人生は無理ゲーか?

小学生と中学生の息子が、敵の陣地を武器でペイントする対戦ゲームをしています。幼い頃からゲーム実況動画を見て、よく「クソゲー」だの「無理ゲー」だの言っていましたが、今やっているのはそのどちらでもないのでしょう、熱心にやっています。

僕はゲームは苦手なのでやりません。今はギャンブルも(笑)。でも、僕の人生はゲームに例えるなら、ある時期まで無理ゲー(クリアするのが極端に難しいゲーム)だったのかなぁと思います。

高校、大学、就職と希望通りの進路を歩んできました。順風満帆でした。

しかし、初めて働きはじめた職場で他の人たちを自分の思い通りに動かそうとして多くの人に嫌われました。あからさまに人に嫌われるというのはそれまでなかったことで、かなりの苦痛でした。月に何回か仕事を休むようになったのはこの頃からです。

何度か転勤しましたが、職場で会う人たちに嫌われないように気をつかって生きてきました(それも思い通りにしたいという事なのですが)

結婚してからはやらないと約束したギャンブルにハマっていきました。仕事を休んでパチンコしに行きました。やめられないギャンブル、借金、夫婦喧嘩、怯える息子たちの顔…。

クリアできないゲームを延々やらされているようでした。

このまま消えて無くなりたいと何度も思いました。

何が僕の人生を狂わせているのかわかりませんでした。

12ステップに出会ってギャンブルに対して、無力であることを認めました。
そしてそれまでの自分の考え方を捨てなくていけないことを学びました。
さらに自分の思い通りに人を動かすことに熱心になっている限り、僕の人生はクリアできない無理ゲーだとわかりました。

自己中の自分は一度死ななくてはいけなかったのです。

昨日、諸相ミーティングでジェイムズの「二度生まれ型の信仰」を教えてもらって改めて感じることができました。

今も自己中な自分を捨てきれません。でも信仰を持っていれば、本当の死が訪れるまで、何度でもやり直せると信じています。

「クソゲー」にするのも「無理ゲー」にするのも、「苦しいことが多いけど、ちょっとは面白いゲー?」にするのも、自分の信じる力にかかっているのだと思います。


いつか息子たちに話す時が来るかな?


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