとする十人ばかりの児童は勇んで町に繰り出したが、そこはもう昨日と同じ町じゃなかった。ハジメくんが永久少年になって以来、学校が学校でなくなったのと同様に、町も変わってしまったのだ。そこは永久の少年少女のための遊び場にほかならなかった。禁じられた遊びはない。永久の子供たちは防災ポスターをビリビリ破り、交通標識を逆向きにした。飼い犬を首輪から解放し、駐車中のバイクを蹴倒した。マンホールの蓋を引っぺがし、立木の枝を折りまくった。
 自販機横に備えつけられた空き缶入れを倒すことはちょっとしたイベントだった。甲高く華やかな音をかき鳴らしながら、つぶれた空き缶、つぶれていない空き缶、まだ中身の残っている空き缶が路上に色とりどりにぶちまけられて、まるで外国の結婚式だ。おめでとう! お幸せに! バンザーイ! その空き缶はまた、体重を乗せて両足でグシャリッ! つぶしたり、あさっての方角へカーン! カーン! 蹴飛ばしたりもできるのだ。
 ゴミ袋がまたおもしろかった。固く封をされた袋の中では、なにもかもがごちゃ混ぜだ。ピザの切れはし、スナップ写真、穴の開いた靴下、腐ったヨーグルト、毛羽立った歯ブラシ、ハムスターの死骸、へし折られたDVDが、くんづほぐれつ仲睦まじくしている。そこからお宝を見つけるのが楽しいのだ。ゴミの山から掘り出せば、オモチャの指輪もキラキラ輝く。水を吸ってふやけたミステリーは、読めば余計にスリリングだ。くしゃくしゃに丸められた写真はていねいにシワを伸ばして、しげしげと眺めたくなる。ゴミ袋を一つ破るだけで、これだけのお楽しみが待っているのだ。みんなはすっかり夢中になった。ゴミ袋と見れば破りまくり、中身を路上にぶちまけては、ワイワイ騒ぎながら物色をはじめる。CDばかり集める音楽好きがいたし、インクの切れたボールペンやちびた鉛筆を好んで集める好事家もいた。物々交換も盛んだったし、集めたゴミを巧みにアレンジして売りだす商売人までいたくらいだった。食べ残しをきれいに弁当箱にレイアウトすれば、それなりうまそうに見えるものだ。首のもげたお人形さんや綿のはみ出たぬいぐるみさんも、ディスプレイ次第で新たな魅力を醸しだす。
 ピンポンダッシュも楽しかった。通りすがりの家のピンポンを押して、すぐに気づいた者とまだ気づかない者が入り混じり、前後左右に逃げだして、ぶつかったり転んだり折り重なったりして、大声で笑いながらてんでバラバラの方角に駆けていくのだ。ピンポンならまだ「だれだーっ!」「こらーっ!」という叱責も少なかったので、より効果的なのは窓ガラスを割ることだった。ガラス越しに住人の姿の見えるお茶の間や台所が狙い目だ。ガシャンッ! だれだーっ! そら逃げろ!
 無防備に駐車している自動車でストリートアートしようと思いついたのはだれだったろう。大事にされている自動車はボディがきれいに磨き抜かれていて、それは格好のカンバスになった。尖った石で、錆びた釘で、針金の切れ端で、ギギギ! ギギギ! ギギギギギ! 幻惑的な高音をきしませながら、怪獣、ロケット、ひまわりを描くのだ。
 ハジメくんが登校していないことはいつの間にか知れ渡っていて、ほかの児童も合流してきた。ランドセルを背負ったままの子もいたし、こちらに駆け寄ってくる途中で背後に滑り落とした子もいた。ハジメくんがおでこをたたかなかった者も混ざっていたが、これは喜ばしいことだった。ハジメくんが永久にした人がその人たちのおでこをたたいて永久にしたに違いないのだから。こうして永久が次々と伝播する。永久が永久を呼び、倦まず弛まず永久を呼び続けて、やがてはすべての子供がすばらしい永久少年(ならびに永久少女)になる日が来る。そのとき世界は生まれ変わるのである。
 みんなでスーパーに詰めかけたときはもうお祭り騒ぎだった。缶詰の山をガラガラ崩し、ヨーグルトのパックを両足でつぶし、大量の玉子でドッヂボールをし、たっぷり振った炭酸飲料を景気よく噴出させた。それにショッピングカートの楽しさと来たらどうだろう。一人か二人か三人が乗りこみ、一人か二人か三人が押して、時間無制限のデッドヒートを通路通路で繰り広げるのだ。追いつけ! 追い越せ! ぶつかれ! 倒せ!
