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答えを求めたがる

「答えを求めたがる人ですね」

中間施設にいた頃、職員の方に言われました。

先日のオンラインのミーティングで話題に出ていて、思い出しました。

その職員の方とステップワークしている時に
「あるシスターが祈りの言葉はどんなものでも良いと言っていました。」
と教えていただきました。信じる心があればということでしょう。

ところが、当時の僕はそれを聞いて
「ちょっと待ってよ。しっかりお祈りを教えてよ。できれば効果的なやつを…」
と思っていたのです。口に出して言った訳ではないですが、ステップワーク中、このような考えをもとにした発言が目立っていたのだと思います。
冒頭の言葉をかけていただいたのはそのためでしょう。

僕は強迫的ギャンブラーですから、勝てる方法を考えることが身についていました。
信仰に対しても、必勝法みたいなものを求めていたのかもしれません。

しかし、信仰に必勝法があるのでしょうか?

12ステップでいう「自分なりに理解した神」という考えからすると、自分なりに理解した神を自分で見つけ、祈りと黙想を続けていくということになります。(信じることができるなら既存の宗教でも良いと思いますが)

結局、助かりたければ自分で見つけるしかないのです。

誰かが簡単に教えてくれるものを簡単に心から信じることは難しいのですから。

そのために、いつでも勝てる効率的で効果的なことを求める考え方を捨てなければいけませんでした。

答えは時間がかかっても、自分で見つけなくてはいけないものがあります。

「自分なりに理解した神」を信じていく必要がある12ステップもそうでしょう。
(もちろん、文献やスタディミーティングには役立つヒントがあると思います)

答えはすぐに見つからなくも、信じようとしていれば、きっと見つかると思います。

でも、やっと見つかったと確信した答えはいつまでもその人の正解ではなく、変化していくと思いますが…。
そこが面白いところです。

と、ようやく最近思えるようになりました。



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