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今日のまーし #83 手紙


先日、とあるおばちゃんから「お手紙」をもらうことがあった。

もちろん「年賀状」なんてものも久々にもらった。


手書きのものは、なんだか心に響くような気がする。


前にも言ったかもしれないけど、ボクは字が恐ろしく汚いことを自覚しているし、文字をならべる時にフリーハンドで均等にならべることも苦手だから、たぶん書くことない。


そんなお手紙を書いてくれたおばちゃんは、筆まめなのもあるんだろうけど、あえて手書きでボクに手紙をくれたのだ。

ほんとうは「奥さん」とか呼んでいて、いつもは尊敬している人の一人なんだけど、ここではあえて「おばちゃん」と呼ぶことにする。


ざっくりしているけどそのおばちゃんの手紙には「いつも応援しているよ」という内容が書かれていた。

九州にいるから、たまにしか会うことができない。


そんなおばちゃんは、ボクがコロンビアに出航する日にたまたま居合わせてくれた。

ボクも初めての飛行機、初めての海外だったから、気持ちの整理がつかなかったことを覚えている。

その時にそのおばちゃんは、ボクに「あなたは頑張らなくていいんだよ。そのままでいいんだよ」と声をかけてくれた。

出航の日のことは実はあんまり覚えていないけど、そのおばちゃんと話したこと、気持ちが柔らかくなったことは本当にはっきり覚えている。


「人格者」なんていう言葉があるけど、彼女は本当にその「人格者」なんだろうなあと、何回考えても思ってしまう。

今はもちろん、コロンビアへ行く前でも、もちろん頭が上がらない。

帰ってきて(2020年10月)からは、こういうご時世っていうのもあるから、1年以上空いて、去年(2021年)の11月に久々に会うことができた。

その日のことは、本当に嬉しかったし、心に残っているから、いち早くその時の気持ちを伝えたのだ。

おばちゃんは「会いたかったんだけど、コロナもあったし、手が骨折していて、こっちに来ることができなかったの。ごめんね」なんて言って、謝る必要なんてないのに、ボクに謝った。


そんなおばちゃんがボクに伝えてくれる「いつも応援しているよ」という一言は、本当に心強いし、心温まるのだ。


この話には全く関係ないけど、ボクは、人の相談をのっている時は「いつも応援しているよ」とできるだけ伝えるようにしている。

伝えることができなくとも、できるだけ利き方や態度で伝えるように心がけている。
おこがましいことだが、おばちゃんのそれとは重みが全く違う。(笑)

一言の重みというのは、日頃の行いなんだろうとヒシヒシと感じさせられる。



その手紙には、「1年以上遅れているんだけど、とにかく「おかえり」と伝えたかったから、筆を取りました。」と書いている。

そんな、時間なんて、どうでもいいのだ。

ただただ嬉しい。

手紙は、ペン、便箋、封筒、ハガキなんかを揃えなければならい。

揃えたあとは、もっと大きな仕事が残っている。

今風の考え方になってしまうかもしれないけど、「1行目を書いてしまえば、修正がきかない」のだ。

ずっとその手紙のこと、その人のことを考えなければならない。

そのおばちゃんが、わざわざ自身の時間を自分に割いてくれたのだなあ。。。

そう思うと、また手紙を味わうことができる。


気持ちって、見えないから、気付こうとしないと感じることができないものなのだろう。


今日も読んでくださってありがとうございます。

さあ、ボクの職場では牛乳パックで作った手すき葉書を売っていまして・・・・なんていう営業をしてもいいんですけど、そういうことが目的ではありません。(笑)

ボクも人に手紙をかけるぐらいのマシな字にしたいものだ。


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