 もちろん大人たちもただ指をくわえて見ていたわけではなかった。年端もいかない子供たちが平日の真昼間、外をほっつき歩いていていいわけがないのだ。課外授業にしては騒がしすぎるし、遠足にしては近場すぎる。第一、引率の先生も見当たらないではないか。いたずらにしても度が過ぎた。不良や酔っ払いよりなおひどい。これはれっきとした犯罪だ。器物破損、障害、窃盗、不法侵入。学校はなにをやっているのだ? 教師はどういう教育をしてる? 親の顔が見たいものだ。自分以外の親の顔が。大人たちは大声で怒鳴りつけ、子供たちを追いかけた。頭ごなしに叱りつけ、場合によってはゲンコを食らわせた。ダメだろ、こんなことしちゃ! おまえ、どこの子だ? ふざけるな! 学校に行け! 勉強しろ! 警察を呼ぶぞ!
 永久の子供たちはもちろんひるまなかった。腕力では大人にかなわないが、殴られたって平気だし、殴り返すのもありだからだ。思いきり頭突きを食らわせたり、腕に噛みついたりすれば、大の大人だってひるむのだ。「徹底抗戦だ!」と息巻く者もいたが、ハジメくんには思うところがあった。ヨーイドン! いきなり猛ダッシュをはじめ、「逃げるよーっ!」と叫んだ。「一番ビリがウンコだぞ!」
 ハジメくんを先頭に、子供たちは商店街を抜けて大端川にむかい、土手をひたすら上流にむかって走り続け、アスファルトの舗装路が土の道に変わり、両脇から垂れさがった草で道がなかば覆われるあたりで坂を下って、石ころだらけだの河川敷に出たところでようやく止まった。
 「なんでこんなとこに来たんだよ」隣にいるのは幼なじみのカケルくんだった。川と空と草しかないこのロケーションにとまどっていた。「ずいぶん遠くに来ちゃったぞ。犬の散歩でもここまで来ない。あとちょっと行ったら焦名の部落だ。もうだれも追ってこないだろ」
 ハジメくんはそれから三十分待ってから、「ほらね」と言った。
 三々五々到着する子供たちの中には、真っ青な顔をしていたり、にわか雨にあったみたいに汗だくだったり、右に左によろけたりする者が相当数混ざっていたのだ。
 「どういうこと? なんで、みんな永久少年じゃないの? 永久少女じゃないの?」
 「様子見だ」砂利石の上にへたりこんで、スグルくんは息も絶え絶えに答えた。「A級だかB級だか知らないけどよ、それが本当にいいもんなのか、まだわかんないじゃないか。それをたしかめてから永久になったって遅くないだろ?」
 「呑気だな」ハジメくんは呆れた。「五分後には死んでしまうかもしれないのに。地震が起きて、トラックが暴走して、人殺しが襲いかかって。そのとき後悔しても遅いんだ」
 「ぼくはすぐにでも永久少年になりたいんだけど」どこからともなく声がする。
 「声はすれども姿は見えず。ということはカナオくん」ハジメくんは背後を振り返って、影のように地面に貼りついているカナオくんを見つけた。「どうして? いつだって永久少年にするけど」
 「ハジメくん、忙しすぎんだよ」カナオくんは恨みがましく言う。「ずっと走りまわってたじゃないか。走りながら、右や左の人のおでこをゴツン! ゴツン! たたいてたけど、いつもぼくのとこだけ素通りだった。おーい! おーい! 呼びかけたって、ぼくの声なんか聞こえやしない」
 「忙しいのは本当だな。でも、ぼくがやる必要ないじゃないか。どっかのだれかに頼めばいい。永久の人はもう三十人も四十人もいるんだし」
 「できないんだ」ヨシトくんが告白した。「さっき試してみたんだよ。疲れて死にそうだっていうから、カナオくんのおでこをたたいてみた。だけど、痛い痛い言って、ますます死にそうな顔になっただけだ。なにかコツがあるの? 教えてもらえる?そしたら、みんなで永久を広めることができるんだけど」
 「広めるよ」イワオくんがすっくと手を挙げた。「やるよ。がんばる。一所懸命永久を広める。一番弟子の名にかけて」
 「いちばんでしい?」イワオくんはたしかに、ハジメくんによって一番最初に永久になった児童に違いなかった。しかし、弟子と認定したおぼえはない。「そうだったの?」
