自分の話の限界
よく知っているAAの方がSNSで「個人の経験は、原理を伝えるために、その材料として語られるものです。」と発信していました。(勝手に引用してすみません…)
僕は自分の経験を話すのが好きでした。
ですが昨年SNSで1人ステップミーティングをしたり、オンラインでステップミーティングへの参加を増やしてわかったことがあります。
自分の話には限界があるということです。12の各ステップについて自分の経験を話すことはできるようになりました。多分各ステップ5つくらいのパターンで話すことができると思います。そして、ゆっくり霊的な目覚めをしているので、話すことも変化しています。
でも最近、自分の話に限界を感じるのです。聞いている人はどう思っているのかわかりませんが、「あぁ、またおんなじような話をしちゃったなぁ」
「カビの生えた古い話で、話すの飽きてきたなぁ」「新しく来た人はオンラインカジノで苦しんでいるのに、自分のパチンコの話で伝わるかなぁ」
なんて思い始めたわけです。
そこで冒頭の方の発言について思いを巡らせました。
「原理を伝えていたのか」と。
自分の経験を材料として原理を伝える事をいつの日か忘れていたのではないか?
ステップに取り組んで得た自分が思うちょっといい話をしていただけでは?
そう思ったら、少しやる気がでてきました。
そして今日、自分からもお願いして新しいスボンシーさんとステップワークを始めることができました。
そういえば、冒頭のAAの方は10年以上前、田舎の公民館で日曜日の夕方、メンバーを集って本を読みながら原理を伝えてくれました。
「原理を直接伝えてくれる人から学ぼう。それをスポンシーさんに伝えよう。」それが今僕にできることだと今更気づきました。
また、ミーティングでは「いかに自分の経験を材料にして原理を伝えるか」に挑戦しようと思います。
まぁ、いきなり思うようにはならないと思うので、自分にできる範囲でですが。
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