 「もちろん。二番や百番がだれかは知らないけど、一番がぼくなのは間違いない」
 「弟子は百人もいらないな」
 ハジメくんはあたりを見回して、弟子、弟子、弟子と指名していった。それは以下のメンバーだった。言い出しっぺのイワオくん。その弟の二年生ユタカくん。駆けっこ好きのカケルくん。お祭り男のシュージくん。奔放な永久少女であるサツキさん。別な意味で奔放なアンノさん。有能で真面目なヨシトくん。永久少年にだれよりも肩入れしているサンペーくん。先生方のスパイであるスグルくん。みんなから一歩離れて立っている六年生アストくん。いるのかいないのかわからないカナオくん。
 「永久でないやつも混ざってるぞ」サンペーくんがにらみつけたのは、スグルくん、アストくん、カナオくんの三人だった。「しかもスグルの野郎は先生どものイヌじゃないか。なんでこんなやつを弟子にすんだよ」
 「パイプ役って言ってほしいな」スグルくんが反論する。「連絡はとれたほうがいいだろ? ほら来た」
 鳴りだした携帯電話を手に持ったまま、スグルくんは一同から離れて、土手に走った。
 「このアストってやつはなんだ?」サンペーくんはしかつめらしい顔をした六年生をにらみつける。「さっきから分厚いメガネで、メモばっかりとってやがる。写真を百枚も千枚も撮って、メールでどっかに送りつけてる。ジージー鳴ってるのはレコーダーだろ? どこの博士さまですか?」
 「研究させてもらってんだよ。こんなおもしろい研究対象ないからね」アストくんは悪びれずに答える。「きみらは変だよ。どう見ても。説明できない。ありえない。それでも利用価値があるんだったら、それを利用しない手はないだろ? 今はデータを集めてるとこだ。これが本当に役立つものなら、ぼくがそれを大人たちに提言するよ」
 「ハジメ!」土手の上からスグルくんが走ってきて、携帯電話を差し出した。「先生が呼んでるぞ。出ろ!」
 「取り返しのつかないことをしたな」受話器のむこうで、ヒノモト先生は苦々しげに話しだす。「教室で騒いでいる分には先生は大目に見ただろう。いつもの延長線上の愉快なトラブルにすぎない。校内で騒いでたってまだ更生の余地はあった。頭を下げて反省文書いて、なんだかんだで解決できた。だが、どうだ。町に飛び出してこの大騒ぎ。学校には苦情が殺到し、警察の取り調べが入った。おまえののらりくらり戦術に徹夜でつき合わされた先生方は現在、疲労困憊の極致にある。おまえ、このままじゃ逮捕されるぞ。刑務所行きだ。おまえは犯罪者になったんだ」
 「刑務所か。行ったことないな。おもしろいとこ? おじさんは行ったことある? どうだった?」
 「もちろんおまえは未成年だから、実際は補導されてカウンセリングを受けて、それにふさわしい施設に送られることになるだろうがな。先生はもちろん、できるだけの擁護をしてやる。空気を読むのが破滅的に難しいクソガキだから勘弁してくださいと、特別の配慮を頼んでやる。そのためにも今すぐ学校に来る必要がある。今回のおふざけは終わりにしますとしめやかに宣言する必要がある。いいだろう? もう四日目だぞ。十分じゃないか。今回の騒ぎは間違いなく伝説になった。この先、一年はずっと語り草にできる」
「だからもう学校は用なしなんだってば。おじさんも用なしなんだってば」
ハジメくんが一方的に切った電話を、スグルくんはあわててかけ直し、土手に走って「ええ」「はい」「続けます」と言った。
 時刻はすでに夕刻だった。夕日は川の上流にむかってだいぶ傾き、川べりに吹く風は急速に冷えた。永久の子供たちが水浴びしたり、合唱したり、鬼ごっこしたりしている中にあって、不平を漏らしたのは永久でない子供たちだった。「寒い」「凍える」と訴えて、厚い上着と暖かい室内を恋しがった。「腹減った」「死にそう」とぼやいたのも、これらの子供たちだった。
 「ハジメ」スグルくんが代表してハジメくんに詰め寄った。「なんとかしろ。この状況をどうにかしないと、おまえはリーダーとは言えないぞ」
 「リーダー?」ハジメくんは左右を見回したが、それらしき人物はどうやらいないようだ。「だけど、なんとかなるんじゃない?」
 放火を計画していたシュージくんがライターとマッチを大量に所持していたので、枯れ木を集めて焚き火を起こすことができた。火が豪勢に燃えあがると、ふざけ屋がそこへ飛びこみたがることだけが厄介だった。「やめろ! でも、ちょっとおもしろいぞ!」と言って、シュージくんも飛びこんで転げまわって、全身火だるまになってゲラゲラ笑った。
 抱きしめれば温まるとアンノさんが言いだして、アンノさんをはじめとする永久少女たちは目につく人に片っ端から抱きついていった。ただ、永久の子供には体温がないので、さほど効果は期待できなかった。ぎゅうぎゅうと力をこめて抱きしめれば、ただ痛いだけだったが、永久でない男子は微妙に熱くなった。痛くて熱くて、このままでいたいのかいたくないのか自分でもわからなかった。
 食事はハジメくんが用意した。笹っ葉に土を盛り、砂利と雑草、小枝、鳥の糞、虫の死骸、土から掘り出したミミズを並べたのだ。拾ってきたプラスチックのバケツには、新鮮な川の水を汲んだ。ハジメくんはなんともおいしそうに笹っ葉プレートを平らげ、バケツに頭から突っこんで水をがぶ飲みした。「みんなも食べなよ!」とうれしそうに促した。「ただの土くれが葉っぱに盛れば、ごはんになる。そこらに転がっている石ころやミミズはおいしいハンバーグにスパゲティだ。すごいぞ。百人も五千人も腹いっぱいだ。それで残り物が十二の籠にいっぱいなんだ」
 日が完全に山のむこうに消える前にやってきたのは、ワゴン車、小型トラック、乗用車からなる一群だった。ひどくゆっくり走行してきて、二百メートル下流の橋を数台が渡ったところでようやくその存在に気付かされた。しかも下流から左右の土手道をやってきたばかりじゃない。上流からもやってきた。土手に通じるいくつかの農道からもやってきた。子供たちはすっかり囲まれたのだ。
 「なぜか登校していない児童のみなさん。校長です」スピーカーを握っているのはどうやら校長のトカチ先生だ。「学校の件は置くとして、とりあえず今日は帰宅してください。もうじき夜になります。真っ暗闇です。ここは川べり。子供がこんなところにいていいはずがありません。さぞかし心細いはずです。寒いでしょう。空腹でしょう。寂しかったでしょう。でももう大丈夫です。きみたちの親御さんが迎えに来ました。みんなでおうちに帰りましょう。住み慣れた懐かしいわが家に戻りましょう。なんの心配もいりません。今日はおいしいごはんを食べて、あったかいお風呂に入って、アニメでもユーチューブでも見てアハアハ笑って、ぐっすり眠ればいいだけなんです。ゆっくり休んだら、また学校に来ればいい。明日はとりあえず休んでよろしい。一日休んで、また登校してきなさい。なんの問題もありません」
校長の言葉が続いている間にも、子供たちを取り巻いて親御さんたちの声が四方八方から雲霧のように湧き上がる。ツヨシーッ! ミッちゃん! パパだよ! ママよーっ! お姉ちゃんだよーっ! 帰っておいで! おうちに帰ろう! 今日はシチューだよ!
 すると、子供たちは一人また一人と声のする方角に進み、それと同時に石が飛んだ。車のボンネットやルーフの上でボコッと鳴り、フロントガラスをきしませて、ライトをパリンと割った。あうっ! 悲鳴が上がったのはだれかに当たったせいだろう。
 車のヘッドライトが一斉に炸裂すると同時に、黒い人影が一斉に押し寄せてきて、ハジメくんは叫んだ。「逃げろ!」
 たくさんの手が差し伸ばされて、猫なで声と恫喝、嘆願の声が入り乱れる。子供たちは悲鳴、あるいは歓声をあげて逃げまどい、石がさかんに飛び交い、木の枝が大きく振りまわされる。草を猛烈にかき分ける音と川にざんぶと飛びこむ音が連続し、もうてんやわんやだった。
 ハジメくんの叫びがこだまする。
 逃げろ! 
 逃げろ! 
 どこへでも逃げろ!

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